2009年01月19日

もののあわれ 379

おほ后も、参り給はむとするを、中宮の、かく添ひおはするに御心おかれて、おぼしやすらふほどに、おどろおどろしきさまにもおはしまさで、かくれさせ給ひぬ。足を空に、思ひまどふ人多かり。




大后も、参上されようとしたが、中宮が、付きっ切りであり、お出であそばすには、気が進まない。
ためらっている間に、特に苦しむことなく、お隠れあそばした。
足も地につかないほど、途方にくれる人が多いのである。





御位を去らせ給ふといふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせ給へる事も、わが御世の同じことにておはしまいつるを、みかどは、いと若うおはします、おほぢおとど、いときふに、さがなくおはして、その御ままになりなむ世を、「いかならむ」と、上達部殿上人みな思ひなげく。





位を、退かれたとはいえ、世の政治の後見でいられた。在世中と変わらずにあった。
今の陛下は、大変若く、祖父の大臣は、とても気が短くて、非常識である。このままでは、どうなるのかと、上達部や、殿上人たちが、心配し、嘆いている。




中宮大将などは、ましてすぐれて、ものもおぼし分かれず。のちのちの御わざなど孝実仕うまつり給ふさまも、そこらのみこ達にすぐれ給へるを、ことわりながら、いとあはれに世の人も見奉る。ふぢの御ぞにやつれ給へるにつけても、限りなく清らに、心苦しげなり。こぞ今年と、うち続きかかる事を見給ふに、世もいとあぢきなうおぼさるれど、かかるついでにも、まづおぼし立たるる粉とはれど、またさまざまの御ほだし多かり。





中宮や、大将、源氏は、それ以上の嘆きである。
どうしていいのやら、判断がつかない様子。
後々の、ご法事などの、つとめも、多くの御子たちの中でも、優れているゆえに、当然ながら、お気の毒と、世間の人も、拝する。
藤の御装束に、お召し替えされるにつけても、この上なく、清らかで、いたわしい思いがする。
昨年、今年と、続けて、このような事に、遭われると、人の世の、儚さを感じて、こんな時でも、浮かんでくるのは、出家することであるが、一方では、色々気がかりなことも多いのである。

いとあはれに 世の人も見奉る
世の人も、深く同情するのである。
様々な、場面、心境に、あはれ、という言葉が、使われる。





御四十九日までは、女御みやす所たち、みな院につどひ給へりつるを、過ぎぬれば、散り散りにまかで給ふ。十二月の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空の気色につけても、まして晴るる世なき中宮の御心のうちなり。大后の御心も知り給へれば、心にまかせ給へらむ世の、はしたなく住み憂からむをおぼすよりも、なれ聞え給へる年ごろの御有様を、思ひ出で給はぬ時のまなきに、かくてもおはしますまじう、みなほかほかへと出で給ふほどに、かなしきこと限りなし。




四十九日の、ご法事までは、女御や御息所たちも、みな院に集う。それが過ぎて、散り散りに、退出される。
十二月の二十日なので、年の暮れの陰気さがあり、そうでなくても、空模様を見ると、それ以上に、晴れ間もない、中宮の心である。
大后の心も、知るゆえに、その、心のままになさることになる、今後が、味気なく、住みにくくなるだろうと、思う。更に、それよりも、親しくしていた、長年の院の、有様を、偲び続けて、おいで遊ばすこともなく、皆々、退出される頃、この上もなく、悲しみが、湧いてくるのである。


おほかたの世の中 とぢむる空の気色につけても まして晴るる世なき中宮の御心のうりなり

ただでさえ、年の暮れの陰気な、空模様である。
それを、見るにつけても、晴れることのない、中宮の御心である。

おほかた
院の崩御と、関係なくても、年の暮れの空模様は、陰気なのである。

みなほかほかへと出で給ふほどに、かなしきこと限りなし
姫たちが、それぞれ、里に帰るのである。
院に仕えていたもの達が、帰郷するのが、かなしきこと限りなし、なのである。

中宮とは、藤壺である。

これより、源氏は、不遇の時代に入る。
新しい勢力が、台頭してくるのである。

物語が、次第に、複雑になってゆく。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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