2008年12月18日

もののあわれ358

御装など引きつくろひ給ひて、いたう暮るる程に、侍たれてぞ渡り給ふ。桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて、皆人はうへの衣なるに、あざれたるおほぎみ姿のなまめきたるにて、いつかれ入り給へる御さまげにいと異なり。花のにほひもけおされて、なかなかことざましになむ。



源氏は、衣装を整えて、すっかりと暮れた頃、皆が、待ち遠しく思うころあいに、お越しになった。
桜の唐の、綺の直衣に、葡萄染めの、えびぞめである、下襲、したがさねである、裾を長々と引いて、他の人は皆礼装であるが、お洒落な、王族風の優雅な衣装である。
皆に、あがめられ、かしずかれて入る様子は、真に格別な雰囲気である。
花の色香も、それに圧倒されてしまい、興ざましのようである。




遊びなどいとおもしろうし給ひて、夜すこし更け行く程に、源氏の君、いたく酔ひなやめるさまにもてなし給ひて、まぎれたち給ひぬ。



管弦の遊びなども、大変面白くなさる。
夜が少しばかり更けて行く頃は、源氏は、酷く酔って、苦しんでいるように、見せて、そっと、席を外れたのである。




寝殿に女一宮、女三宮のおはします、東の戸口におはして、寄り居給へり。藤はこなたのつまにあたりてあれば、御格子ども上げわたして、人々出で居たり。袖口など、たう歌のをり覚えて、ことさらめきもて出でたるを、「ふさはしからず」と、まづ藤壺わたりおぼし出でらる。



寝殿に、女一の宮、女三の宮がおいでになる。
その東の、戸口においでになり、寄りかかっていた。
藤は、こちらの角にあたっているので、格子を上げて、端近くに女房達が、座っていた。
袖口など、踏歌の折に似て、わざとらしく、御簾の下から出しているのを、相応しくないと、何よりも、藤壺の辺りの、奥床しさを、思い出すのである。

袖口
出だし衣 いだしぎぬ、である。
見物する女房達が、着物の袖口を、御簾の下から、出す風情である。

踏歌
正月に、宮中で、行われる催しであり、公事である。

藤壺の邸とは、違う雰囲気であり、源氏は、こちらの、邸の様子を相応しくないと、思うのである。


源氏「なやましきに、いといたう強ひられて、わびにて侍り。かしこけれど、この御前にこそは、陰にも隠させ給はめ」とて、妻戸の御簾を引き着給へば、人々「あな、わづらはし。よからぬ人こそ、やむごとなきゆかりはかこち侍るなれ」といふ気色を見給ふに、重々しうはあらねど、おしなべての若人どもにはあらず、あてにをかしきけはひしるし。そらだきもの、いとけぶたうくゆりて、衣の音なひいと花やかにふるまひなして、心にくく奥まりたるけはひは立ちおくれ、今めかしき事を好みたるわたりにて、やむごとなき御方々物見給ふとて、この戸口はしめ給へるなるべし。




源氏は、気分が悪いのに、酒を強いられて困っています。恐縮ですが、こちらならば、私を、物陰に隠してくださるでしょうと、妻戸を御簾に、上半身を入れる。
人々は、あら、厄介なこと。身分の賎しい人は、高貴な親族に、寄りかかると申しますが、という、様子を御覧になる。
彼女達は、重々しくはないが、並の女房達ではない。
上品で、美しい様が、よく解る。
そらだきものが、大変に煙たく香って、衣擦れの音を、わざと、華やかにして振舞うという、奥床しさ、深みを現す様子ではなく、軽やかな粋を好んでいる様子である。
高貴な方々が、物見をすると、この戸口を占領しているのである。

そらだきもの
部屋の中を薫りで包むのである。



さしもあるまじき事なれど、さすがにをかしう思ほされて、「いづれならむ」と胸うちつぶれて、源氏「扇を取られて、からきめを見る」とうちおほどけたる声に言ひなして、寄り居給へり。女房「あやしくもさまかへける高麗人かな」といらふるは、心知らぬにやあらむ。いらへはせで、ただ時々うち嘆くけはひする方によりかかりて、凡帳ごしに手をとらへて、

源氏
あづさ弓 いるさの山に まどふかな ほの見し月の 影や見ゆると

何ゆえか」とおしあてに宣ふを、え忍ばぬなるべし、


心いる 方ならませば ゆみはりの 月なき空に 迷はましやは

といふ声、ただそれなり。いとうれしきものから。




場所柄を考えると、控えるべきことだが、さすがに興に乗り、あの女君は、どれだろうと、胸をときめかせる。
源氏は、扇を取られて、からめを見ると、おどけた調子で言いつつ、身を寄せかけて、座っている。
女房は、妙に変わった、高麗人ですこと、と、答えるには、事情を知らないゆえである。
答えはせずに、ただ、時々、溜息をつく、気配のする方へ、寄りかかり、凡帳越しに、手を捕らえて

源氏
ちらっと見た、月の姿が、再び見られるかと、いるさの山に、迷っています。
なぜでしょう、と、当てずっぽうに、仰ると、とても、堪えきれない様子で、


深く、お心をかけておいでならば、月のない空でも、迷いになるはずは、ありますまい

と言う声は、まさしく、あの女である。
それは、本当に、嬉しいことだが・・・

いるさの山
但馬国の名所である。

ゆみはり
月の枕詞である。

ほの見し月の 影や見ゆると
あの夜に、ほんの少しばかり見た、月、つまり、女のこと。
月の影とは、月影であり、月の光である。

星の光を、星影という。
月の光を月影という。
それらは、皆、光の影なのである。
つまり、太陽の影である。
夜の光は、皆、太陽の、日の影なのである。

女の歌は、思い深ければ、月の光のない、夜の闇でも、迷うことはないと言う。
つまり、ここにいますと、宣言しているのである。

ただそれなり。いとうれしきものから

これで、花宴を、終わる。

人生を、一言で言えば、ただそれなり、なのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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