2008年12月07日

もののあわれ347

ちひさき御程に、さしやりてゆし給ふ御手つき、いとうつくしければ、「らうたし」とおぼして、笛吹きならしつつ教へ給ふ。いとさとくて、難き調子どもを、ただ一わたりに習ひとり給ふ。大方らうらうじうをかしき御心ばへを、「思ひし事かなふ」とおぼす。保曾呂倶世利といふものは、名は憎くけれど、面白う吹きすまし給へるに、かき合わせまだ若けれど、拍子たがはず上手めきたり。



小さい体で、背を伸ばし、ゆし給ふ、とは、由という、弦を左手で押えて、糸を鳴らすことである。
その手つきが、可愛いので、愛らしく思い、笛を吹きつつ、教えになる。
大変、物覚えが良くて、難しい曲も、ただ一度で、覚える。
何事につけても、集中する力があり、源氏は、これは、望みが叶うと、嬉しく思う。
ホソログセリという曲は、名は変だが、それを、面白く吹きなさったところ、それに合わせて、琴を弾くのが、未熟ながらも、拍子を間違えず、上手に聞えるのである。

らうらうじうをかしき御心
物覚えが良い。勘が良い。器用なのである。

源氏は、これは、望みが叶うと思うのは、理想的女性に、育てることが、出来ると、思うからだ。




大殿油まいりて、絵どもなど御覧ずるに、「出で給ふべし」とありつれば、人々声づくり聞えて、「雨降り侍りぬべし」などいふに、姫君、例の、心細くて屈し給へり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かきなでて、源氏「ほかなる程は恋しくやある」と宣へば、うなづき給ふ。源氏「われも、一日も見奉らぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはする程は、心やすく思ひ聞えて、まづくねくねしくうらむる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしく見なしては、ほかへもさらに行くまじ。人のうらみ負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見奉らむと思ふぞ」など、こまごまとかたらひ聞え給へば、さすがにはづかしうて、ともかくもいらへ聞え給はず。やがて御膝によりかかりて、寝入り給ひぬれば、いと心苦しうて、源氏「今宵は出でずなり」と宣へば、皆立ちて、御膳などこなたに参らせたり。姫君起こし奉り給ひて、源氏「出でずなりぬ」と聞え給へば、なぐさみて起き給へり。もろともに物などまいる。いとはかなげにすさびて、姫君「さらば寝給ひねかし」と、あやふげに思ひ給へれば、かかるを見棄てては、いみじき道なりとも、おもむき難く覚え給ふ。





大殿油、明かりを召し寄せて、絵など御覧になる時に、お出かけになると、仰せがあった。お供の人々が、催促して、雨になりましょうと言うので、姫君は、例によって、心細く思い、ふさぎ込むのである。
絵も、そのままに、うつ臥してしまうので、源氏は、可愛く思い、御髪のふさふさとした、こぼれかかるのを、撫でて、居ないのは、淋しいですかと、仰ると、頷く。
源氏は、私も、一日お目にかからない時は、大変つらいが、小さな間は、気安く思うので、まず、疑り深い、ひねくれた人の機嫌を損ねないと思い、更に、面倒になっては、困るから、こうして、出歩くのです。大人になれば、外へは、出ません。このように、人の恨みを受けないようにしているのも、長生きをして、思い通りに、逢いたいと、思うからなのです、などと、こまごまと、お話しすると、姫君も、恥ずかしくなり、黙って、膝に寄りかかって、寝てしまった。
それが、たいそう、いじらしいのである。
源氏は、今宵は、出掛けないことにすると、仰せになる。
一同は、席を立ち、お膳などを、運んでくる。
そして姫君を、起こして、出掛けないことにしましたと、言うと、機嫌を直して、起きて、一緒に食事をする。
ほんの少しばかりに、手をつけて、では、お休みなさいと、まだ、安心していないようで、源氏は、それを見ると、この様子を捨てて、たとえ、死出の旅なりとも、出掛けにくいと、思われるのである。


まづくねくねしくうらむる人
まづ くねくねしく うらむる人
気を回して、嫌味を言う女のことである。

心破らじと思ひて
その、心を乱さぬように。

源氏の、妻、女君を、想定している。





かうやうに、とどめられ給ふ折々なども多かるを、おのづからもり聞く人、大殿に聞えければ、人々「誰ならむ。いとめざましき事にもあるかな。今までその人とも聞えず、さやうにまつはし、たはぶれなどすらむは、あてやかに心にくき人にはあらじ。内裏わたりなどにて、はかなく見給ひけむ人を、ものめかして給ひて、人やどがめむと隠し給ふななり。心なげにいはけて聞ゆるは」など、さぶらう人々も聞え合へり。




このように、引き留められる折々の多いことを、どこからともなく、大臣邸に聞き込んでくる人がいて、左大臣家の人々に申し上げる。
人々は、誰なのだろうか、もってのほかです。今まで、どういう人などとは、聞いたことがない。そのように、傍に離れずに甘えているとは、生れの良い方ではないでしょう。御所あたりで、目に留まった人を、一人前に扱って、皆の悪口を恐れ、隠しているのでしょう。まだ、ものの解らぬ子供っぽいような噂もあります、などと、侍女たちも噂し合う。


心にくき人にはあらじ
奥床しい人ではない。
心にくき人とは、奥床しく、清楚で、教養のある人である。

このもてなし、心にくきばかりなりて、などと、言えば、ともて、そのもてなしが、心ある、深いものだったということになる。




内裏にも、「かかる人あり」と聞し召して、主上「いとほしく大臣の思ひ嘆かるなることも、げにものげなかりし程を、あぶなあぶなかくものしたる心を、さばかりの事たどらぬ程にはあらじを、などか、情なくはもてなすなるらむ」と宣はすれど、かしこまりたる様にて、御答も聞え給はねば、「心ゆかぬなめり」と、いとほしくおぼし召す。主上「さるは、すきずきしううち乱れて、この見ゆる女房にまれ、またこなたかなたの人々など、なべてならず、なども見え聞えざめるを、いかなるもののくまにかくれありきて、かく人にもうらみらるらむ」と宣はす。




帝におかれても、このような人がいると、聞かされて、気の毒に、左大臣も嘆いていることだうろ。まだ、幼い時から世話をして、ここまで育てた志が、どんなものか、それが解らないではないはず。何故、そのような心ないことを、するのかと、仰せになる。
それを聞いて、恐れ入った様子で、返事もされないゆえ、女君が、気に入らないらしいと、可愛そうに思われる。
帝は、だが、好色がましい振る舞いをして、宮中の女房や、あちこちの女達などにも、深く心を通わせているという話も聞かない。どうして、どのような影を隠れ歩いて、そのように、人に恨まれるようなことを、するのだろうかと、仰せられる。


心ゆかぬなめり
気に入らない。

すきずきしううち乱れて
好色がましい行為である。

いかなるものの くまに かくれありきて
どんな人の、隈に、隠れて、つまり、どんな人を、抱え込んでとなる。

若君、若紫、若草のことである。
まだ、その存在が、明確に知られていないのである。
知っているのは、惟光のみである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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