2008年12月06日

もののあわれ346

わが御方に臥し給ひて、胸のやる方なき程すぐして、大殿へとおぼす。御前の前栽の、何となく青みわたれる中に、とこなつのはなやかに咲き出でたるを、折らせ給ひて、命婦の君の許に、書き給ふこと多かるべし。

源氏
よそへつつ 見るに心は なぐさまで 露けさまさる なでしこの花

花に咲かむと思ひ給へしも、かひなき世に侍りければ」
とあり、さりぬべきひまにやありけむ、御覧ぜさせて、命婦「ただ塵ばかりこの花びらに」と聞ゆるを、わが御心にも、ものいとあはれにおぼし知らるる程にて、

藤壺
袖ぬるる 露のゆかりと 思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ

とばかりほのかに書きさしたるやうなるを、よろこびながら奉れる、「例の事なればしるしあらじかし」と、くづほれてながめふし給へるに、胸うち騒ぎて、いみじくうれしきにも涙おちぬ。




ご自分の部屋に、お休みになり、胸の苦しみを鎮めて、左大臣の邸に行こうと思う。
庭先の、前栽は、一面に青く、その中に、とこなつの花が、華やかに色をつけているのを、折らせて、命婦の許に、こまごまと、手紙を書くのである。

源氏
あなたを、偲ぶつもりで、若宮を拝しましたが、心休まることなく、いっそう涙の露が、溢れました。

早く、花が咲いて欲しいと思いましたが、何もならぬことで、とある。
命婦は、藤壺にそれを渡すのに、丁度よい、機会があり、ほんの塵ほどでも、この花びらにと、申し上げると、藤壺も、しみじみと、あはれを感じて、

藤壺
あなたの袖を濡らすものかと思うと、これは大事にします

とだけ、かすかに書き記したお返事を、喜びつつ、源氏に差し上げた。
源氏は、いつものように、返事はないと思って、沈み込んで、ぼんやりと臥せていたところで、それを見て、胸が高鳴り、とても嬉しくて、涙がこぼれるのである。



ものいとあはれ
もの いと あはれ、となる。

以前も、この、もの、とは何かと、書いたことがある。

もの、とは、相手方である。対立するもの。
それを、日本人は、心ともした。心は、私の内にあるものであるが、私の心も、もの、として、対立したものと、捉えていた。

ここでは、つまり、心が、とても、あはれに溢れたということになる。

心が、勝手に動くという感触を持っていたということだ。
私のものであって、私のものではない、心というもの、である。

もののあはれ、とは、心のあはれ、である。
その、心は、山川草木から、ありとあらゆる、ものに、着くのである。
勿論、人にも、着く。

心の着くもの、すべてに、あはれがある。
そして、それは、また、心であり、その風景である。

もののあはれとは、心のあはれである。
心のあはれは、心に写るもの、すべての、あはれである。





つくづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、なぐさめには西の対にぞ渡り給ふ。しどけなくうちふくみだみ給へる鬢ぐき、あざれたるうちぎ姿にて、笛をなつかしう吹きすさみつつ、のぞき給へれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して、添い臥し給へる様、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながら疾くも渡り給はぬ、なまうらめしかりければ、例ならず背き給へるなるべし。端の方につい居て、源氏「こちや」と宣へどおどろかず。女君「入りぬるいその」と口すさびて、口おほひし給へるさま、いみじうざれてうつくし。源氏「あなにく。かかること口慣れ給ひにけりな。みるめに飽くはまさなき事ぞよ」とて、人召して、御琴取りよせて弾かせ給ふ。源氏「筝の琴は、中の細緒のたえがたきこそ所せけれ」とて、平調におしくだして調べ給ふ。かき合はせばかり弾きて、さしやり給へれば、え怨じはてず、いとうつくしう弾き給ふ。





いつまで、臥していても、物思いの尽きることが無いので、そんな時の、慰めは、西の対の、若草の部屋に行く。
しどけなく乱れた鬢の毛で、なまめかしい、うちぎ姿のままに、笛を、懐かしく吹き鳴らしているところを、覗き込む。
若草、女君は、先ほどの、撫子の花が、露に濡れたような、風情で、脇息に寄りかかっている。その姿は、美しく、可愛らしい。
愛敬溢れる有様であるが、源氏が、帰られて、すぐに、部屋に来なかったことを、恨み、いつになく、すねているのである。
源氏は、縁側に、膝を付き、さあ、こちらへと、仰るが、起き上がらず、若紫は、入りぬるいその、お出でにならぬと、口ずさんで、口を袖にあてる様、大変色っぽいのである。
まあ、憎らしい。よくそんなことを、覚えましたね。いつもお会いして、慣れてしまうのは、良くないことですと、人をお召しになり、琴を取り寄せて、弾かせる。
源氏は、筝の琴は、中の細緒の切れやすいのが、面倒ですと、平調に、下げて、お調べなる。
かき合わせばかりを弾いて、姫君の前に差し出されると、いつまでも、すねていられないと思い、大変、上手に弾くのである。


ここで、若草、若紫を、女君と、書くのは、一人前の女として、作者が、扱い始めたからである。

ありつる花の露に濡れたる心地して
先ほどの、花である。撫子の花が、露に濡れたるような、風情である。

なまうらめしかりければ
なま うらめし かりけりば
真に、恨めしいほどに、艶かしい。
少女から、女への、移行である。成長する様である。

女は、自然に女になるのである。
男は、自然に男になるわけではない。様々な、儀式において、男というものになる。

儀式というものは、子供のため、男のためにあるものである。
男には、儀式が必要なのである。
民族の、伝承は、そうして、出来上がってきたのである。
そして、女達は、それに、添ってきた。
役割分担である。男には、儀式が必要なことを、一番、女達が、理解していたと、思われる。

男に付属してきたことを、よしとするのは、我が身を守ってくれるのが、男だからである。
それ以外の、何ものでもない。

文化的行為も、男の存在から、出ぬように、配慮していた。
それが、この、漢字かな混じりの、源氏物語に結実している。
当時は、女子供のものであった。だから、紫式部は、書くことが出来た。
当時の正式文書は、漢語である。

しかし、それが功を奏して、世界初の小説を書くことが出来たのである。
時代を経て、読み継がれてきた訳がある。

それは、大和言葉だからである。

人が迷った時、基本に帰るという。
大和言葉の基本である、物語を、紫式部は、無意識に書いたということである。
芸術などという、意識はなかった。
ただ、書くことに、意味と、意義があった。
それは、彼女の、抑鬱の成果である。

愁いは、人の心を、病ませるが、病から、生まれ出るものが、芸術として、昇華するのである。
病むべき時には、病むことである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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