2008年12月02日

もののあわれ342

内裏より大殿にまかで給へれば、例の、うるはしうよそほしき御様にて、心うつくしき御気色もなく、苦しければ、源氏「今年よりだに、少し世づきて改め給ふ御心見えば、いかにうれしからむ」と聞え給へど、「わざと人すえてかしづき給ふ」と聞ゆ給ひしよりは、「やむごとなくおぼし定めたることにこそは」と、心のみ置かれて、いとど疎くはづかしくおぼさるべし。



源氏が、宮中から、大臣邸にお越しになると、女君は、いつもの、取り澄ました姿で、やさしい素振りも見せない。
源氏は、それを、窮屈だと思い、せめて今年から、夫婦らしくしてくだされば、どんなに嬉しいことでしょうと、言う。
しかし、女君は、わざわざ女を、迎えて、大事にしていると、聞いてからは、そちらを大切な人と、決めているのだと、思い、心を奪われていると、顔も合わせたくない心境である。

いとど疎くはづかしくおぼさる
作者の注である。顔も合わせたくない気持なのであろうと、作者の感想が入る。

通い婚、複数恋愛の当時も、矢張り、女の嫉妬は、あった。
人間に、嫉妬の感情がなくなれば、大半が、死に体になる。嫉妬の力は、凄まじいものがある。
嫉妬心だけでも、生きて行かれる。

やむごとなく
やんごとない方、つまり、大切な方、特別な人である。



しひて見知らぬやうにもてなして、みだれたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞え給へるは、なほ人よりはいと異なり。四年ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、はづかしげに、さかりにととのほりて見え給ふ。「何事かはこの人のあかぬ所はものし給ふ。わが心のあまりけしからぬすさびに、かくうらみられ奉るぞかし」とおぼし知らる。



強いて、知らぬ振りをして、戯れると、澄ましてばかりも、いられない。
返事をされるのも、やはり他人とは違うのである。
四つ年上であり、こちらが負けるほどの、女ざかりにある姿である。
この方の、どこに、不足があろうか。自分の、度を過ぎた浮気心のせいで、このように、よそよそしいのだと、反省もする。



作者の感想が多い。
源氏は、我が身の行動を、反省するというのである。
その、浮気心である。

わが心のあまりけしからぬすさびに
すさび、とは、行動である。
後に、荒んだと、書かれるのようになる。
荒れた生活などを、すさんだ生活という。

また、心が、すさむとは、心が荒れるということになってゆく。
つまり、すさむ、とは、正体を無くして、心が浮遊することを言う。
その、すさむ、ことも、あはれの風景の中にある。




同じ大臣の聞ゆる中にも、おぼえやむごとなくおはするが、「宮腹に一人いつきかしづき給ふ御心おごり、いとこよなくて、すこしも疎なるをば、めざましと思ひ聞え給へるを、男君は、「などかいとさしも」と、ならはい給ふ、御心のへだてどもなるべし。




同じ大臣という中でも、世の中の評判が大変良い方の、内親王の奥様との間に出来た、一人娘として、大事に育てられたゆえの、気位の高さは、無類である。
少しでも、粗雑にすると、なんということだと、驚くのである。
男君の方は、何も、そんなに、たてまつらなくてもと、躾ける気持がある。
その互いの、気持の溝も、大きいのであろう。


ここにも、作者の意見が登場する。

などかいとさもし
そんなに、奉らなくても、という気持である。要するに、そんなに、気取る必要はないということ。

ならはい
ならはし、習慣付け、つまり、教育して、躾けるという意味になる。

ここで、源氏は、高い身分にあるが、気さくな人柄であるということを、作者は、言う。




おとども、かくたのもしげなき御心を、つらしと思ひ聞え給ひながら、見奉り給ふ時は、うらみも忘れて、かしづき営み聞え給ふ。つとめて出で給ふ所に、さしのぞき給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、御手づから持たせて、わたり給ひて、御衣のうしろひき繕ひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ、いとあはれなり。源氏「これは、内宴などいふ事も侍るなるを、さやうの折にこそ」など聞え給へば、大臣「それはまされるも侍り。これはただ目慣れぬさまなればなむ」とて、しひてささせ奉り給ふ。




大臣も、このような、頼りなげな婿君の心を、辛い仕打ちだと思いつつも、目の当たりに、その姿を見るにつけ、日頃の恨み言も忘れ、ただ大切にするのである。
翌朝、出掛ける時、そっと、部屋を覗くと、御芽召し替えの最中で、有名な帯を持ってきて、着物の後を繕ったり、沓をとらんばかりの気配りは、いとあはれなり、つまり、気の毒である。
源氏は、これは、内宴ということですから、それは、その折に、使わせて頂きますと、辞退するが、大臣は、その時には、もっと、良いものを用意します。これはただ、珍しいというだけですと、仰せられ、無理に帯を締めるのである。



げによろづにかしづき立てて見奉り給ふに、生けるかひあり。「たまさかにても、かからむ人を出だし入れて見むにます事あらじ」と見給ふ。



大切な、お世話をして、その姿を見ると、しみじみと、生き甲斐が感じられる。
たとえ、疎遠とはいえ、このような方を、家に出入りさせる以上の、幸せはないと、思うほどの、婿であった。


大臣の、思いである。
かからむ人
このような立派な身分の方である。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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