2008年11月30日

もののあわれ341

暮れぬれば御簾の内に入り給ふを、うらやましく、昔は上の御もてなしに、いとけ近く、人づてならで、物をも聞え給ひしを、こよなう疎み給へるも、つらう覚ゆるぞわりなきや。源氏「しばしばも侍ふべけれど、事ぞと侍らむこそうれしく」など、すくずくしうて出で給ひぬ。命婦もたばかり聞えむ方なく、宮の御気色も、ありしよりは、いとど憂き節におぼしおきて、心解けぬ御気色も、はづかしくいとほしければ、何のしるしもなくて過ぎ行く。「はかなの契りや」とおぼしみだるること、かたみにつきせず。



日が暮れると、御簾の内に、入られる兵部卿の宮を、君は、羨ましく、昔は、主上のお供をして、おそば近くに、直接お話申し上げたのに、今は、寄せ付けないと、恨み心が湧くのは、勝手過ぎるのである。
源氏は、時々、参上いたすべきですが、これという、御用がございませんので、自然にご無沙汰しました。出来ますことは、仰せ付けてくだされば、嬉しい限りですと、生真面目に、挨拶し、退出した。
命婦も、手引きのしようもなく、宮の態度も、依然より、憂きことと、懲りたようで、打ち解けられない態度も、気が引ける。また、気の毒に思うのである。
それで、通い路も、絶えて、時ばかりが過ぎてゆく。
儚い、宿世だと、互いに思い乱れるのである。

命婦とは、源氏を、藤壺に導いた女である。
はかなの契り
儚い契り、である。

かたみにつきせず
思い乱れる。

作者の声が入っている。
つらう覚ゆるぞわりなき
恨む心は、勝手過ぎると、言うのである。

いとほしい、を、気の毒であると、訳すか、現代の、愛しいと、訳すか。

何のしるしみなくて
藤壺と、会うことの、方法である。それが、無い。




少納言は、「おぼえずをかしき世を見るかな。これも故尼上の、この御事をおぼして、御おこなひにも祈り聞え給ひし、仏の御しるしにや」と、おぼゆ。大殿いとやむごとなくておはし、ここかしこあまたかかづらひ給ふをぞ、「まことに大人び給はむ程は、むつかしき事もや」と覚えける。されど、かくとりわき給へる御おぼえの程は、いとたのもしげなりかし。御服、母方は三月こそはとて、晦日には脱がせ奉り給ふを、また親もなくて生ひ出で給ひしかば、まばゆき色にはあらで、紅、紫、山吹の地のかぎり織れる、御こうちぎなどを着給へる様、いみじう今めかしうをかしげなり。




これは、若草のことである。
少納言は、思いがけずに、良いことになってきたと、これも、亡き尼君が、姫君のために、心配し、朝夕のお勤めに、祈願された、仏の御加護の御蔭だろうかと、思われる。
左大臣邸には、れっきとした、北の方がいらっしゃるが、その他にも、色々と、世話をしている方がいらっしゃる。
それゆえ、姫が、一人前になると、面倒なことになるのではと、思う。しかし、源氏の君の、寵愛は、行く末が、頼もしいのである。
喪服の期間は、母方は、三ヶ月である。
十二月末に、喪服を脱がせたが、祖母君のほかには、母もなく、育ったので、派手な色の着物ではなく、紅、紫、山吹などの無地の、こうちぎを、着られる様子は、今流行りで、可愛らしいのである。




大殿
左大臣の姫であり、源氏の妻、北の方である。

こうちぎ
着物である。当時の普段着。



男君は、朝拝に参り給ふとて、さしのぞき給へり。源氏「今日よりは、大人しくなり給へりや」とて、うち笑み給へる、三尺の御厨子一よろひに、品々しつらひすえて、また小さき屋ども作り集めて奉り給へるを、所狭きまで遊びひろげ給へり。若君「難やらあふとて、犬君がこれをこぼち侍りにければ、つくろひ侍るぞ」とて、いと大事とおぼいたり。源氏「げにいと心なき人のしわざにも侍るなるかな。今つくろはせ侍らむ。今日は言忌みして、な泣い給ひそ」とて、出で給ふ気色、所狭きを、人々端に出でて見奉れば、姫君も立ち出でて見奉り給ひて、雛の中の源氏の君つくろひ立てて、内裏に参らせなどし給ふ。




源氏は、元旦の朝拝に出られるということで、若草の部屋を、覗いた。
源氏は、今日からは、大人になりますねと、微笑んで言う。
姫君は、三尺の対の厨子に、様々な人形を並べて、忙しそうだ。
様々な道具を飾り、小さな御殿を多く作り、部屋じゅうを使い、遊んでいる。
姫は、鬼払いをするといって、犬君が壊したので、つくろっていますと、重大なことのように言う。
源氏は、それは、粗相をしましたね。すぐに、直させましょう。今日は、目出度い日ですから、泣いてはいけませんよと、仰り、出掛ける様子は、非常に威勢ある様子である。
それを、女房たちが、縁に出て、拝見する。
姫君も、一緒にお見送りする。
人形の中の、源氏を、飾り立て、参内させてて、遊ぶのである。


難を払うと、鬼やらひの式をするのは、十二月晦日の日に行われる。

所狭きを
源氏の姿で、場所が、狭く感じられる。つまり、源氏の威風堂々とした様を、言う。




少納言「今年だに少し大人びさせ給へ。十あまりぬる人は、雛遊びは忌み侍るものを。かく御をとこなどまうけ奉り給ひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見え奉らせ給はめ。御髪まいる程をだに、もの憂くせさせ給ふ」など、少納言聞ゆ。遊びにのみ心入れ給へれば、「はづかしと思はせ奉らむ」とて言へば、心のうちに「われはさはをとこまうけてけり。この人々のをとことてあるは、みにくくこそあれ。われはかくをかしげに若き人をも持たりけるかな」と、今ぞ思ほし知りける。さはいへど、御年の数そふしるしなめりかし。
かく幼き御けはひの、事にふれてしるければ、殿のうちの人々も、「あやし」と思ひけれど、いとかう世づかぬ御添ひ臥しならむとは思はざりけり。




少納言は、年が明けたのですから、少しは、大人になってください。十を過ぎた人は、もう、お人形遊びなどしてはいけないと、申します。それに、婿さまもおありなのですから、奥方らしく、しとやかに、お相手しなければなりません。御髪を直す間さえ、嫌がるのですね、などと、少納言が申し上げる。
遊びに、熱心なので、少しは、意見するのである。
すると、姫は、心の中で、自分は、それでは、夫を持ったのだ。この人たちが言う、夫というのは、醜い人ばかりだが、私は、こんなに美しくて、若い人を夫にしているのだと、はじめて、気づくのである。
それは、一つ、年をとったせいでしょう。
このように、幼い様子が、何かの機会に解るので、殿の内の人々も、不思議に思うが、このような夫婦らしからぬ、夫婦とは、思いもしないのである。


世づかぬ御添い臥し
世の中の夫婦らしからぬ、夫婦と訳すが、御添い臥しとは、同衾することであり
それを、夫婦と解釈する。

あやし
おかしい、変だ、不思議だと、色々に訳すことが出来る。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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