2008年10月10日

もののあわれ290

すこしいぞきて、女房「あやし。ひが耳にや」とたどるを聞き給ひて、源氏「仏の御しるべは、暗きに入りても、更に違ふまじかなるものを」と宣ふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声づかひもはづかしけれど、女房「いかなる方の御しるべにかは。おぼつかなく」と聞ゆ。源氏「げに、うちつけなり、とおぼめき給はむも道理なれど、

はつ草の 若葉のうへを 見つるより 旅寝の袖も 露ぞかわかぬ

と聞え給ひてむや」と宣ふ。

女房「更にかやうの御消息、承り分くべき人もものし給はぬ様は、知ろしめしたりげなるを。誰にかは」と聞ゆ。源氏「自らさるやうありて聞ゆるならむと思ひなし給へかし」と宣へば、入りて聞ゆ。「あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ。さるにては、かの若草を、いかで聞い給へることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱れて、久しうなればなさけなし、とて、

尼君

枕ゆふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に くらべざらなむ

ひがたう侍るものを」と聞え給ふ。



しかし、また、引っ込みかけて、女房が、変です。聞こえたはずなのに、と、疑っている声を聞く。
源氏は、仏様の、お導きは、暗い中でも、決して、間違いないこと、と、仰る声が、若々しく、上品であり、お返事する言葉も、恥ずかしいのだが、女房は、どちらへの、ご案内でしょう。存じ上げませんが、と、申しあげる。
源氏は、いかにも、突然であるから、お解りにならないのも、もっともです。

源氏
はつ草の 若葉のうへを 見つるより 旅寝の袖も 露ぞかわかぬ

初草の、若葉のことを知ってからは、旅の宿りの、私の袖の涙は、かわきません。

と、申し上げてくださいと、仰る。

女房は、そのような、お言葉を、お伺いする方は、いらっしゃらないことは、ご存知のはずですが、どなたに、申せとのことでしょうと、申す。
源氏は、自然に、そしてある仔細があってのことと、お考え下さいと、仰るので、女房は、奥に入り、尼君に、申す。
尼は、ああ、派手なことです。
この君が、そんなことを、解る年頃ではないとは、思われないのでしょうか。
それにしても、どうして、あの、若草の歌を、お耳になさったのでしょう。
あれこれと、不思議に思う。
心乱れて、お返事申し上げず、遅れては、失礼と


枕ゆふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に くらべざらなむ

旅寝の枕を、今夜だけあそばす、お袖の露を、この奥山に住む者との、苔むす袂と、比べたりされないで、下さい。

それこそ、乾くことのないものです、と、女房を通して、お伝えする。


皆々、女房も、尼君も、源氏が、とんでもないことを言っていると、思うのである。
誰も、源氏が、相手にするような、女は、いないのである。
しかし、若草とは、あの子のことではないか。
しかし、まだ、幼女である。
そんな、馬鹿な。子供を、相手に、乞う歌など、変である。

尼君も、戸惑いつつ、返歌するのである。
ご身分も違い、更に、子供である、あの子にと、疑心暗鬼になるのである。

誰も、源氏が、自分の、好みのままに、育てたいなどとは、考えられないのである。

あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ
尼の言葉は、最もである。
子供であることを、知らないはずはない。まだ、何も解らないと、知らないはずは無い。

あな、今めかし
まあ、今流行りだこと。
色好み、だこと。それにしても・・・
疑問符がつく。

尼の動揺は、孫が年頃の娘だと、思われていることと、若葉の歌を、知っていることが、不思議なのである。

結局、歌にて、同じ袖の涙も、あなた様と、違うものですと、歌う。同じように、考えなされませんようにと、歌うのである。



源氏「かやうの人伝なる御消息は、まだ更に聞え知らず、ならはぬ事になむ。かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう聞えさすべき事なむ」と聞え給へれば、尼君「ひがごと聞き給へるならむ。いとはづかしき御けはひに、何事をかはいらへ聞えむ」と宣へば、「はしたなうもこそ思せ」と人々聞ゆ。尼君「げに若やかなる人こそうたてもあらめ・まめやかに宣ふ、かたじけなし」とて、いざり寄り給へり。



このような、取次ぎにての、ご挨拶は、いまだしたことがありません。初めてです。
恐縮ですが、この機会に、本気で、申し上げたいことがございます、と、仰る。
尼君は、お聞き違いでございましょう。
あのような、ご立派なご様子の方に、気後れして、何を、お返事いたそうかと、仰る。
女房は、しかし、きまり悪く思いでしょうからと、申し上げる。
尼君は、左様です。若い人は、辛く思います。
熱心に、語りかけられるだけでも、恐れ多いことです。
と言いつつ、屏風の場所に、にじり寄った。


いよいよ、源氏の考えていることを、聞くことになる。
一体、何を仰るのか。
尼君は、にじり寄り、源氏の近くに行く。

いとはづかしき御けはひに 何事をかはいらへ聞えむ
源氏の姿に、対して、いとはづかしき、と言う。
その、御けはひ、である。
そのご様子は、立派であり、恐れ多いのである。
源氏の、立ち居振る舞いにある、美しさとでも、言う。
それは、立派なお方、身分の高い、お方である。

そのため、何事かはいらへ聞えむ、なのである。
なんと、返事をしょうかと、戸惑うのである。

身分というものを、明確にしていた時代である。
この、身分によって、礼法が、生まれた。
敬語という、言葉も、身分により、生まれたものである。
身分というものを、人は、平等であるとした、現代は、自由に見えるが、礼法は、失われる。
それにより、秩序というものが、成り立った。
人の関係軸というものは、身分から、生まれる。

勿論、現代は、肩書きなどによる、柔らかな、身分というもの、意識する。
言葉遣いは、それの、明確化である。

人が、平等であるとは、その心や、魂においてであり、社会生活には、しっかりとした、身分、立場というものがあることを、教えることが、重要な社会関係軸を、作る。
それを、また、教育という。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。