2008年10月09日

もののあわれ289

さらばその子なりけり、と、おぼし合はせつ。御子の御筋にて、かの人にも通ひ聞えたるにや、と、いとどあはれに、見まほし。人の程もあてにをかしう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へおぼし立てて見ばや、とおぼす。



それでは、その娘の子なのであると、思い当たった。
宮様の血筋である。それで、あの方にも、似ているのかと、思う。
そう思うと、いっそう可愛らしく、逢いたくなる。
人柄も、上品で、美しい。変なでしゃばりもない。
一緒に暮らして、思いのままに、教え育ててみたいと、思うのである。

それは、兵部卿と、憧れの藤壺が、兄弟であり、その娘は、藤壺の姪ということになるのである。

いとどあはれに 見まほし
なお一層に、あはれに思うのである。
この、あはれ、とは、可愛い、美しい。と、思えるのである。

あはれというものを、すべてに、おける感動を、表すという人もいる。
それも、一つの、あはれの、表情である。



源氏「いとあはれにものし給ふ事かな。それはとどめ給ふかたみもなきか」と、幼なかりつる行方の、なほ確かに知らまほしくて、問ひ給へば、僧都「なくなり侍りし程にこそ侍りしか。それも女にてぞ。それにつけて、物思ひのもよほしになむ、よはひの末に思ひ給へ嘆き侍るめる」と聞え給ふ。さればよ、とおぼさる。



源氏は、いとあはれに思いますと、言う。
この、あはれは、可愛そうだということになる。
その方は、お残しなさった、忘れ形見もないのですか、と、あの幼女の身元が知りたくて、尋ねる。
僧都は、ちょうど、亡くなる頃に生まれました。それも、女の子でして。その子がまた、心痛の種になると、妹は、晩年になり、愚痴っています、と言う。
では、矢張りと、思うのである。



源氏「あやしき事なれど、幼き御後見見におぼすべく、聞え給ひてむや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方も侍りながら、よに心のしまぬにやあらむ、独住にてのみなむ。まだ似げなき程と、常の人におぼしなずらへて、はしたなくや」など宣へば、僧都「いとうれしかるべきおほせ言なるを、まだむげにいはけなき程に侍るめれば、戯にても御覧じ難くや。そもそも女人は人にもてなされて、おとなにもなり給ふものなれば、委しくはえとり申さず。かの祖母に語らひ侍りて聞えさせむ」とすくよかに言ひて、ものごとは様し給へれば、若き御心にはづかしくて、えよくも聞え給はず。僧都「阿弥陀仏ものし給ふ堂に、する事侍る頃なむ。初夜未だ勤め侍らず。すぐして侍はむ」とて、のぼり給ひぬ。



源氏は、変な話ですが、私に、その幼い方の、お世話をさせて下さりませと、お話ししてくださいませんか。少しばかり、考えるところが、あります。
かかわりのある者も、おりますが・・・
まるで、気が合わないというか、独り暮らしばかりで。
まだ、似合わないと、世間の男のように、私のことを、考えては、きまりが悪いのですが。
と、仰ると、僧都は、誠に、ありがたいお言葉です。
まだ、一向に、ものの解らない年頃です。
ご冗談にも、お世話して下さることは、出来ないと思います。
いったい、女は、男によって、一人前になるものですから、私からは、詳しいことは、申し上げられません。
あの子の、祖母に相談しましょう。と、素っ気無く言う。
堅苦しい様子で、源氏は、若さゆえに、間の悪い気持ちで、うまく話が出来ないで、いた。
僧都は、阿弥陀仏をお祭りしてある、お堂に、お勤めをする時刻です。
初夜を、まだ勤めていませんので、すまして参ります。と言い、御堂にお上がりになった。


行きかかづらふ方も侍りながら
正妻の元に通うということ。行きべき所もあるが。

常の人におぼしなずらへて
結婚しか考えない男たと、同じように、考えられないで、欲しいと、言うのである。

戯れ御覧じ難くや
妻とするには、幼いのである。

僧都は、源氏の申し出に、戸惑い、真意を測りかねるのである。
源氏も、自分の申し出が、何やら、恥ずかしい。
一体、源氏は、何を考えているのか。
可愛らしい女の子を、自分の好みに、育てたいと、思うが、それは、真っ当なことなのか。

ここに至ると、源氏の好色も、少し、意味合いが違ってくるのである。
源氏には、幼女趣味もあるのか。

その、源氏の心象風景が、次の、描写にあると、思われる。



君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそそぎ、山風ひややかに吹きたるに、滝のよどみも勝りて、音高う聞ゆ。すこしねぶたげなる読経の、絶え絶えすごく聞ゆるなど、すずろなる人も、所がらものあはれなり。まして、おぼしめぐらす事多くて、まどろまれ給はず。初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息にひきならさるる音ほの聞え、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなり、と聞き給ひて、程もなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中を、すこしひき開けて、扇をならし給へば、覚えなきここちすべかめれど、聞き知らぬようにや、とていざり出づる人あなり。



君は、気分が悪いのである。
そこへ、雨が、すこしうちそぞき、パラパラと降ってきた。
山風も、冷え冷えとして、吹く。
滝も、水が多くなったのか、音が高く聞える。
少し、眠そうな読経の声が、途切れ途切れに、凄く聞こえる。
心無い者でも、こういう場所では、あはれに思う。この場合の、あはれ、というのは、静粛に、という意味か、静かなる心という意味か。
色々と、思いめぐらすことが多い、君は、しかし、それどころではないようで、うとうとすることもない。
初夜というが、夜は、すっかり更けている。
奥のほうでは、人の寝ていない様子が解る。
辺りを、はばかっているが、数珠が脇息に触れる音が、仄かにも聞える。
うれしい、静かな衣擦れの音が、上品だと思う。
広くない、近いことゆえ、外側に立て連ねた、屏風の中ほどを、少し開けて、扇を鳴らすと、奥の方では、思いがけない感じがするようだが、聞えないふりが出来ないとあり、にじり出る者がいる。


このような、細かな描写は、紫式部の得意である。
当時の様、実に目に見えるようである。

なつかしううちそよめく音なひ
なつかしい、とは、心に響くであろう。そして、うちそよめく、とは、微妙な音である。静かな音。
これは、このまま、原文の言葉を、味わうしかない。

扇をならし給へば
扇を鳴らすのは、人を呼ぶということである。
それを聞いた、女房たちは、無視することも出来ず、どうしょうかと、逡巡して、出たり入ったりするのである。
相手は、源氏であるから、どう、対処していいのやら。
その辺りの、描写は、原文のままの方が、実感として、伝わるのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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