2008年10月06日

もののあわれ286

尼君

おひ立たむ ありかも知らぬ 若草を おくらす露ぞ 消えむ空なき

また居たるおとな、「げに」とうち泣きて
女房

初草の おひ行く末も 知らぬ間に いかでか露の 消えむとすらむ

と聞ゆる程に、僧都あなたより来て、僧都「こなたはあらはにや侍らむ。けふしも端におはしましけるかな。かの上の聖の方に、源氏の中将の、わらはやみまじなひにものし給ひけるを、只今なむ聞きつけ侍る。いみじうしのび給ひければ、知り侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける」と宣へば、尼君「あないみじや、いとあやしき様を人や見つらむ」とて、簾おろしつ。



尼君
これから育つ、若草を残して、露は消えてゆく。そんな消え行く空は、どこにもありません。
そこに居た女房が、本当ですと、言いつつ泣く。
初草が、生長していく先も解らず、どうして、露は、消えてしまうのでしょう。
と、申し上げるうちに、僧都がやってきて、ここは、外から、丸見えです。今日にかぎって、尼君は、端近くに出でて、おいでになります。この上の、聖の坊に、源氏の中将が、おこりの、まじないに、お出でになったことを、たった今、聞き付けました。
源氏の君は、たいそうなお忍びでいらして、私は知らずにいて、お見舞いにも、伺っていません。と、仰るので、尼君は、まあ、大変なこと。たいそう見苦しい様を、誰かが、見ていなかったのかと、御簾を、下ろした。



僧都「この世にののしり給ふ光る源氏、かかるついでに見奉り給はむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の愁忘れ、よはひのぶる人の御有様なり。いで御消息聞えむ」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。


僧都が、今、世間で、評判の高い光源氏を、こうした機会に、見申し上げませんか。世を捨てた法師の心にも、世を忘れ、寿命も延びるほどの、君のご様子です。さて、ご挨拶を、申し上げましょう。と、立つ音がするで、源氏は、その場から、離れて、帰られた。



源氏を、一目見ようと、法師が言う。
それは、世を忘れ、寿命も延びるほどの、美しい源氏だというのである。
しかし、作者は、源氏を、ただ、光るばかりに、美しいとしか、書かないのである。



「あはれなる人を見つるかな。かかればこの好きものどもは、かかるありさまをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外なる事を見るよ」と、をかしうおぼす。「さても、いとうつくしかりつるちごかな。なに人ならむ。かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや」と思ふ心、深うつきぬ。



源氏は、あはれなる人を見つるかな、と思う。
この場合は、可愛い女童を見たことをいう。
こんな具合だから、あの色好みの者たちは、しきりに、忍び歩きをして、よくも、めったに見つけられそうにもない、女を見つけ出すのだ。私は、たまたま、出掛けただけなのに、このような、思いがけなく、出会うものだと、興味深く思うのである。
しかし、それにしても、可愛らしい子であった。
どんな人であろうか。あのお方の、身代わりとして、朝夕の、心の慰めに、あの子を、眺めたいものだと、思う。その心、実に、深いものであった。


かの人の御かはり、とは、藤壺のことである。
この時、源氏は、女の子と、藤壺が、血のつながるものだとは、知らない。

それにしても、紫式部は、とんでもない、ストーリィーを、思いついたものである。
源氏物語は、彫刻のように、出来ている。
全体の姿を、頭に入れて、それを、コツコツと、仕上げる様子に、描いてゆくのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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