2008年10月03日

もののあわれ283

供人「ちかき所には、播磨の明石の浦こそなほことに侍れ。なにのいたりふかきくまはなけれど、ただ海のおもてを見わたしたるほどなむ、あやしくこと所に似ず、ゆほびかなる所に侍る。かの国のさきの守しぼちの娘かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後にて、出でたちもすべかりける人の、世のひがものにて、まじらひもせず、近衛の中将をすてて申し賜はれりけるつかさなれど、かの国の人にも少しあなづられて、「なにのめいぼくにてか、またみやこにも帰らむ」と言ひて、かしらもおろし侍りにけるを、すこし奥まりたる山ずみもせで、さる海づらに出で居たる、ひがひがしきやうなれど、げにかの国のうちに、さも人の籠り居ぬべき所々はありながら、深き里は人ばなれ心すごく、わかき妻子の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれるすまひになむ侍る。



長くなるが、当時の、様子が、よく解る。
また、人の噂話などの、面白さがある。

訳す。
供人は、近い所では、播磨の明石という浦が、なんと申しましても、格別でございます。
別に、趣が深いという所でも、ございませんが、ただ、海を、見渡した風景は、妙に他の場所と違い、ゆったりとしている様子です。
あの国で、前の長官をして、近頃、出家しました者が、娘を、非常に大事にしている家が、とても、大したものです。
大臣の子孫で、出世するはずだっのですが、随分と、変わり者で、人付き合いもせずに、自ら、臨んだはずの、近衛の中将の身分を捨てて、その国の者にも、少し軽く見られていますが、「なんの面目があって、都などに帰るか」と、剃髪しましたが、世捨て人らしく、山に住むこともなく、海の前に暮らしているのは、間違っているようですが・・・
それは、あの国の中には、出家者の、籠居に適した所は、いくらでもありますが、山奥の片田舎は、家人も、恐ろしく感じられて、若い妻子が、辛いと思い、また、一つには、自分の気晴らしにもした、生活なのでしょう。



さいつごろまかりくだりて侍りしついでに、ありさま見給へに寄り侍りしかば、京にてこそ所えぬやうなりけれ、そこら遥かに、いかめしう占めてつくれるさま、さは言へど、国のつかさにてしおきける事なれば、残りのよはひゆたかにふべき心がまへも、二なくしたりけり。のちの世のつとめも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、君「さて、その娘は」と問ひ給ふ。


せんだって、下向した際に、様子を見るため、立ち寄ってみましたら、京でこそ、不遇のようでしたが、あたり一帯を占めて、いかめしく邸宅を構えて、なんと申しても、国の長官でしたから、余生を安楽に送れる準備もしてあり、極楽往生を願う、勤行も、立派にいたして、出家してから、かえって、より立派になったようでございます。と、申す。
君は、して、その娘は、と、問い掛ける。



供人「けしうはあらず、かたち心ばせなど侍るなり。代々の国のつかさなど、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。「我が身のかくたづらに沈めるだらあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさま異なり。もし我におくれて、その心ざし遂げず、この思ひおきつる宿世たがはば、海に入りね」と、常に遺言し侍るなる」と聞ゆれば、君もをかしと聞き給ふ。人々、「海竜王の后になるべきいつきむすめななり。心だかさ苦しや」とて笑ふ。



供人は、器量も、気立ても、悪くないようです。
代々の、国守などが、格別の心遣いをして、求婚の意志をもたらすのですが、入道は、全然、承知しません。
自分が、このように、受領などに、零落したのさえ、残念なのに、子供は、娘一人だけ。特に思うところがある。もし、わしに、死に遅れて、望みが果たせないならば、われの考えていた運が外れたら、海に入って死ね、と、いつも、遺言しているそうです。と、申し上げる。
君は、面白い話と、聞くのである。
供人たちは、海の竜王の后にでもなる、箱入り娘なのだろうう。
気位の高いこと、恐れ入ると、笑うのである。



かく言ふは播磨の守の子の、蔵人より今年かうぶり得たるなりけり。供人「いと好きたる者になれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし。さてたたずみ寄るならむ」と言ひあへり。供人「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ」と言ひあへり。


そのように、言うのは、今の播磨の守の子であり、蔵人から、今年、五位下に叙せられた者である。
供人は、大変な道楽者であるから、その入道の遺言を、破ってしまう、気はあるのだろう。
それで、その辺を、うろつくのだろう。
と、言い合う。



供人「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひいでて、古めいたる親のみに従ひたらむは」「母こそゆえあるべけれ。よき若人、わらはなど、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ。なさけなき人なりてゆかば、さて心安くてしも、え置きたらじをや」など言ふもあり。



供人は、そんなことを、言っても、娘は、田舎じみでいるのだろう。小さな時から、そんな所に育って、古臭い親に、育てられたんだから。
母親の方は、由緒ある人らしい。相当な、女房や、女の童など、都の、邸宅からかき集めて連れ出したという。眩しいほどに、飾りたてているようだ。
国守に、酷い者がなって、赴任したら、そんなに、いい気になって、家には、置いておけないだろう。
などと、言い合う。


なさけなき人なりて
これは、娘が、田舎ものになってしまうとか、母親が、都の生活を、忘れてしまうという、意味にある。
情け無き人、とは、趣の無い人。風情の無い人と、考えてもいい。

当時の噂話である。
今の時代と、変わらない。



君「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。底のみるめもものむつかしう」など宣ひて、ただならずおぼしたり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたる事好み給ふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見奉る。


君は、どんなつもりで、海に飛び込めだのと、思いつめたのだろうか。
大袈裟すぎて、人は、なんと聞いたのか、と仰る。
ただならずおぼしたり
心が動くのである。興味が、湧いたのである。
このような、話でも、意外な事が好きな性質ゆえに、お耳に、止まるのである。と、供人たちは、想像する。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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