2008年09月14日

性について 44

性教育という目的のもとに、マスターベーションについてもわずかなりとも言及した初めてのフランス語の文献は、おそらく、1939年に出版されたカルノー医師の「愛のために」であろう。
1968年を境にした、この件に関する見解の変化は、目を見晴らせるものである。それまで、多くの著者たちはそれを徹底的に断罪し、過ちや罪と見なしてきた。ありうべき一つのステップと考えられることはあっても、やがて乗り越えられねばならないものであった。1965年、アメリカで、ジョンソンが先陣を切って、十二歳の子供たちに向けてこう書いている。「マスターベーションは、身体に害になることはないし、精神病の原因になることもありません。それに、将来の結婚生活において性的な喜びを損なうこともありません」この時以降、それを全面的に断罪するものは皆無となり、不安は沈静化され、罪悪視に終止符が打たれてゆく。マスターベーションは、少なくても少年においては、正常な、普通のものと見なされる。少女たちに関しては、その統計上の数値は調査によって大きな隔たりがある。いずれにしても、時々の、過度のものでないかぎり、それは危険なものではない。
オナニズムの歴史 ジャック・デュシェ

ここまでに至る、道のりは、実に長かったのである。

それ以降、思春期、自分の体を意識し、発見する、性器的快楽を発見する過渡期としての、時期にあっては、それは、正常なことであり、罪悪感を持つべきものではない、そこから、解放されるものである、という、世論になっていったのである。

成人してからも、性的パートナーの不在を代替するものでなければ、何ら憂慮するものではないとなる。

それから、マスターベーションに関する、肯定的な、意見が、相次いだ。

例えば、生物学的に、マスターベーションは、緊張の放出であるというもの。
心理学からは、愛情コミュニケーションの練習であり、単なる、孤独な快楽以上のものである、など。

過去の、蒙昧さ、狂気さに、逆襲するかのような、発言が、相次いだようである。

そして、生物学者でもあった、アルフレット・キンゼイの、確かな統計方法に基づく、「男性の性行動」と「女性の性行動」が、注目された。

それぞれ、1948年と、1953年の出版である。

夢精と区別される、マスターベーションに関する数値を、上げている。
男性の、85パーセントは、思春期に、それを経験し、成人したのちも、継続して行う者がいる。

定義として、マスターベーションは、外的な対象を使わずに、もっぱら、自分自身の身体に依存して、満足を得るという、自己性愛的行動を意味する。
自己性愛的活動は、ほとんどの場合、性感帯への、身体の他の部分、つまり、手などの接触によるものである。

キンゼイによれば、二十歳前の少年の、95パーセントが、マスターベーションを体験していると、報告された。
女子の場合は、83パーセントである。

つまり、圧倒的多数が、それを、体験しているということだ。

ただし、女子の場合は、手による摩擦のみをマスターベーションと見なすとすれば、その数値は、低いものとされた。

いずれにせよ、この数値から、マスターベーションは、正常な行為であると、判定された。
つまり、多数である。多数が、行うことは、正常行為なのである。

その中で、罪悪感が伴うとした男子は、26パーセントである。更に、それらの男子は、治療が必要だとも、考えていた。

マスターベーション擁護の発言が面白い。
愛情コミュニケーションの練習である。
マスターベーションをしながら、セックスすることを何千回も夢見ている。
それは、他者への、欲望を育んでいるのだ。
マスターベーションは、あらゆる意味で、愛する技術への関与であり、その習得であり、単なる手による刺激には、還元しえないものである。

常にと言うわけでないにしても、純然たる排泄欲求であった初めてのマスターベーション行為もやがて、パートナーを思い描く想像力に富んだ行為となり、つまり、まさしく成人のセクシャリティと、それに結びついた快楽の習得のようなものと言えなくはない。とすれば、それはまぎれもない教育的役割を持つことになる。場合によっては、空想の中に同性愛的なものが含まれることがあり、そのことで不安を感じる若者もいる。しかし実際は、そうした空想はこの時期の初めにあっては、ほとんど正常なものと見なされうるのである。異性との交際の機会のない単一の性集団の中でしばしば見られる相互マスターベーションも、必ずしも同性愛的傾向の兆しとは限らない。
ジャック・デュシェ

思春期に、マスターベーションを経験しない者の方が、多数になり、過去とは、逆転の様である。
しかし、しない者が、病的という訳ではない。

更に、現在では、性感染症などの意味から、マスターベーションによる、性的解放が、実に意味深いものとなっている。

エイズ問題が起こった時、アメリカでは、互いのマスターベーションを見せ合いながらの、マスターベーションルームという場所が、出来たくらいである。

また、妊娠に対する、恐れからの、マスターベーションの推奨もされたのである。

それでは、簡単に、避妊具の普及、例えば、ピルなどの普及によって、マスターベーションの頻度が減ったのかととえば、それを示す、統計的数字は、存在しないのである。

性的に、成熟する、つまり、異性間にしろ、同性間にしろ、セックスパートナーがいても、心理的、情緒的なことにより、マスターベーションは、持続されるものであると、いえる。

更に、マスターベーションを、楽しむべくの、大人のオモチャの世界は、凄まじく、進歩、発展しているのである。

ジャック・デュシェは、マスターベーションによって、これといった葛藤もなしにオーガズムを得ることができるなら、それは言わば、性的成熟のステップとなる。との、言葉を、掲げている。

更に、現代の、マスターべーションに関する、様々な見解を見ることにする。




posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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