2008年09月09日

性について 39

11世紀の、グレゴリウス教会改革に先立つ時代にあって、全般的に罰は、厳しいものだったが、淫らな思いや、マスターベーションは、一番軽い罰が適用されていた。

だが、一般の人々に対する、個人的な性的行為に、教会が、果たして、何事か、管理することが、出来たのかということは、不明である。
信者の多くは、教育の無い農民が主である。

キリスト教、この場合は、カトリックが、結婚を解消できないものとして、定着させる。
それは、教会の、七つの秘蹟の一つとされる。
しかし、それに関しても、どの程度の、強制力があったのかは、不明である。

よって、確実なことは、聖職者に関することである。

1050年頃に、教皇に提出された、改革草案の中に、ピエール・ダミアンが残した、情報がある。
自然に反する悪徳が、癌のように、聖職者たちを蝕んできた、というものである。

一つないし、集団で行われるマスターベーション、太股による男色ないし完全な男色、・・・
それが、八人とか十人とかで行われてきたことは周知の事実である。

西洋の、マスターベーションの歴史を俯瞰してみると、マスターベーションというものが、多くの人々に、盛んになりだしたのは、19世紀になってからである。
それ以前は、マスターベーションも、実に曖昧模糊としている。

つまり、マスターベーションというものも、歴史的社会性というものが、影響する。

聖職者たちの他に、一般信徒の、情報もある。
男性のマスターベーション、女性のマスターベーション、手によるマスターベーション、道具を使用したマスターベーション、相互にするマスターベーションなどである。

しかし、聖職者たちの、マスターベーションの方が、確実であったということが、解る。

一般信徒の生活の中に、入り込んで、その性的行為を見つけ出すことは、大変である。

聖職者たちは、修道院という、場所での生活である。
男性は、男のみ、女性は、女のみである。
更に、当時の、修道院は、食べるに困る者なども、入るのであるから、性的行為は、乱れて当然である。

宗教修行の場所は、宗派問わず、そういう行為に、溢れている。
一時的、男色行為などは、当たり前であろう。

ロシア正教などは、三割が、同性愛者であると、断言できるのである。

同性愛を禁止する宗教の、内の中は、それで溢れているのである。

同性間の、タガが、外れると、それは拡大する。

マスターベーションの、歴史において、サミュエル・オーギュスト・ダヴィド・アンドレ・ティソー博士をおいて、他には、いない。

その過激思想は、20世紀の初頭に至るまで、凄まじい影響力を与えた。
聖職者と、医療関係者によって、熱烈に擁護され、支持された。

若い良心を毒し、精神分析の発見に至るまで、その当初は、ウィーン学会まで、口ごもるほどであった。

ティソーの、その思想の有害性には、異論を挟む余地がない。

神に対する罪であった、マスターベーションが、ティソーによって、医学的に有害であり、更に、社会規範ないし、美学に抵触するものとなった。

18世紀に、病気とされた、マスターベーションは、個人と社会双方の死を意味するものとなると、オナニズムの歴史のデュシェは、言う。

1754年に刊行された、ティソーの最初の、種痘の正しさという著作は、天然痘の種痘の有効性を主張するものだった。

貧民にも、尽くし、ローザンヌの神様と呼ばれたほど、もっとも名の知れた医師であった。

彼の、オナニズムは、天然痘と同じように、災禍と、見なされた事実は、絶大である。
その、著作は、オナニアについてーーーマスターベーションによって引き起こされる病気についての論考、である。

この本は、1760年から、1842年まで、30回以上版を重ねた。

1764年に出たフランス語の、序文である。
私がここで記述しようと思ったことは、マスターベーションによって引き起こされる病気についてであり、マスターベーションの罪についてではない。そもそもそれが自殺行為であることが論証されるなら、もうそれだけで罪の証明は十分ではあるまいか。
こうした事柄においては、理性によって納得させることに過大な期待を寄せるべきではなく、むしろ、集めるのが追いつかないほどの実例によって恐怖を与えることのほうがましである。

ティソーは、1715年に出版されたオナニアという匿名のものに、ベッカーズ博士という名を与え、加えて、オナニアは、罪、悪徳、そしてその恐るべき結末に対する強烈な呪詛の書である。それが罪であるのは、この行為が精液の喪失によって生殖を損ない、もって、人間そのものを損ない、ひいては、種の破壊につながるゆえんである、と書く。

そこで、掲げられた、項目である。
すべての知的能力の衰弱
体力の完全な衰退
合併症としての激しい苦痛
顔面の膿庖
その第一原因である生殖器官自体の障害
腸機能に破綻をきたすケース
である。

彼は、何の根拠もない、精液の喪失における、去勢と同じ影響を掲げた。

その一つ一つの事例は、省略するが、何の目的で、それを書いたのか、不思議である。
悪魔憑きとでも、言い得る、その姿勢は、如何ともし難い。

私が、悪魔憑きという理由は、その後、聖職者、医学者だけではなく、思想家たちにまでも、大きな影響を与え、更に、その影響は、第二次世界大戦後になるまで、定説として、続いたことである。

1965年の、アメリカ、ジュンソンによる、言葉が出るまで、続いたのである。



posted by 天山 at 00:00| 性について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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