2008年09月08日

神仏は妄想である 159

「立正安国論」にみられる日蓮の抱いた疑惑そのものは必ずしも新しいとは言えない。・・・
そこに古代風の「鎮護国家」にむすびついた一種の「神国思想」がみられる。また内乱を通しての犠牲者と、そこに生ずる無常観は当時の誰しも抱いたところである。或いはなぜ天災地異がくりかえされるのか。鎌倉の大地震や、疫病飢餓の発生を深く憂えているが、これも当然のことだ。内乱と天災と疫病と、歴史とは恐怖の歴史だとい実感に立っていることは、いずれの出家にも共通している。
亀井勝一郎


文応元年、1260年、日蓮、39歳の時、北条時頼に、立正安国論を、提出している。

その中で、驚くべき日蓮の、稚拙さは、誤った神仏を拝むからであるという、ことだ。
国家が、題目を選択して、皆、題目を唱えれば、国家安泰であるという、実に、飛躍した、病ともいえる、提言である。

日蓮は、歴史を、お勉強する暇が、なかったといえる。

正しい教えこそ、国を救うという、鎮護国家と、国家が、奨励する、正しい教えを言う。
それは、国会戒壇である。つまり、国の戒壇を法華経に置けということである。

この、無茶苦茶な、言論に、果たして冷静に、対処できるだろうか。
様々な問題を抱えて、日夜、様々な方法を指示しなけばいけない、為政者が、真っ当に、受け入れることが、出来るだろうか。

空海と、比べると、非常に、稚拙で、劣る行為である。
空海は、決して、そのような方法ではなく、既成事実として、着々と行為した。
天皇の目の前に、寺を建てる。
私には、これだけの、力がありますと、内外に、広告宣伝するという、やり方である。

どちらが、大人か、一目瞭然である。

さて、私が、思うに、何故、念仏宗、特に法然を攻撃し、更に、道元禅を、攻撃したかである。

浄土宗は、釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏と思ひて、教主を捨てたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳有て父母を下ぐるがごとし。仏をさげ、経を下す。これ皆本尊に迷へり。
日蓮 開目抄

モンゴルが襲来した時、真言宗、その他の、祈祷が全く無意味であると主張した。
ただ、法華経によってのみ、国難を救うことが出来るというのである。

日蓮は日本国の棟梁なり。予を失うは日本国の柱を倒すなり。只今に自界反逆難とて、どうしうちして、侘国侵逼難とて、この国の人々他国に撃ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせられるべし。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏、長楽寺等の一切の念仏者、禅僧が寺搭をば焼きはらひて、彼らが頸を由比の浜にて切らずば、日本国はほろぶべし。
日蓮 撰時抄

このような、言葉を見れば、躁病的誇大妄想と、いえる。


まさに狂信独善の人という以外にないが、ただここで見のがしえない一事がある。それは実際に頸を切られそうになったり、流刑に処せられたのは日蓮自身であり、彼を迫害したもののなかに、徒党を組む念仏者が多かったということである。狂信独善の人のようにみえる背後に、実は日蓮の信仰の秘密がある。
亀井勝一郎


法華経の信仰は、何によって、身証されるかという、問題である。
それは、受難を、もたらすものでなければならなかったという、秘密である。

法華経に書かれる言葉は、法華経を広めるには、難が降りかかるという、実に、驚くべき詭弁がある。

迫害に耐えることによって、法華経の真実が、現れるという、信仰である。
別の言い方をすれば、マゾである。

日蓮は、躁病的誇大妄想の、自作自演を演じたということである。

今になってみれば、この、日蓮の無作法、病的行為を、皆々、やや肯定し、意志の人などと、持ち上げているが、生業である。

亀井勝一郎も
すべての信仰のめざしている「無私」を、彼も決して忘れなかった。
と、言うが、違う。

本当に、そうならば、日本国のために、勝手に、祈り、その安泰を願うはずである。
我、日本国の棟梁なりと、言うならば、何故、黙々と、日本国のために、祈らないのか。

俺を、認めろ。俺を、認めろと、言うのである。

私は、戦争犠牲者の追悼慰霊行為を、行っているが、そこでは、多くの人、淡々として、出来ることを、している人が大勢いることが、解った。
彼らは、世に訴えるより先に、行為行動している。
現地の人との、触れ合いで、日本兵が、お世話になったことを、身を持って、行為し、感謝している。
私は、それを、見る、聞く度に、明るい気持ちになる。
世に主張せずに、淡々として行為する者、その者こそ、日本国のために、行為しているのであると、観るのである。

日蓮は、何をしたのか。
何一つ、実績あるものを、為していない。
飢餓にある人々を、救ったのか。
死者を葬ったのか。

あの時代、黙々と、死者を、弔った無名の僧たちがいる。
そこから、葬儀が、僧侶に手になるという、事実がある。

私は、日蓮という、誇大妄想の、宗教家より、無名の、僧たちの、悲しみを、釈迦仏陀の、教えを、実行する者として、受け入れている。

様々な、問題を抱えた、為政者に対して、更なる混乱を、巻き起こし、自作自演で、迫害されたり、流されたりして、故に、日蓮の、仏法は、正しいなどと、ほざく様、だだ、見苦しいのである。

日蓮の言い方で、日蓮を評すれば、彼は、インド魔界の、バラモンの神々の系列を汲むモノが、指導して、日本を、混乱させるために、送られた者であると、言う。

日本には、あのような、破壊的な人物は、生まれない。
新しい時代を、切り開くために、織田信長という、破壊者を、生んだが、全く、それとは、意を異にする。

織田信長が現れなければ、日本の歴史は、実に遅れたであろう。
近代を、拓いたのである。
そして、役目を終えると、50を前に、死んだ。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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