2008年09月04日

性について 34

分子生物学からの、男女の生物学的、成り立ちをみた。

驚かれた方もいると、思う。
男は、女から出来たという、事実である。

勿論、これで、男と女の脳の仕組みについて、書きたいところだが、後日に譲る。

そこで、女のエロス、エロティズムというテーマに、移ってみたい。というのは、生物学的に、女が、主体であれば、その女のエロスに対する、情動がどんなものかを、知りたくなるのである。

ここで、明確にしておきたいことは、男と、女の世界は、それぞれ、固有の世界であるということだ。
エロスに対しての、情動は、あまりにも、乖離していると、私は、考えている。
溝が小さいが、それは、埋めることの出来ない、溝である。

端的に、セックスとは、勃起したペニスが、女の膣に入る、男のペニスを、膣に入れるという行為である。

よって、不能の男、つまり、インポテンツの男は、セックスが出来ないということになる。

勿論、例外はある。
性器結合だけが、セックスではないという、考え方もある。
それは、また別に論じることにする。

男には、不能があるが、不感症ということは、有り得ない。

そして、女には、不感症というものがあるが、性交不能ということは、有り得ないのである。

女の肉体は、いつでも、受け入れることが、出来るが、男は、勃起していなければ、挿入は、出来ない。
女は、どんな場合でも、男によって、肉体を開かれることが、可能である。

男は、勃起さえすれば、眠っている女とでも、死んだ女とでも、セックスは、可能である。
更に、男は、女を強引に、強姦することが、出来るが、女は、男を基本的に強姦することは、出来ないのである。

男が、その気にならなければ、女は、性的満足を得ることが出来ない。
それは、男の欲望が、攻撃的であり、能動的であるということである。逆に、女は、受身でいるしかない。
女が、攻撃的であるということは、男を、その気にさせるという、媚態のみである。

更にである。
セックスは、男の射精によって、終わるという、動かしがたい事実がある。
女が、エクスタシーを、感じなくても、男が、射精をすれば、セックスは、終わる。
更にである。
女が、満足しようが、しまいが、射精されてしまえば、女は、妊娠するという、生物学的、結果が、表れる。

男の性的満足が終わった後から、女の性的歩みが、始まるという、事実を無視出来ない。
女のエロスとは、何か。

男の、ペニスが、面に出ているということは、実に、男と女の関係に、不思議な、陰影を与える。

男は、物心ついた時から、ペニスを見て育つ。しかし、女は、ペニスが無く、膣は、体の中にあるという、決定的な、生物としての、違いがある。
これを、理解しなければ、話は先に進めない。

当たり前ということだが、その当たり前を、理解し、受容するには、時間がかかる。

女の子は、自分にペニスというものが無いということで、劣等感を抱くという、報告がある。

これから、女の性的役割が、受動態であり、女は、男の、能動態、つまり性的欲望の、客体になるという、事実が解る。

フロイトが言う、リビドーという観念は、性的欲望であり、それは、男に対するもので、女の、リビドーという観念は無い。

それでは、女に、欲望は無いとかといえば、そんなことはない。しかし、男の欲望とは、異質であるということだ。

男の欲望の元は、ペニスである。
ペニスの、リズムが、欲望である。

女の、セックスの主体性を、確立しようとすると、必ず、躓く。

女にも、色情狂という者がいると、言われるだろうが、女の色情狂の、裏には、不感症という、病理があるのだ。
奔放な性的行動を取る女は、その時期、不感症であると、言える。

奔放な女が、不感症ではないとすれば、そんな行為を、続けていれば、死ぬ。

男の、エロティズムを知る女は、レズにしか、見出せないはずである。
しかし、これは、特殊な場合であり、別に同性愛を書く時に、論ずることにする。

それでは、女のエロスに対する、本質的な、ものは、何か。

まず明らかなことは、女のエロティズムを支配する本質的な要素の一つが、自己の内部に欲望の芽を育てることではなくて、むしろ相手のうちに欲望を掻き立てることだ、ということである。まず相手の欲望を生ぜしめ、次いで自分もそれを共有する。だから女における欲望とは、一般に、彼女が相手の男の中に目覚めさせる欲望の函数である、と言うことも可能だろう。
澁澤龍彦

つまり、どんな、積極的な女でも、我が身を、客体化させて、はじめて、自身の欲望を達成させることが、出来るというもの。

女のセックスとは、だから欲望するものではなくて、本質的に欲望されるところのものである。
澁澤龍彦

女の、欲求不満は、一つの男の愛情と、その肉体と、ペニスによって、満たされる。しかし、男の場合は、そうではない。肉体の満足だけではなく、精神的、頭脳的な、満足を求めるのである。

それが、男と女の乖離である。

浮気は、男の性的特徴である。
どんなに、愛する女がいても、男は、別の女と、セックスすることが、可能である。
また、その、セックスは、愛する女とは、別のものなのである。
これが、男と女の、埋められない、小さな溝だと、私は言う。

セックス時における、男と、女の違いに、それが、明確にされる。
男は、眼を開いて、女の姿態を見て、興奮し、満足感を高めるが、女は、眼を閉じて、その快感に身を浸すのである。

これは、どうしようもない、溝である。



posted by 天山 at 00:00| 性について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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