2008年08月18日

性について 18

もう少し、生理学的に、性的快感というものを、俯瞰する。

皮膚感覚である。
人は、皮膚に対する意識が低いようである。
この、皮膚感覚が、実は、性感というものと、密接に関わっている。

皮膚は、絶えず成長する。
体温を調整し、防水壁となり、発汗させて、細菌の侵入を防ぐ。太陽光線を取り込んで、太陽の栄養素を、受け取る。
太陽の栄養といっても、ピンとこないかもしれないが、体に必要な、栄養は、太陽から来ると、思っても良い。
一つだれ、例を上げる。
カルシュウムを摂取しても、太陽の光がなければ、体に取り込まれないのである。つまり、ビタミンDである。それがあって、はじめて、体に、カルシュウムという、栄養素が、出来上がる。
今は、ビタミンD配合の、カルシュウムが、健康食品で、売られているが、本来は、太陽の光を、浴びた方が良いに決まっている。
ただし、紫外線というものもあり、程度である。

欧米人が、太陽の下では、兎に角、裸になるのは、日射時間が少ない地域で暮らすからだ。

皮膚は、頭髪や、腺、神経部分などの、付属器官と共に、性的調節と、密接な関係を、持っている。

皮膚の表面にある、感覚受容器の数は、100平方ミリメートルの中に、約50の受容器がある。
皮膚から、後根を経て、脊髄に入る感覚線維の数は、50万本以上である。

これに対応する、脳の、触覚領域も、広いといえる。

例えば、髪を触られて感じるのは、毛根のまわりの、皮膚感覚の、受容器・リセプターである。
この器官は、毛に刺激があったことを、知らせる働きをする。
圧感を受容する、パチニ小体は、長さが、一ミリメートルで、皮膚のかなり深いところにある。

その、皮膚感覚というものが、変形して、くすぐったさ、かゆみ感覚、そして、性感というものがある。

脇の下や、足の裏に、刺激を与えると、くすぐったくなるのは、特別なリセプターがあるわけではない。
心理的な感受性が、変動して、同じ刺激でも、気持ちのあり方によって、くすぐったくも、快感にもなるのである。

かゆみ、というものは、痛感のリセプターに対して、弱い刺激が続くと、起こる。
外傷や、炎症のときには、遊離される、ヒスタミンなどによって、神経終末を刺激するため、かゆみ、が起こる。

しかし、これが、曲者である。
かゆみ、というものの、本体が、性的不満によって、起こる場合がある。

愛情不満、欲求不満が起こると、皮膚に、かゆみ、が起こる。
触れて欲しいという、むずむずとした、欲求が涌いてくる。
酷くなると、長引く湿疹ということにも、なる。

これは、人間のみの、感覚である。
情操である。
性的情操が、満たされない時に、かゆみ、となって、現れるのである。
特に、女性である。
性欲障害とでもいう、状態になると、かゆみ、が、酷くなる。

性欲が、かゆみ、という感覚で、表現されるという、実に、面白いことである。

専門家に言わせると、大半の、長期的かゆみ患者は、そのようである。

甚だしい場合は、性器の、かゆみ、にもなる。
原因が無いのに、アソコにかゆみが生じるのであれば、欲していると、考える。

これを、深めていくと、性感覚とは、ペニス、膣、クリトリスによる、摩擦である。

愛は、摩擦の深さであると、私は言う。

リセプターは、パチニ小体と同じ構造であり、触覚系の変形である。
つまり、接触摩擦が、快感というものを、生み出すのである。

準じて、乳房、そして、体全体が、性感帯となり、触覚刺激によって、性感というものを、高める。

それは、人間だけが、持つものである。
故に、人間とは、性感という感覚を、有するモノであると、言える。

性的交わりは、皮膚が、全面的に関わりを持つのである。
オルガズムに、達するのは、男女共に、皮膚刺激、摩擦である。

性は、皮膚である、とも、いえるのだ。

性的接触の、最大の触覚感覚は、当然、粘膜である。

特に、ペニスは、それに寄り、絶大な快感を得る。
であるから、粘膜感覚に近いもの、オイルなどで、作り出すと、膣挿入でなくても、十分に性的満足感を得て、更に、射精する。
要するに、男の場合は、それを、つまり、射精商売というものが、成り立ち易いのである。

生理学的に、言うと、人間の性交は、運動筋の働き、言語、皮膚と同じ、外胚葉性の、視覚、味覚、臭覚と、深部感覚の、付随的な刺激によって、補強される。
実に、複雑になっているのである。

性交するために、出来た体であるとも、いえる。
適度な、セックスが、生きるエネルギーを、生むということである。

更に、セックスの、喜びは、人生の、喜怒哀楽を超えることもある。
どんな、辛い状況でも、セックスの喜びで生きられる。

この、刺激に対する、感受性は、胎児、乳児、幼児期の、皮膚感覚経験によって、決まる。

この時期、性感帯としての、役目を担う皮膚の表面が、子供の成長に、多様な機能を果たしているといえるのである。

接触による、コミュニケーションが、人間にとって、実に大切であるか、ということだ。

霊長類に広げると、サルの場合は、毛づくろいという、行動。それは、社会的、絆でもある。毛づくろいの他に、軽く体を叩く、鼻を擦り付ける、キスをするなど。

下等哺乳類のように、舐めることから、キツネザルのように、歯で梳き取る、指での、毛づくろい、撫でるという、愛撫まである。

接触という行為にも、進化がある。

皮膚は、脳に次いで、最も重要な、器官であるといえる。

皮膚感覚のうち、接触感覚は、すでに胎児の最初に発達する。
ヒトの新生児の、体重の全体に対する皮膚の、重さの割合は、19,7パーセントである。成人では、17,8パーセントである。
それほど、変わらないというところに、生理的な重要さがあると、いえる。

さて、動物の場合は、相手の体に対する、攻撃という行動に、一種の性行動のパターンを形成している。
それが、問題である。

ヒトの場合も、相手に苦痛を与えることによって、性的興奮を得るといえる。
それが、人間が行う場合は、サディズム、その逆の、マゾヒズムといわれるものになる。

それは、すべての人間に内在しているものであると、言い切れる。
それを、どのように、表現するかで、人間としての、質に関わってくると、思うのである。

叩くことによって、作り出される苦痛と、性的快感とのつながり、という、それも、幼児期における、条件づけになるのである。
専門的に言うと、残忍性性欲倒錯という。

さらに、それが、永続的になると、一つの病理として、対処しなければならない。

苦痛と、残忍性が、挑発的性的快感を、引き起こす、異常行動である。
マゾヒストは、苦痛、嫌悪、屈辱の体験を、身につけ、性的興奮を、導き出す。
サディストは、苦痛、不快、恐怖、屈辱を他人に課して、性的快感とする。

共に、倒錯と言われるが、その基準は、無い。
二人の間で、許される範囲での、行為であれば、それは、愛の行為であり、相手が、それを、求めることがないのに、強制すれば、倒錯であろう。

歴史上の人物を、検証すれば、政治に、その、性的感覚、性的快感を持って対処した例が多い。その、大半は、倒錯と呼べる、残忍性である。

また、そのような、事件を起こし、人を殺害する者は、残忍的性欲倒錯と、判定してもいいと、思われる。

更に、弱者に対する、性的興奮というものも、ある。
幼児、児童に対する、性的欲求である。
一般に、幼児性愛と言われる、ロリコンである。
これは、上記の、残忍性のあるものと、同じく、病理であり、治療が必要であると、言う。

幼児期から、親の性的虐待にあった、女性の相談を、多く受けたが、それは、後々まで続く、精神的苦痛となり、甚だしくは、自分の性を、投げ捨てるような、性行為を望む。

そこから、解放されるために、本人は、血の滲むような、苦労を重ねる。
しかし、それから、逃れならなかった人は、神経症を持続して持ち、或いは、抑鬱を続け、通常の性行為を、持てない者もいる。

子供の悲劇は、大人の欲望によって、成るということである。

この、性的残忍性のある、性的倒錯者を、侮ってはならない。
つまり、一度や二度の反省では、治らない。
人権の問題もあるが、治らないものは、治らないのである。

西洋の一部地域では、去勢という、刑を採択したところもある。
当然である。




posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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