2008年08月17日

もののあわれ279

少将のなき折りに見すれば、「心うし」と思へど、かくおぼし出でたるもさすがにて、御返し、くちときばかりをかごとにて、取らす。


ほのめかす 風につけても したをぎの なかばは霜に むすぼほれつつ

手はあしげなるを、まぎらはし、ざればみて書いたるさま、しななし。ほかげに見し顔おぼし出でらる。「うちとけで向ひ居たる人は、え疎みはつまじきさまもしたりしかな。何の心ばせありげもなく、さうどき誇りたりしよ」とおぼし出づるに、憎からず。なほこりずまに、又もあだ名たちぬべき、御心のすさびなめり。



少将のいない時に、見せると、困ったことと、思いつつ、思い出してくれたことを、嬉しく思い、お返事だけは、素早いという取り得である。
小君に、歌を渡す。


風のお便りにも、萩の下の葉は、霜のせいで、思い萎れております。

筆は、下手なのに、上手めかして、洒落て書いたつもりが、品がない。
女に対する、作者の、容赦ない、感想である。
源氏は、燈の光で見た顔を、思い出す。
取り繕っていた人は、とても忘れられないが、若い方は、何の嗜みも感じなくて、はしゃいで、得意になっていた。と、思うのである。
そう思えば、まんざらでもなく、やはり、懲りもせず、またも、事件をおこしそうな、浮気心のある、様子であると、最後に、作者は、付け加える。

源氏という男、どうしようもない男である。
作者が、そのように、思っている。

しかし、作者の、女に対する、言い分は、容赦がないというのが、面白い。



かの人の四十九日、しのびて、比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて、さるべき物どもこまかに、誦 などさせ給ふ。経仏の飾りまで、おろかならず、惟光が兄のあざり、いと尊き人にて、になうしけり。御ふみの師にて、むつまじくおぼす文章博士召して、願文つくらせ給ふ。その人となくて、あはれと思ひし人の、はかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に譲り聞ゆるよし、あはれげに書き出で給へれば、博士「ただかくながら、加ふべき事侍らざりめり」と申す。しのび給へど、御涙もこぼれて、いみじくおぼしたれば、博士「何人ならむ、その人と聞えもなくて、かうおぼし嘆かすばかりなりけむ、宿世の高さ」と言ひけり。しのびて調ぜさせ給へりける、装束の袴を、取り寄せさせ給ひて、

源氏
泣く泣くも けふは我がゆふ 下紐を いづれの世にか とけて見るべき

この程まではただよふなるを、いづれの道に定まりて赴くらむ、と、思ほしやりつつ、念誦をいと哀れにし給ふ。頭の中将を見給ふにも、あいなく胸さわぎて、かの撫子のおひつたつ有様、聞かせまほしけれど、かごとにおぢて、うち出で給はず。


かの人とは、あの女、夕顔である。
四十九日を、人目を忍んで、比叡山の法華堂にて、諸事を略さずに、僧たちへの、布施の衣装をはじめ、必要なものを準備して、読経なども、頼むのである。
経巻や、仏前の装飾まで、丁寧にされる。
惟光の兄の、あざりが、実に高徳の僧であって、またとないほどに、勤めた。
文学の先生で、親しくしていた、文章博士を呼び、願文を作らせる。
誰とは、言わず、情をかけていた女だということで、阿弥陀仏に引き渡す旨を、哀れを催すほどに、書き綴られていた。
博士は、全くこのままで、一字も、加える所は、ございませんと、言う。
我慢していも、涙がこぼれる。
たまらない様子の源氏に、博士は、誰なのだろう。だれそれと噂にのぼらず、しかもこんなに、悲嘆にくれるとは。果報の高い人ですと、言う。
内々で作らせた、布施の袴を、手元に取り寄せて

泣きの涙で、今結ぶ、この紐を、いつの世にか、また相逢って解き、また、打ち解けよう。

とけて見るべき
これは、セックスをしようということである。
打ち解けようとは、そのまま、性行為のことである。
大胆な歌を、詠ませるものである。

この時分までは、中有に、迷うとのこと。
六道の、いずれに、行くのであろうか。
それを、思い、念仏を熱心にするのである。
頭の中将と、お会いされても、わけもなく、胸が、どきどきして、あの、撫子の育つ様子を、聞かせたいと思うが、怨み言を、言われるのが、嫌で、口に出さないのである。

あはれと思ひし人の はかなきさまになりたる
愛しいと、思う人が、亡くなってしまった、それを、言う。

ここで、面白いのは、比叡山の法華堂にて、念仏である。
平安期は、浄土思想が、花盛りである。
中国浄土宗である。
まだ、鎌倉仏教には、遠い時世。

当時の人、皆、阿弥陀仏という、仏の世界を憧れた。
それを、極楽という。
死後の世界というものを、明確にしていた時代である。
しかし、それは、それ以前の伝統があることを、忘れては成らない。
全く意識にないものは、受け入れないのである。
しかし、浄土思想を、受け入れたということは、受け入れる余地、器があったということである。

矢張り、紫式部も、出家することを、考えることがあった。
しかし、結局は、在家に留まる。

死の救いというもの、阿弥陀仏の世界へという、安心を、得ることで、逃れたようである。
それも、一つの、死の様である。

後に、仏教の説話集などに、紫式部の迷い霊などの、話が、出て来る。都合の良いように、人間の欲望の様を、描いたことを、悔いているというのである。

仏教が、次第に、庶民にまで、定着すると、欲望は、煩悩とされて、嫌われるが、そこから、人間は逃れられないし、逃れては、生きて行けない。
その、どうしようもないものを、取り上げて、仏教家たちは、大手を振るのである。

人間の、欲望を手玉に取り、あることないことを、吹聴して、脅し、布施を要求し、自分たちは、欲望のままに、行動するという、堕落の、日本仏教が、出来上がってゆく。
勿論、今も、その続きである。

自分たちは、欲望三昧の生活をし、信者には、欲望は、煩悩である、それから、救われるには、云々と、愚にもつかない、説教を演じてみせるという、もの。
大いに、笑う。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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