2008年08月12日

もののあわれ274

あやしう夜ふかき御ありきを、人々、「見苦しきわざかな。このごろ、例よりも静心なき御しのびありきの、しきるなかにも、きのふの御気色のいと悩ましうおぼしたりしに、いかでかくたどりありき給ふらむ」と、嘆きあへり。



あやしう深夜の、お出歩きを、女房たちは、みっともないことです。この頃、いつもより、そわそわして、お忍び歩きが続いていますが、昨日は、特に、ご気分がすぐれない様子でしたのに、どうして、ふらふらと、お出かけ遊ばすのでしょう、互いに嘆きあう。

あやしう
怪しい、出歩き。
不可解な、である。



まことに、臥し給ひぬるままに、いといたく苦しがり給ひて、ふつかみかになりぬるに、むげに弱るやうにし給ふ。内にも聞こしめし嘆くこと限りなし。御祈り、かたがたにひまなくののしる。祭り、祓へ、修法など、言ひ尽くすべくもあらず。「世にたぐひまなく、ゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにや」と、あめの下の人のさわぎなり。



お休みなさったまま、酷く苦しがり、二三日のうちに、大変な衰弱の様子である。
帝も、それを、聞いて、大変、限りなく、嘆いていた。
ご祈祷は、方々で、ひっきりなしの、大騒ぎである。
祭り、祓え、修法など、言い切れない有様である。
またとない、ご立派な方であるゆえに、長生きしないのではないかと、天の下、つまり、民が、騒ぐのである。


ゆゆしき御ありさまなれば
特別の立派なお方である。
通常ではない、御人である。



苦しき御ここちにも、かの右近を召し寄せて、局など近く賜ひて、さぶらはせ給ふ。惟光、ここちもさわぎまどへど、思ひのどめて、この人のたつきなしと思ひたるを、もてなし助けつつ、さぶらはす。君は、いささかひまありておぼさるる時は、召し出でて使ひなどすれば、ほどなく交らひつきたり。ぶくいと黒くして、かたちなどよからねど、かたはに見苦しからぬ若人なり。



苦しい中でも、あの女の、右近を、召しだし、部屋などを近くに与えて、お召し使えとされる。
惟光は、動顚し、狼狽するが、心を落ち着けて、右近には、拠り所もないと思い、色々と世話をして、お仕えさせる。
君は、少しでも、気分がよい時は、呼び出して、使ったりするので、次第に、御殿にも、馴染んだである。
喪服を、濃い黒で、固めて、器量などは、それほどではないが、見られないほどの姿ではない、若い女房である。


ぶくいと黒くして
喪服のこと。
特に、黒々とした喪服である。

かたはに見苦しからぬ若人なり
見られないという程の、器量でもない。若い人である。
その前に、かたちなどよからねど、とある。これは、器量は、それほどてもないという。



源氏「あやしう短かかりける御契りにひかされて、我も世にえあるまじきなめり。年頃の頼み失ひて、心ぼそく思ふらむなぐさめにも、もしながらへば、よろづにはぐくまむとこそ思ひしか、ほどもなく又たちそひぬべきが、口をしくもあるべきかな」と、忍びやかに、宣ひて、弱げに泣き給へば、いふかひなき事をばおきて、いみじく惜し、と思ひ聞ゆ。


源氏は、不思議に、短い縁にひかれて、私も、とても、生きていけないような気持ちだ。
長年の頼みの綱を、失い、心細く思うだろうが、それを、慰めるためにも、もし生き永らえたら、一切、面倒を見て上げようと思った。
しかし、自分も、間も無く、後を追いそうな、気がする。
残念なことだと、小声で仰り、傍目にも、弱々しく泣くのである。
言っても、甲斐のないことだが、たまらなく、悔しいと、思い直すのである。


よろづにはぐくむこそ
後の、すべての、面倒をみる。
通常は、育てるのである。

しかし、ほどなく又たちそひぬべきが
ほどなくして、我も、たちそひぬべき、か、である。
立ち添いぬべきか、とは、誰にか。それは、死んだ女にである。つまり、自分も、死ぬのではないかと、思うのだ。

それ程、源氏は、弱い男である。
女の死が、源氏には、耐えられない程の、恐怖になった。
死を知らない者である。


このような、源氏の、後に残された者に対する、思いをもって、本居宣長などは、もののあはれ、というものを、観たようである。
人と人の、慈愛の関係にある、もののあはれ、である。

人と人の、機微から観る、もののあはれ、というものも、ある。
心の、細やかさである。
それは、心を砕くこと、相手に、共感し、そして、その心を共生しようとする。

しかし、私は、それ以上に、紫式部の筆の、風景と、情景に、もののあわれ、というものを、観るものである。

確かに、我も世にえあるまじきなめり、と、痛烈な思いに駆られる。
それは、源氏の若さゆえであろうし、作者である、紫の思いでもあろう。
夫を、亡くした後の思いを、ここに、込めるのである。
人の死は、実に辛いものである。
その後に、残された者は、どのように生きればいいのか。
実際、我が身も、死にたいと思うのである。
しかし、生かされるまで、生きなければならない。

人の死を実感として、感じた作者の思いが、込められている。

人の死ほど、もののあわれ、を、感じるものはない。
どうしようもないもの、それは、人の死である。
その、死を、どのように、受け止めるのか。
それが、もののあわれ、という心象風景の、行くべき先であろう。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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