2008年08月04日

性について 4

性欲の、脳の働きというものを、見る前に、心の動きについて、言う。

性欲と、恋愛を、一緒に出来ないのが、人間である。
単純に、あの人と、セックスをしたいという、恋愛というものがある。勿論、本人は、そんなことを、考えていないと、信じている。しかし、セックスをした、途端に、熱が醒めるということ、多々あり。

ある青年は、初めての体験の時に、相手の、膣に、ペニスを入れて、愕然としたと言う。その、あまりの、味気なさにである。
マスターベーションの、味わいに比べたら、何ほどのものはないと。
しかし、その後、彼は、女にモテた。
要するに、膣では、中々射精をしないのである。故に、長い時間を、要するのである。女には、それが、気に入られたという、変な話。

また、その逆も、ある。
ほとんど、受験勉強に終われ、性欲なども、失せる程の、お勉強をして、大学を卒業し、そうして就職し、落ち着いたところで、先輩に連れられ、ソープに初めて行き、こんな、快感があったのかと、のめり込んで、遂には、仕事を、辞めて、女の部屋で、セックス三昧に、陥った者である。

ただし、男の場合は、女と、違い、時間の差はあるが、一度、冷静に、立ち戻ることが、出来るので、暫くの無駄な、時間を、セックスに明け暮れたが、結局は、ごく普通の、欲望に戻った。

余計な、話が、続いたが、私の書きたいことは、人間の精神は、性欲と、比例するものではないということを、言いたいのだ。

人間だけは、他の動物と、違い、恋に恋するという、芸当が出来るのである。

性を、考える時、この、精神状態というものが、実に、良い、手掛かりになる。

つまり、人間の性は、単に性欲のみで、測れないものなのだということだ。

手に入れられないモノを、手に入れた時の、性の快楽は、言いようも無いものである。
性欲が、主たる意味ではないが、そのモノを、手にいれたことによる、優越意識に、似たような、意識が、性欲よりも、別な欲望を、満たすのである。

例えば、浮気や、不倫であり、兄の嫁を、寝取る、弟の行状などに、それを、見る。

それは、性欲ではない。

このようにして、色々と、性欲にまつわる行動を、見ることによって、性というものを、純粋に見つめることができるのである。

エロスの運動は、ふしぎな道程をたどるもので、出発点では幸福を望んでいながら、終点では幸福を拒否するという結果になることがある。快楽を拒否し、苦悩を求めるという結果になることがある。
澁澤龍彦 エロスの運動

このような、複雑な、心境を持てるのは、人間のみである。
他の、動物には無い。

更に、複雑化するのは、
肉の愛が精神的な愛に高まって行くのが、プラトン的な意味におけるエロスの運動だとすれば、逆に精神的な愛が肉の愛に下降するというような場合も、当然、考えられるだろう。これを哲学上の言葉で「逆プラトニズム」と称することがある。
澁澤龍彦

と、いうのである。
しかし、何故、精神的な愛が肉の愛に、下降、するというのだろうか。
それは、上昇かもしれない、のに。

無意識的に、精神が、肉よりも、何かしら、価値のあるものだとの、意識があるようである。
そういうことを、考えられるのも、人間だからである。
私は、前頭葉の、働きだと、思う。

ただし、澁澤龍彦は、逆プラトニズムも、情熱恋愛という、精神的なものと、同じ方向ではないとか、言う。
澁澤龍彦は、いつも、冷静である。

その、澁澤が、存在の不安という、エッセイで、存在の孤独というものを、考えるのに、以下のような、考え方をしている。

アメーバーは、分裂によって、増殖する。
分裂後は、個体として、また、分裂を繰り返し、増殖してゆく。
彼らには、死というものがない。

進化して、有性動物になると、つまり、雄と雌になると、たちまち自己保存の本能、個体維持の本能が、表れる。
個体維持というのも、本能と、私は、思わなかった。
自己を、保存しようとする、本能があるというのが、不思議である。
確かに、種族保存は、本能であると、言われる。

本能については、また、いずれ、書く。

さて、雄と雌が、生殖のために、一時的に結合して、離れて別々に死ぬという、現実がある。
澁澤は、存在の孤独とは、たぶん、ここから由来するという。

欠けているものを満たすために、分離によって生じた不安を逃れるために、男女は互いに結合するわけであるが、束の間のオルガスムが過ぎれば、ふたたび独立した別の個体として、互いに離れなければならない。そうして、自分の意志に反して死ななければならない。もちろん動物も死ぬが、死ぬことを知っている動物は人間だけである。
澁澤龍彦

少し、訂正すると、動物でも、死ぬことを、知っているのである。
ただ、人間のように、恐怖が無い。

人間が、誕生して、成長するというのは、色々なモノから、分離してゆく過程であると、澁澤は、言う。
その通りである。
分離することによって、他者を認識し、世界を認識し、実存の意識に、目覚めるという、悲しい存在の、宿命であるとも、言う。

さて、この、事実に、目を背けて、妄想に生きるのが、宗教という、化け物である。が、それについては、神仏は妄想である、を、読んで下さい。




posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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