2008年08月03日

もののあわれ265

よひすぐるほど、少し寝入り給へるに、御枕がみにいとをかしげなる女いて、怪「おのがいとめでたしと見奉るをば、たづね思ほさで、かくことなる事なき人をいておはして、時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとす、と見給ふ。ものにおそはるるここちして、おどき給へれば、燈も消えにけり。


宵過ぎる頃、少し寝入りなさった時、枕元に、美しい女がいた。
その女が、ご立派だと、思い申している私を尋ねることなく、こんな取りえの無い女を連れて、大切にしてること、見ていられません、たまりませんと、言い、傍の女を、引き起こそうとする。
そんな夢を見て、うなされる気持ちがして、驚き、起きると、燭台の燈も消えていた。


長い前段階があり、いよいよ、この巻の、本ストーリィーである。

ちなみに、霊的なもの、ここでは、怪しきもの、は、夢という、意識と、無意識の狭間で、揺れる意識に、コンタクトするものである。
その有様は、夢だとしか、認識することが出来ない。
しかし、本当は、その、たゆたう意識の、中で起こることである。
心理学では、自分が起こしていると、考える。



うたておぼさるれば、太刀を引き抜きて、うち置き給ひて、右近を起こし給ふ。これも、おそろしと思ひたるさまにて、参れよれり。源氏「わた殿なるとのい人おこして「紙燭さして参れ、と言へ」と宣へば、右近「いかでかまからむ。暗うて」と言へば、源氏「あなわかわかし」と、うち笑ひ給ひて、手をたたき給へば、山びこのこたふる声いとうとまし。


不気味に感じて、太刀をそっと引き抜いて、そっとそこに置く。
右近を呼ぶ。
右近も、怖がっているようである。
源氏は、渡殿にいる宿直を起こして、紙燭をつけて参れと、言えと、命じた。
右近は、どうして、参れましょう、暗くて、と言う。
源氏は、笑い、子供のようじゃと、言い、手を叩いた。
その音が、山彦のように、響くのが、実に、不気味である。

いとうとまし
大変、疎ましい、とは、嫌な気分であり、それが、更に、気味の悪いものに、思えるのである。



人え聞きつけで、参らぬに、この女君、いみじくわななきまどひて、「いかさまにせむ」と思へり。汗もしとどになりて、われかの景色なり。右近「物おぢをなむわりなくせさせ給ふ本性にて、いかにおぼさるるにか」と右近も聞ゆ。「いとかよわくて、昼も空をのみ見つるものを。いとほし」と、おぼして、源氏「われ人を起さむ。手たたけば、やまびこのこたふる、いとうるさし。ここにしばし近く」とて、右近を引き寄せ給ひて、西のつま戸に出でて、戸をおしあけ給へれば、渡殿の燈も消えにけり。



人の耳には、入らず、誰も来ない。
この女は、ひどく震え、怯えて、どうしていいのか、解らない有様である。
汗も、びっしょりとかいて、正体もない様である。
右近が、むやみに怖がる性格です。どんな気持ちで、いられますやらと、言う。
とても弱々しく、昼間も、空ばかりを、見ていたのであると、思い、源氏は、私が、誰かを、起こす。手を叩くと、山彦が、響いて、うるさい。さあ、ここに来て、傍にいてくれ、と、右近を引き寄せる。
源氏は、西の妻戸に出て、戸を開けると、渡殿の燈も、消えていた。



風すこしうち吹きたるに、人は少なくて、さぶらふ限り、みな寝たり。この院の預かりの子、むつまじく使い給ふ若きをのこ、またうへわらはひとり、例の隋身ばかりぞありける。召せば、御こたへして起きたれば、源氏「紙燭さし参れ。隋身も弦打ちして絶えずこわづくれと仰せよ。人隠れたる所に心とけて寝ぬるものか。惟光の朝臣の来たりつらむは」と問はせ給へば、男「さぶらひつれど、おほせごともなし。あかつきに御迎へに参るべきよし申してなむ、まかで侍りぬる」と聞ゆ。


風が、そよめいているが、人は少なく、控えの者は、皆、寝ている。
この家の、留守役の子で、身近くお使いになる、若い男、そして、殿上童が一人、いつもの、隋身がいた。
お呼びに成ると、返事をして、起きてきた。
源氏は、紙燭をつけて来なさい。隋身も、弦打ちして、声をかけて、回れと、言う。
人気無しと思い、気を許し、寝る者があるか。惟光の朝臣が、来ていたであろうと、問うと、控えておりましたが、命もなく、明け方に、お迎えにまりると、申して、退出しました、と申し上げる。


さぶらう限り
全員ということ。

弦打ちして絶えずこわづくれ
弓の弦を弾き鳴らすことで、魔を祓うのである。
こわづくれ
声を出せ。名を言うとか、時刻を言う。

単なる夢のことで、これほどに、なるという、当時の感覚である。
夢というものも、一つの現実なのである。
単なる、夢では、終わらない。

感受性の違いである。
豊かに富んだものだった。



このかう申すものは滝口なりければ、弓弦いとつきつきしく打ち鳴らして、男「火あやうし」と言ふ言ふ、預かりが曹司のかたにいぬなり。内をおぼしやりて、「名体面はすぎぬらむ。滝口のとのいまうし今こそ」とおしはかり給ふは、まだいたうふけぬにこそは。


このように、申す者は、滝口の士である。
弓を、いかにも、それらしく鳴らし、火の用心と言いながら、留守居役の部屋の方に行く。
源氏は、その声に、宮中を思い出し、名体面は、済んだであろうか。滝口の、宿直、とのい、申しが、と推測する。
では、夜は、それほど、更けていないのである。
と、作者が、付け加える。


滝口とは、清涼殿の東北である。
御溝水の流れ落ちる場所にいる警備の、侍をいう。
蔵人所に属する者である。

宮中では、午後九時頃に、宿直の者が、名を名乗るのである。
その、名体面、つまり、名を名乗りあった後に、弓を鳴らし、更に名を名乗るのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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