2008年08月02日

性について 2

水棲動物には、挿入器官としての、ペニスは、無い。
故に、接触することはない、のである。

陸上の高等動物になって、昆虫でも、ペニスがある。
そして、雄と雌の、複雑な、接触が行われる。

空気中では、生殖液が、乾燥してしまうため、雌の体内に、精子を送り込むという、作業が必要になる。
これが、人間に続く、基本的な、性行為に、至るのである。

それでは、雄と雌を、強烈に曳き付けるものは、何か。
そのままでは、接触は、行われない。
人間以外の、動物は、性行為を、快適なものと、認識しているのか、どうか、解らないし、また、快適な、状態を維持しない、動物もいる。

人間だけが、明確に、性行為に、快楽が、付くのである。

これが、性の、正体なのであるが、話を続ける。

雄と、雌を、強力に、曳き付けるものは、匂いである。
すべての、動物の、性的欲求を、刺激するのは、匂いであるということ。

蛾や、蝶などの仲間は、何十キロ離れた場所からでも、雌の匂いを、知る。
雌犬の、膣にある、分泌腺からも、何マイルという遠くの犬に、それを、知らせるものがある。
この、匂いを、雄犬が、嗅ぐと、狂うように、興奮する。
だが、人間は違う。

ここである。
他の動物との、大きな違いである。
それを、進化というのか、私には、解らない。

人間は、臭覚でも、触覚でも、聴覚でもないのである。
人間の、最大の、性的興奮は、視覚である。

つまり、人間の性の、刺激は、視覚によるといえる。

ということは、性というものは、視覚によると、言えるのである。
性の前に、視覚という、働きがある。

しかし、それを、語る前に、再度、原始のヒトに、戻らなければならない。

性というものを、認識する以前の、ヒトの、歴史である。

それの、手掛かりは、未開部族にある。

これから、暫く、人類学者、性科学者の、論文を、見ることにする。

ポリネシアのトロブリアンド諸島の、原住民たちは、性交と、妊娠の間に、因果関係があることを、全く知らなかった。
性の欲望が、種族保存の本能であるという、説は崩れる。

原住民は立派な婚姻制度をもってはいるが、子供の出生に男があずかることを全くしらない。彼らにとって父という言葉は明瞭な定義があるけれど、その定義は全く社会的なものにすぎない。父は母と結婚し、母と同じ家に住み家族の一員となる男を意味する。
未開人の性生活 マリノウスキー

更に、驚くのは、
父はトマカバすなわち「見知らぬ者」より正確には「よそ者」の意味で呼ばれたりしている。この表現は、相続の問題を論じたり、あの種の行為に筋をとおそうとする時や、あるいは争いごとで父の地位が下がってしまった場合などにさいしての会話に、しばしば用いられる。

私は、暫し考え込んでしまった。

生殖が、妊娠と関係ないと、考えた場合は、関係あると、考える人たちとは、その、性に関する考えたから、あらゆる秩序が、全く違う、常識で、考えられ、行為されることになる。

これは、性というものを、考える上で、実に、参考になる、考え方である。

性と、生殖を別にすると、性行為の、乱れが起こるなどという、考えは、起こらないのである。
もし、今、文明社会という中に、性は、生殖と、別ものだとすると、どのようなことになるであろうか。
性の乱れ、甚だしく、収拾がつかなくなるであろう。
性が、生殖、妊娠と、結びつくから、抑制が、働くのである。

ここで、考え方を、実に、柔軟にしなければ、いけないことが、解る。

父が、こちらの、観念では、測れないとして、彼らの生活を見ると、今までにない、新しい、社会が、見えてくる。

これは、私には、開眼というようなものである。

性というものの、捉え方で、父や、母に対する観念が違うということ、当たり前であるが、驚きになる。

私がここで用いる「父」という言葉は、われわれの場合と異なって、法的、道徳的、生物的などの各種の意味内容をもっているのではなく、トロブリアンド社会での特殊な意味にとらなければならない。混乱を避けるために、父という単語のかわりに原住民の「タマ」を使い、また「父関係」のかわりに「タマ関係」といった方がよいと思われるが、実際にはあまりに不便である。そこで以後「父」という単語にぶつかった場合には、英語の字引にあるものとしてではなくて、原住民の生活の諸事情に照らして解釈すべきであるということを忘れてはならない。
マリノウスキー

ここで、私は、思考の柔軟性というものを、事実知った。
違うモノを、理解する時、その言葉自体の観念も、柔軟にして、切り替えることであると。

これは、異質なモノ、例えば、イスラム社会などを、理解する時にも、必要である。

私の常識は、私のモノであり、他者のモノではない、という、当たり前のことに、気付くのである。

故に、実に、学ぶべきなのである。
知らないことは、無いことであるから、出来る限り、学ぶことにより、異質なモノ、違うモノを、理解し、柔軟な姿勢に、立って、理解というものを、必要とするということ。
これは、国際化といわれる、世界に対処するためには、必要不可欠である、心構えとなる。



posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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