2008年07月21日

もののあわれ251

夕顔

六条わたりの御忍び歩きのころ、うちよりまかで給ふ中宿りに、大弐の乳母のいたくわづらひて、尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家たづねておはしたり。

六条辺りに、お通いになっていらしたころ、御所から、お出かけのお休みに、大弐の乳母が、重い病気のため、回復祈願のために、尼になっていた。
見舞うために、五条にある、家を探して、お出かけになった。


御車いるべき門はさしたりければ、人して惟光召させて、待たせ給ひける程、むつかしげなるおほぢのさまを見わたし給へるに、この家のかたはらに、檜垣といふ物あたらしうして、上は半蔀四五間ばかりあげわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきのすきかげあまた見えて、のぞく。

お召し車の入る正門が、閉じていたので、従者に惟光をお呼ばせになり、待っている間に、乱雑な、五条大路の様子を、見ていた。
すると、大弐の乳母の家の横に、檜垣というものを、作り、上の方は、半蔀(はじとみ)を、四五間ほど、上げて、簾なども、白く涼しげにしてある、その簾ごしに、中の女たちの、美しい顔の、ほの白い影が、のぞいているのが、いくつも見える。


をかしき 額つきの すきかげ あまた 見えて
美しい顔付きの、白い影が、沢山見える。


立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに、丈高きここちぞする。いかなる者のつどへならむと、やう変はりて、おぼさる。

動き回る、下半身を想像すると、結構、背の高い感じがする。
どんな、女たちが、集まっているのかと、物珍しく思うのである。

好色な男であるから、当然、興味が湧くというもの。

この巻の時、源氏は、17歳の夏から、十月である。

御車もいたくやつし給へり、さきも追はせ給はず、誰とか知らむ、と、うちと給ひて、少しさしのぞき給へれば、かどは蔀のやうなる、おしあげたる、見入れの程なくものはかなき住まひを、あはれに、「いづこかさして」と思ほしなせば、玉のうてなも同じ事なり。


御車も、質素になさっており、先払いもさせずに、自分が誰かと、解らないと、思いつつ、気を許して、顔を窓から、出して、御覧になるのである。
門は、蔀のような戸を押し上げて、手狭で、小さな住まいである。
可愛そうに思うが、自分にとって、どこが、我が家かと、思えば、玉のような家であると、思う。


切り掛けだつ物に、いと青やかなるかづらの、ここちよげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとりえみの眉ひらけたる。君「をちかた人に物申す」と、ひとりごち給ふを、随身「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲き侍りける」と申す。


切り掛けめいたものに、大変青々とした、つる草が、のびやかに、這い回っている。
その蔓に、白い花が、夏の日中、他に花などないのに、我一人と、嬉しげに、咲き誇っている。
そちらの人にお尋ねしたいと、独り言を言う。
すると、御随身が、あの白く咲く花は、夕顔と申します。こんなみすぼらしい、垣根に、咲きます、と、言う。


げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのもあやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどにはひまつはれたるを、君「口をしの花の契りや。ひとふさ折りて参れ」と宣へば、このおしあげたる門に入りて折る。


小さな家々がほとんどで、ごみごみした、この辺りの、あちらこちらに、変によろめて、いる。
しっかりしない、軒の端などに、花が、絡みついている。
君は、悲運な花だ、一房、折っておいで、と言う。
随身が、押し上げた門に入り、花を折る。

むつかしげなる わたりの この もかのも あやしく うちよろぼひて

街中の情景である。
むつかしげなる わたりの
乱雑で、ごみごみした

もかのも あやしく
あちらこちら、あやしい 、不安定である。
うちよろぼひて
しっかりとしない、不安定である。

源氏が、夕顔という花を、悲運な花だと言う。
つまり、そんな、状況の中に咲く花だからである。
口をしの花の契りや、と言う。
口惜しい花、咲くことの、契り、である。

庶民の暮らし、佇まいは、皆、そうであったろう。


さすがにざれたる遣戸口に、黄なるすずしのひとへ袴ながく着なしたるわらはの、をかしげなる、出で来て、うちまねく。白き扇のいたうこがしたるを、女童「これ置きて参らせよ。枝も情なげなめる花を」とて取らせたれば、門あけて惟光の朝臣出で来たるして、奉らす。

みすぼらしい家であるが、引き戸は、黄色い絹の単の袴を、わざと裾長く着た、女の童の、可愛らしいのが、出て来た。
随身を、手招きする。
香で、燻した白い扇を、指し出し、これに載せて差し上げて。枝も、ぶざまに見える花ですからと、言い、それを、渡す。
門を開けて、出て来た、惟光が、君に差し上げる。

枝も情なげなめる花
風情が無い。殺風景である。情なげめる花、それが、夕顔という花である。
それを、童に言わせるところが、凄いと、私は思うのである。

さて、物語の、訳の難しさは、敬語である。
すべてが、敬語になっているので、敬語の上乗せのような、訳になり、こんがらかるのである。
それも、紫式部の、策略であろうが、皇子を、主人公にしているので、そのようにも、なる。

ここでも、随身が、直接源氏に、渡さず、惟光が、出て来て、渡している。
物を渡すにしても、身分の違いというものが、解る。


惟光「鍵をおきまどはし侍りて、いと不便なるわざなりや。もののあやめ見たまえ分くべき人も侍らぬわたりなれど、らうがはしき大路に立ちおはしまして」と、かしこまり申す。


鍵を、置きなくしまして、まことに申し訳ありません。見る目を持ちます者もおりませぬ、辺りではありますが、むさ苦しい大路に立たれて、と、惟光が、申す。


身分の高い源氏が、来るような場所ではない。

更に、読み進めてみる。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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