2008年07月20日

もののあわれ250

源氏

うつせみの 身をかへてける このもとに なほ人がらの なつかしきかな

と書き給へるを、ふところに引き入れて持たり。かの人もいかに思ふらむと、いとほしけれど、かたがた思ほしかへして、御ことづけもなし。かの薄衣は、小チギのいとなつかしき人香にしめるを、身近く慣らして見い給へり。

蝉が抜け出した、木の元で、一枚の衣を残して去った人。
やはり、もぬけの殻ではあるが、人柄が懐かしい。

殻を抜け出した蝉に、譬えて、歌を詠む。
残されたのは、身をかへてける、モノである。
そこに、残る、このもとに、抜け殻に、である。

なほ人がらの
単なる、人柄ではない。
女の、感触である。その、感触が、懐かしいのである。

その書いた歌を、小君が、懐に入れて、持っている。
もう一人の人も、なんと思っているのかと、気の毒ではある。
しかし、色々思い直して、何の言伝もない。
あの、薄衣は、嬉しい人の、移り香が、しみついたものである。小チギ、チギという文字が無いため、仮名にした。衣偏に圭である。
源氏は、傍に置いて、見ておられた。


いとなつかしき人香、ひとが、にしめるを
大変、懐かしい人の香りが、染み付いている。

なつかしい、という言葉は、単なる、過去の思いを、思い起こすのではない。
なつかしく、思うとは、切実に、今を、思うのである。

なつかしくて 耐えられぬような 祈りの道を、つくりたい
八木重吉が、歌う。

心に、叶う心模様である。
なつかしき、モノとは、心から、離れない、温かい思いであり、そして、あはれ、なのである。
あはれ、なつかしきかな、である。

喜怒哀楽、すべてに、あはれ、という言葉がつくのである。
あはれ嬉しき
あはれ怒り
あはれ哀しみ
あはれ楽しき、である。

小君かしこに行きたれば、あね君待ちつけていみじく宣ふ。女「あさましかりしに、とかうまぎらはしても、人の思ひけむ事さり所なきに、いとなむわりなき。ひだりみぎに苦しう思へど、かの御てならひ取り出たり。さすがに、取りて見給ふ。


小君が、家に帰ると、姉君は、待ち構えていて、厳しく叱る。
あさましくて、兎に角、逃げるだけは、逃げました。きっと、疑いが、かけられています。困ります。こんなに、たわいもないお前を、あちら様も、どう思いになっているのか。
どちらからも、叱られ、やりきれなく思う、小君である。
しかし、あの、書きすさびを、取り出した。
怒っても、さすがに、手に取って、御覧になるのである。


「かのもぬけを、いかに伊勢をのあまのしほなれてや」など思ふも、ただならず。いとよろづに思ひ乱れたり。

あの、もぬけのから、を、と思う。どんなに、しめっぽかったかと。
伊勢をのあまの
鈴鹿山 伊勢男のあまの 捨て衣 しほなれたりと 人や見るらむ

伊勢には、男の海女がいる。置き去られた衣は、汗じみでいる、と思うだろう。

その、後撰集の歌を、想定して、伊勢というのである。

いとよろづに思ひ乱れたり
散り散りと、思い乱れるのである。


西の君も、もの恥づかしきここちして、渡り給ひにけり。また知る人もなきことなれば、人しれずうちながめて居たり。小君の渡りありくにつけても、胸のみふたがれど、御せうそこもなし。あさましと、思ひうるかたもなくて、ざれたる心に物あはれなるべし。


西の方の姫も、何やら恥ずかしい気持ちで、帰っていらした。ほかに知る人は無く、一人物思いに、耽る。
小君が、行き来するのを、見ても、気が気でない。
お便りも、ない。
あさましいと、感じる年でもないのである。つまり、事の真相を知らない。男と女のこと。
そして、人違いされたこと、である。
変だと、訳も分からず、お転婆であるが、しょげきっている。

紫の筆、あの、人違いした、娘を、忘れない。

ざれたる心に物あはれなるべし

少し、可愛そうであると、言う。
ものあはれ、なるべし
ものあはれ、という言葉が出る。


つれなき人も、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬ御気色を、ありしながら我が身ならば、と、とりかへすものならねど、しのびがたければ、この御たたう紙のかたつかたに、

うつせみの はにおく露の こがくれて しのびしのびに ぬるる袖かな

情のない女も、気をしき締めているが、浅くない御心を、思うと、結婚前の、我が身であれば、と、取り返しのつかないことを、嘆くのである。
この、御懐紙の、端に

儚い蝉の、その羽に置く露は、消えてしまうもの。
儚い私は、人目を忍んで、涙の露で、袖を濡らして、います。


空蝉の巻が、終わる。
次第に、物語は、複雑になってゆく。
しかし、その物語の流れには、もののあわれ、というものが、流れている。

作者の目は、何を見つめていたのか。
そして、何を描きたいのか。
何を、目指していたのか。

色好みと、雅に、隠されているもの、それを、もののあわれ、として、私は、見つめ続ける。

物語で、歌われる歌は、作者の歌詠みである。
作者の、心象風景に、存在した歌詠みである。

物語の中の、歌であるから、創作である。しかし、創作を、超えて、誰もが、共感したであろうことは、明白である。
世の中を、そのように、観たのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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