2008年07月15日

もののあわれ245

御ふみは常にあり。されど、この子もいとをさなし、心よりほかに散りもせば、「めでたき事もわが身からこそ」と思ひて、うちとけたる御いらへも聞えず。「ほのかなりし御けはひありさまは、げになべてにやは」と、思ひ出で聞えぬにはあらねど、「をかしきさまを見え奉りても、何かはなるべき」など、思ひかへすなりけり。

源氏からの文は、常にあった。されど、弟は子供である。もし、それを、落とすようなことがあれば、不運な自分は、また、さらに、不運に陥る。
それでは、あまりに、惨めであると、思う。
しかし、仄かに見た、美しい源氏の姿は、忘れられるものではない。
だが、恋は、同じ立場であるから、よいのであり、源氏の相手になるという、それは、無理なことである。
をかしきさまを見え奉りても
こちらの気持ちを知らせても
げになべてにやは
どうなることでもない、のである。
思ひかへすなりけり
反省するのである。


君は、おぼし怠る時のまもなく、心苦しくも恋しくもおぼしいづ。かろがろしくはひまぎれ立ち寄り給はむも、「人目しげからむ所に、びんなきふるまひやあらはれむ」と、「人のためにもいとほしく」とおぼしわづらふ。

それでは、源氏の方は、
君は、しばらくの間も、その人が忘れられないのである。
更に、気の毒にも思える。
恋しくも、思う。
かろがろしくはひまぎれ立ち寄り
自分がした行為に、女が、苦しんだ様子が、忘れられない。
人目の多い家であるから、忍んで会いに行くことは、出来ない。
自分のためにも、女のためにも、それは、出来ないことだ。

おぼしわづらふ
煩悶するのである。

しかし、源氏は、方角の障りになる日を、選んで、御所より、不意に気付いたように、紀伊の家に立ち寄るのである。

それは、あらかじめ、小君に、話てあることだった。

この巻の後半である。

小君を使い、手はずを整えていたが、結局

君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく、待ち臥し給へるに、不用なるよしを聞ゆれば、あさましく、めづらかなりける心のほどを、「身もいと恥づかしくこそなりぬれ」と、いといとほしき御気色なり。とばかり物も宣はず。いたくうめきてて、憂しとおぼしたり。


源氏は、どのように、計らってくるのかと、頼みにするものが、少年であることが、気がかりであったが、寝ているところに、小君が、やってきて、駄目であることを、告げた。

あさましく、めづらかなりける心のほどを
女の、浅ましいほどの、冷淡な態度を、知り、私は、自分が、恥ずかしくてならないと、言った。
いといとほしき
気の毒に様子である。
暫く、物も言わないのである。
そうして、苦しげに、吐息をして、女を恨んだ。


源氏

ははき木の 心を知らで 園原の 道にあやなく まどひぬるかな

聞えむかたこそなけれ」と、宣へり。女も、さすがに、まどろまざりければ、



数ならぬ 伏屋におふる 名のうさに あるにもあらず 消ゆるははき木

と聞えたり。


ははきぎの こころをしらで そのはらの みちにあやなく まどひぬるかな

ははきぎの心を知らずに、園原の、道に誤り、戸惑いつついる、のである。

深読みすると、恋に迷い迷いして、その心の深みに、陥っているのである。

今夜の、この気持ちを、どう言っていのか、解らないと、源氏は、小君に言うのである。

女の方も、眠れずに、悶えている。

かずならぬ ふせやにおふる なのうさに あるにもあらず きゆるははきぎ

伏屋とは、地名である。
源氏は、その伏屋の森に、生える、ははきぎのように、居るにも、関わらず、逢ってくれないという。
女は、確かに、居ますよ。でも、その、ははきぎは、消えてしまいました。と、答える。

伏屋という、森に生えることの、憂さに、である。
この世は、憂き世と、観た、紫式部の心境を、そのままに、表す。

聞えたり、とは、それを、小君に、言わせたのである。


小君、いといとほしさに、ねぶたくもあらでまどひありくを、「人あやしと見るらむ」と、わび給ふ。

小君が、源氏のために、眠たいであろうに、行き来している様を、女は、人が怪しまないかと、危惧している。


例の、人々はいぎたなきに、ひと所すずろにすさまじくおぼし続けらるれど、人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ちのぼれりけるとねたく、「かかるにつけてこそ心もとまれ」と、かつはおぼしながら、めざましくつらければ、「さはれ」と、おぼせども、さもおぼしはつまじく、源氏「隠れたらむ所に、なほいていけ」と宣へど、小君「いとむつかしげにさしこめられて、人あまた侍るめれば、かしこげに」と、聞ゆ。いとほしと思へり。源氏「よし。あこだにな捨てそ」と宣ひて、御かたはらに臥せ給へり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれにおぼさる、とぞ。


いつもの、従者たちは、酔って眠っている。
源氏は、眠られないでいる。
普通の女とは、違う、意思の強い人が、益々と、恨めしくなるのである。

さはれ
さはあれ、という。こうなっては、しかたがない。
そう思うが、また少しすると、恋しさが、募るのである。

「隠れている場所に、私を連れて行ってくれないか」と、源氏は、小君に言う。
「なかなか、開かない戸締りがしてあり、多くの女房たちもいます。そんなところに行かれるのは、もったいないことです」と、小君が言う。
小君は、源氏を、気の毒だと思うのである。

よし。あこだにな捨てそ
もういい。お前だけでも、私を・・・
源氏は、小君を、傍に寝させた。
若く美しい、源氏の横に、寝るということに、小君は、うれしくめでたし、と、思うのである。
それが、源氏にも、伝わる。

源氏は、小君を、なかなかあはれにおぼさる、と、思うのである。

最後の、とぞ、とは、ある人が語ったことだという意味である。

そのように、私は聞いたと、描くのである。

源氏が、小君を愛し始めていることが、解る。
この、小君の、存在が、私は、非常に重要に、思える。
女遍歴の影に、小君が、いつもいるのである。

なかなかあはれにおぼさる
無情な女より、可愛いと、訳す者もいる。

あはれにおぼさる
これ、愛情である。
体の関係がない、情の交わりを、友情などという。
しかし、それで、済ませることは、出来ない。

これについても、追々に、見つめてみる。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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