2008年07月14日

もののあわれ244

この程は大殿にのみおはします。なほ、いとかき絶えて思ふらむ事の、いとほしく、御心にかかりて、苦しくおぼしわびて、紀の守を召したり。


この頃は、左大臣家に、源氏はいた。
あれ以来、何も言わないことは、愛しく思われ、女のことを、憐れに思うのである。
それが、心にかかり、苦しくて、紀伊の守を、招いた。


源氏「かのありし中納言の子は、えさせてむや。らうたげに見えしを、身ぢかく使ふ人にせむ。うへにも我たてまつらむ」と宣へば、守「いとかしこき仰せごとに侍るなり。姉なる人に宣ひみむ」と申すも、胸つぶれておぼせど、源氏「その姉君は、朝臣の弟や持たる」守「さも侍らず。この二年ばかりぞ、かくてものし侍れど、親のおきてにたがへりと思ひ嘆きて、心ゆかぬやうになむ聞き給ふる」源氏「あはれの事や。よろしく聞えし人ぞかし。まことによしや」と宣へば、守「けしうは侍らざるべし。もて離れてうとうとしく侍れば、世のたとひにて、むつび侍らず」と申す。


源氏は、このあいだ見た、中納言の子供を、よこしてくれないか。可愛い子だったので、私の元で、使おうと思う。御所へ出すことも、私がしようと、言う。
それは、結構なことです。あの子の姉に相談してみましょうと、守が、答えた。
姉が、引き合いに出されただけで、源氏の胸は、高鳴った。
その、姉は、君の弟を、産んでいるのか、と、源氏は尋ねる。
いや、ありません。二年ほど前から、父の妻になっていますが、亡くなった父親が、望んだ結婚ではなく、不満らしいということです。と、守は、言う。
源氏は、可愛そうに。評判の娘だったようだが、本当に美しいのか、と、尋ねた。
さあ、悪くはないでしょう。年のいった、息子と若い継母は、親しくしないものだと、申します。私は、それに従い、何も、詳しいことは、解りません、と、紀伊の守は、答えた。

何気なく、源氏は、女のことを、守に、聞きだそうとしたのである。


さて、いつかむゆかりありて、この子いて参れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて人と見えたり。召し入れて、いとなつかしく語らひ給ふ。わらはごこちにいとめでたく嬉しと思ふ。

五六日して、紀伊守は、その子を連れて来た。
こまやかにをかしとはなけれど
整った顔というわけではないが
なまめきたるさまして
艶な風情を備えた
あて人と見えたり
貴族の子らしい雰囲気である。

源氏は、傍に呼び、親しく話しかけた。
童心地に、源氏に、相手にされるのが、嬉しいのである。

いとなつかしく語らひ給ふ
大変、懐かしいように、話すというが、それを、懐かしいと、言う。
一つの、愛情表現である。

この子を、手元に、置くのは、その姉との、関係を持つためである。

源氏は、その子に、姉のことも、詳しく聞いている。
そして、早速、姉に手紙を持たせるのである。

みし夢を あふ夜ありやと 嘆くまに 目さへあはでぞ 頃もへにける
ぬる夜なければ

と、書く。

ぬる夜なければ
眠られない日々が続き、夢も見られないという。

夢で、逢うことを願うが、眠られずに、夢で逢うことも出来ず、嘆いている、この頃です。

めもおよばぬ御かきじまも、きりふたがりて、心えぬ宿世うち添へりける身を思ひ続けて、臥し給へり。

目もくらむほどの、美しい文字である。
涙で、目が曇り、何も読めなくなって、苦しい思いが、満ちる。この世の、運命を思い、臥すのである。

またの日、小君召したれば、参るとて、御返り請ふ。女「かかる御ふみ見るべき人もなしと聞えよ」と宣へば、うちえみて、小君「たがふべくも宣はざりしものを、いかがさは申さむ」と言ふに、心やましく、「残りなく宣はせ知らせてける」と思ふに、つらきこと限りなし。女「いで、およずけたる事は言はぬぞよき。さば、な参り給ひそ」と、むつかられて、小君「召すにはいかでか」とて参りぬ。

翌日、源氏から、小君、こきみ、が召された。
出掛ける時、小君は、姉に、返事を欲しいと言う。
あのような、お手紙をいただくような人は、いませんと、申し上げればよい、と女は言う。
間違いなくと、申されたのに、そんなお返事は出来ない、と小君が言う。

心やましく
疾しいのである。
残りなく宣はせ知らせてける
きっと、小君は、すべてを聞いているのであろうと、想像するのである。
つらきこと限りなし
そう思うと、源氏を、恨めしく思うのである。

そんなことを言うものではありません。大人が言うようなことを、子供が、言っては、いけない。お断りが、出来なければ、お屋敷に、行かなければいい、と、無理なことを、女は言う。
御呼びがかかったので、伺わないわけにはいかない、と、小君が言う。


君、召し寄せて、源氏「きのふ待ち暮らししを、なほ、あひ思ふまじきなめり」と、怨じ給へば、顔うち赤らめて居たり。「いづら」と、宣ふに、しかじかと申すに、源氏「いふかひなの事や、あさまし」とて、又も賜へり。

昨日も、一日待っていたのに、出て来なかったね。私だけが、お前を愛している。それなのに、冷淡だ、と、源氏が小君に言うと、小君は、顔を赤らめた。

お前は、姉さんに、頼む力がないのだ。返事をくれないとは。
そして、再び、文を、小君に、渡す。

この段で、私が、注目するのは、女との、橋渡しをする、小君という、少年に対する、源氏の思いである。

小君を、あこ、と呼ぶのである。
つまり、あこ、とは、我の子供という意味である。
それも、特に親しく思う、呼び方である。

この子をまつはし給ひて、うちにもいて参りなどし給ふ。わがみくしげ殿に宣ひて、装束などもせさせ、まことおやめきて扱ひ給ふ。

いつも、傍に置いて、御所へも、連れてゆくのである。
小君の、衣服を作り、親らしく、世話をしている。

源氏は、小君も、愛しているのである。
それは、女の、橋渡しだけではない。

ここに、今までの、源氏物語の、解釈の、不明を見るのである。
源氏は、女たらし、女好き、色好みの、最たる者としての、解釈である。

私は、違うと、言う。
当時は、もっと、性というものが、曖昧であった。
ここで、男性同性愛を言うのではない。

美しきもの、なまめきたるさま、それは、愛するものなのである。

ここで、訳を、愛するという言葉は、相応しくない。

あひ思ふまじきなめり
相思う交わりの関係である。

室町期になると、それが、明確に表現される。
世阿弥などは、将軍に寵愛された。勿論、当時の、能役者の、美少年は、皆、将軍と関係を、持っている。性的関係である。

それを、男性同性愛という、ひとくくりにすると、誤る。

美しいものは、あひ思ふまじきなめり、なのである。

島原の乱の状況を、書いた宣教師は、日本の武士が、女よりも、少年を性的対称にしている様を、驚愕を持って書いている。

男色とか、男に体を売る者を、陰間ともいう。
しかし、それは、微妙に違うのである。

これは、井原西鶴になると、もっと、明確になる。
色というものは、男も女も、知って、はじめて、解るものであるとするのである。

色好みとは、何か。
再度、考察する必要がある。

性別の、云々ではない。

隠棲する者たちも、少年と共に、あった。
何故か。

これを、見落とせば、色好みを、誤る。

源氏の女との、やり取りから、もののあわれ、というものを、観た、本居宣長の、一つの、欠陥は、それである。

紫式部は、美しきものということを、最重要課題にしている。

この、長い物語にある、もののあわれ、というもの、複合的、様々な要因によって、成り立っている。

私が、風景や、自然描写から、もののあわれ、というものを、観るというのは、それらも、含めてのことである。
風景、自然描写が、いかに、美しく描かれているか。

それは、人間の様を描く以上に、美しいのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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