2008年07月12日

もののあわれ242

皆しづまりたるけはひなれば、かけがねを試みに引きあけ給へれば、あなたよりは鎖さざりけり。凡帳を障子口には立てて、火はほのぐらきに、見給へば、唐櫃だつ物ども置きたれば、乱りがましき中を、分け入り給へれば、ただひとり、いとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なるぬ押しやるまで、求めつる人と思へり。

源氏は、女房たちが、皆寝静まった頃に、掛鉄を外して、引いてみると、障子は、開いた。
向こうからは、掛鉄が、かかっていなかったのである。
そこには、凡帳が立ててあり、仄かな灯の灯りで、物が見えた。
衣装の箱などが、乱雑に置かれてある。
源氏は、その中を、分け入り、歩いて行った。
小さく、一人の女が寝ていた。
なまわづらはしけれど
やましく思いつつ、である。
顔を覆った、着物を、源氏が手で引きのける。
女は、先刻呼んだ、女房の中将が来たと思った。

この時、源氏は、十七歳の夏である。

人妻との、関係を持つ瞬間である。

いとささやかにて臥したり
その女に、源氏は、恋を賭ける。

昔の、十七歳は、今の、二十七歳と、思えばよい。

私は、万葉の時に、恋とは、人生、そのものであると、言った。そして、恋とは、そのまま、性であると、言った。
私の言う、セックスは、性器セックスではない。
情の交わり、心の交わり、心身共に、触れ合う交わりである。

和泉式部のセックスは、契りて、と言う。

人と、触れることにより、我にあるもの、我にある、心の様を見いだすのである。
万葉は、そのような時代であり、さらに、紫式部は、それを、もって、物語を書くのである。

人が求めえるものは、人の情けであろう、という。
それ以外に、何を求めるというのだろう。また、求め得られるというのか。

紫式部は、細に渡り微に渡り、恋を描くのである。
性器セックスを、描くのではない。
それは、本居宣長も、そのように読んだ。

恋というものに、まつわる、悲しさともいうべき、人のあはれ、というものを、描くのである。


源氏「中将めしつればなむ。人しれぬ思ひのしるしあるここちして」と宣ふを、ともかくも思ひ分かれず、ものにおそはるるここちして、「や」とおびゆれど、顔にきぬのさはりて、音にもたてず。源氏「うちつけに、深からぬ心のほどと見給ふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞え知らせむとてなむ。かかる折りを待ちいでたるも、「さらに浅くあらじ」と、思ひなし給へ」と、いややはらかに宣ひて、鬼神もあらだつまじきけはいなれば、はしたなく、「ここに人」とも、えののしらず。


源氏は、あなたが、中将を呼んでいらしたから、私の思いが通じたと、思いました、と言いかけた。女は、何者かに、襲われる様子で、驚く。
「や」というつもりなのだが、顔に夜具がかかり、声にならない。
源氏が言う。
うちつけに、深からぬ心のほどと見給ふらむ、ことわりなく
突然のことのように、思われるでしょうが、違います。
前から、あなたを、思っていました。
それを、聞いていただきたいと、この機会を、待っていたのです。
さらに浅くあらじ
深い縁である、というのか。前世の縁というのか。
いずれにせよ、女を、口説くための、言葉である。

未だに、男は、女を口説くのに、深い縁だという。
一度限りの関係でも、である。

源氏は、柔らかい口調で言う。
当然である。女を、口説くのに、無粋な態度ではいけない。
鬼神、神さまでも、この方には、寛大な態度で、接するだろうという、美しさであるという。
知らぬ人が、こんな所へとも、言えないのである。
罵ることが、出来ないのである。

源氏の美しさは、格別である。
美とは、許される存在なのである。

紫式部は、自分の顔を人に見られるのが、事のほか嫌だった。
その歌を、読むと、解る。

その、紫式部が、源氏を、女に勝る美しさと、描いたのは、何故か。

美は、鬼神さえも、黙らせる程の、力があるというのである。
美、というものに、適うモノは無いのである。
紫式部が、源氏の老いさらばえた姿を書くことなく、未完にした、訳である。

紫式部が、追求した、美、というものを、人は、未だに求めて、さ迷うのである。


心地はたわびしく、あるまじき事と思へば、あさましく、女「人たがえにこそ侍るめれ」と言ふも、息のしたりなり。消えまどへる気色、いと心苦しく、らうたげなれば、「をかし」と見給ひて、

女は、情けないと思うのである。
あるまじき事
つまり、そんな、ふしだらなことが、あってはならないのである。

女は、人違いでは、と言う。
それも、息よりも、低い声である。
消え惑える様子の女。
心苦しく、うらたげなれば、とは、可憐な姿か。
兎も角、男心を、曳き付ける様子である。

現代文に、翻訳する者、それぞれである。

男に、寝ているところを、襲われるということ、当時は、当たり前のことである。
更に、それは、一種の喜びともなる。
ただ、しかし、目の前の人は、あまりに、美しい。

源氏「たがふべくもあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめい給ふかな。好きがましきさきには、よに見え奉らじ。思ふ事少し聞ゆべきぞ」とて、いと小さやかなれば、かきいだきて、障子のもと出で給ふにぞ、求めつる中将だつ人、きあひたる。源氏「やや」と宣ふに、あやしくてさぐりよりたるにぞ、いみじくにほいみちて、顔にもくゆりかかるここちするに、思ひよりぬ。あさましう、こはいかなることぞ、と、思ひまどはるれど、聞えむかたなし。


源氏は、違うわけがないではありませんか、と言う。
恋する私の、思いが、充ちて、あなただと思い、来ました。
あなたは、知らぬ顔をされる。
普通の、好色の男がするような、ことはしません。少しだけ、私の心の内を、聞いてくだされば、いいのです。
小柄な女を、かき抱き、障子の前に出て来ると、先ほど、呼ばれていた、中将の女房が、向こうから来た。
「やや」と、源氏が言うと、不思議に思い、探り寄って来た。
その時、源氏の、香を焚きこめた衣服の香りが、顔に吹きかかる。
中将は、これが、誰であるかを、知った。
そして、何事かも、知った。
しかし、どうなることかと、心配するが、何も言えないのである。

この顛末は、実に、巧いのである。
紫式部の筆である。

おろかならず、契り慰め給ふこと、多かるべし。

ありしながらの身にて
男と女の契りの関係である。

性の交わりを、現代文に訳す、作家の多くは、この、紫式部の筆を、再現できずに終わる。
大和言葉である。
そのままにして、読むことである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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