2008年07月11日

もののあわれ241

あるじの子どもをかしげにてあり。わらはなる、殿上のほどに御覧じなれたるもあり。
伊予の介の子もあり。あまたある中に、いとけはひあてはかにて、十二三ばかりなるもあり。

紀伊の守は愛らしい子供を幾人ももっていた。
御所の侍童を勤めている子もいる。
多くの中には、伊予の子もいた。
その中には、上品な、十二三の子もいる。

源氏「いづれかいづれ」など問ひ給ふに、紀伊の守「これは故衛門の督の末の子にて、いとかなしくし侍りけるを、をさなき程におくれ侍りて、姉なる人のよすがに、かくて侍るなり。才なども付き侍りぬべく、けしうは侍らぬを、殿上なども思う給へかけながら、すがすがしうはえ交らい侍らざめる」と申す。

源氏は、どれが、弟で、どれが、子供かと、問う。
紀伊の守は、ただ今通りましたのは、亡くなりました、衛門の督 えもんのかみ、の末の息子で、可愛がられていました。幼き頃、父親に別れ、姉の縁で、ここにいます。将来のためにも、御所の侍童を勤めています。姉の手だけでは、中々、うまくゆきません。


源氏「あはれの事や。この姉君や、真人の後の親」守「さなむ侍る」と申すに、源氏「似げなきおやをもまうけたりけるかな。うへにも聞し召しおきて、宮仕へにいだしたてむと漏らし奏せし、いかになりにけむと、いつぞや宣はせし。世こそ定めなきものなれ」と、いとおよずけ宣ふ。守「不意にかくてものし侍るなり。世の中といふもの、さのみこそ、今も昔も定まりたる事侍らね。なかについても、女の宿世は、浮かびたるなむあはれに侍る」など聞こえさす。

源氏は、あの子の姉さんが、君の、継母なんだと言う。
守は、そうですと、答える。
似つかわしくない、母を持ったものだ。その人のことは、陛下もお聞きになっていた。宮仕えに出したいと、衛門が申していたが、その娘は、どうなったのかと、いつか、お言葉があった。人生は、どうなるのか、解らない。と、源氏が言う。
不意に、そうなったのです。人というものは、今も昔も、意外な顛末を送るようです。その中でも、女の、運命は、実に、儚いものでございます。と、紀伊の守が、言う。

ここに、紫式部の、女に対する、考え方が見て取れる。
女の宿世は、浮かびたるなむあはれに侍る

宿世、すくせ
運命、定めと、訳すか。
宿業とも、言う。

女は、持って生まれて、浮かびたるなむあはれ、なのである。
関わる男によって、その人生が翻弄されるのは、今も昔も、変わらない。ただし、現代は、女は、女の道を、生きることができる。
要するに、主体的に、生きることができるのである。
戦後、ようやく、そのように女も、生き方を、決めることが出来るようになった。実に、長い間、女は、男の人生に翻弄された。

この世は、男の世であった。
勿論、そんな世の中でも、自由奔放に生きる女もいたには、いたが、少ない。
それてとて、当時は、和泉式部の程度である。

女の人生に、あはれ、という言葉を、用いる。
女の人生は、あはれ、である。
しかし、別の見方をすると、男の人生も、あはれ、である。

男と女の、区別による、それぞれの、あはれ、というものを、生きていると、当時は、考えた。

好色とは、恋愛であるが、恋愛は、セックスである。当然、子供が、生まれる。
当時は、女の実家で、子育てが、行われた。
男が、父親の意識を、強く持つには、それ相当の、思い入れがなければならないのである。

あはれ、の前に、浮かびたるなむ、と言う。
浮かびたるなむ
風に翻弄される、木の葉のような、情景である。

この、あはれ、という言葉の原型を、求めて、源氏物語を旅する。


源氏「伊予の介はかしづくや。君と思ふらなむ」守「いかがは。わたくしの主とこそは思ひ侍らずなむ」と申す。源氏「さりとも、真人たちの、つきづきしく今めきたらむに、おろしたてむやは。かの介はいとよしありて、気色ばめるをや」など、物語りし給ひて、源氏「いづかたにぞ」守「皆下屋におろし侍りぬるを、えやまかりおりあへざらむ」と聞ゆ。酔いすすみて、皆人々すのこに臥しつつ、静まりぬ。

源氏は、伊予介は、大事にするだろう。主君のように、思うだろう、と言う。
介は、いかがは、と言う。さて、どうなのか、という。
私生活の主です。好色すぎると、私をはじめ、兄弟たちが、苦々しく思います、と言う。
源氏は、君などの、良い男に、伊予介は、譲らないだろう。あれは、年を取っても、風格があり、立派だ。など、話し合うのである。
源氏は、その人は、どちらにいるのかと、問う。
皆、下屋の方へ、やってしまいましたが、少しは、残っています。と、介が言う。
深く酔った、家臣たちは、皆、夏の夜を、板敷きで、仮寝をしていた。
源氏は、眠られないで、過ごす。

伊予の子が、紀伊の守である。
当時の、親子関係、女性関係は、複雑である。
父親の女と、息子が、交わることもある。
それを、明確にすると、罪の意識が生まれた。

眠られぬ源氏は、この後、その娘、女のいるであろう、部屋に向かう。

紫の、筆は、女心の、微妙繊細な、心境を、描き出す。

源氏と、女の、やり取りの中に、もののあわれ、というものを、観たのが、本居宣長である。
私は、それを、省略して、先に続ける。

あくまでも、風景描写、自然描写にある、もののあわれ、というものを、観ることにする。

その、人間の有様も、風景描写であるのは、当然である。
特に、会話の中に、当時の、人の心の様が、描かれているのである。

君は、とけても寝られ給はず。いたづらぶしとおぼさるるに御目さめて・・・

いたづらぶしとおぼさるるに
源氏が、眠られないのは、いたづらぶし、ゆえである。
それを、何と訳するのか。
一人寝を、寂しく思う時、男は、性の孤独を知る。
そして、その孤独を、埋めるごとくに、共寝をする相手を、探す。
それを、色好み、恋という。

いよいよ、源氏の、女遍歴が、はじまる。
人妻の、空蝉との、関係である。
しかし、二度目から、拒まれる。

紫式部の、本領発揮が、徐々にはじまる。

通常の、研究では、平安期の、色好みにある、物語と、言われるが、私は、全く、別の観方をしている。
紫式部は、勇ましく、物語を書いたのではない。
憂きことの、生きるというものを、見つめて書いたものである。

色好みに、ベールを掛けて、紫が、表現したいものが、何かを、問うてゆく。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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