2008年07月10日

もののあわれ240

守、「にはかに」と、わぶれど、人も聞き入れず。寝殿のひんがしおもて払ひあけさせて、かりそめの御しつらひしたり。水の音ばへなど、さるかたにをかしくなしたり。いなか家だつ柴垣して、前栽など心とめて植えたり。風すずしくて、そこはかとなきき虫のこえごえ聞え、蛍しげく飛びまがひて、をかしき程なり。

紀伊の守が、急なことと、言うのを、他の家来は、耳に入れないで、寝殿の東の座敷を、掃除させ、主人に提供した。
宿泊の準備が出来たのだ。
庭に通した、もずの流れなど、地方官級の家としては、凝っている。
わざと、田舎の家らしく、柴垣などがあり、庭の植え込みも、よくできている。
涼しい風が、吹き、どこからともなく、虫の音が聞こえ、蛍が、多く飛んで、たいそう、面白いものである。

人々渡殿より出でたる泉にのぞき居て酒のむ。あるじもさかな求むと、こゆるぎのいそぎありくほど、君はのどやかにながめ給ひて、「かの中の品にとりいでて言ひし、このなみならむかし」と、おぼしいづ。

源氏の、従者たちは、渡殿の下をくぐる水の流れを、眺めて、酒を飲んでいる。
紀伊守が、主人を待遇するために、奔走しているとき、一人でいた、源氏は、家の中を眺めて、前夜の話にでた、中の品に入る家であろうと、その話を、思い出しいてた。

思ひあがれる気色に、聞き給へる女なれば、ゆかしく、耳とどめ給へるに、この西おもてにぞ、人のけはいする。きぬの音なひ、はらはらとして、若き声ども憎からず。さすがにしのびて笑ひなどするけはひ、ことさらびたり。

思い上がった娘だと評判の、伊予の守の娘、すなわち紀伊守の妹であるから、源氏は、はしめから、それに興味を持っていた。
どのあたりの、座敷にいるのであろうと、物音に、耳を立てていた。
この西に続いた部屋で、女の絹ずれが、聞こえ、若々しい、なまめかしい声で、しかも、さすがに、声をひそめて、物を言うのに気がついた。
わざとらしいが、悪い気はしなかった。

格子をあげたりけれど、守、「心なし」と、むづかりて、おろしつれば、火ともしたるすきかげ、障子の紙よりもりたるに、やをら寄り給ひて、「見ゆや」と居たるなるべし、うちささめき言ふ事どもを聞き給へば、我が御うへなるべし。

はじめは、縁の格子が、上げたままになっているのを、紀伊の守が、不用意だと、叱って、今は、戸が下ろされている。
その部屋の、火影が、唐紙の隙間から、赤く、こちらに射していた。
源氏は、静かに、そこに行き、中が見えるかと、思ったが、それ程の、隙間はない。
少し聞いていると、低いさざめきは、源氏が、話題にされているらしいのである。


「いといたうまめだちて、まだきにやむこどなきよすが、定まり給へるこそ、さうざうしすめれ。されど、さるべきくまには、よくこそ隠れありき給ふなれ」など言ふにも、おぼす事のみ心にかかり給へば、まづ胸つぶれて、かやうのついでにも、人の言ひもらさむを、聞きつけたらむ時、など、おぼえ給ふ。ことなる
事なれば、聞きさし給ひつ。

「まじめらしく、早く、奥様を、お持ちになったのですから、お寂しいわけですね。ずいぶんと、隠れて、お通うところがあるようです」
源氏は、そんな言葉に、はっとした。
あるまじき恋を、人が知り、こうした噂を、流されたらと、思うのである。
しかし、話は、ただ事ばかりであり、それらを、聞こうとせず、興味が起きなかった。

式部卿の宮の姫君に、あさがほ奉り給ひし歌などを、すこしほほゆがめて語るも聞ゆ。「くつろぎがましく、歌ずんじがちにもあるかな。なほ見劣りはしなむかし」と、おぼす。守いできて、燈籠かけそへ、火あかくかかげなどして、御くだものばかり参れり。

式部卿の宮の、姫君に、朝顔を贈った時の歌など、誰かが、得意そうに語っていた。
行儀悪く、会話の中に、節をつけて、歌を入れたがる人たちだ。
中の品が、おもしろいといっても、自分には、我慢ではないこともあると、思った。
紀伊守が、燈籠の数を増やしたり、座敷の灯りを、更に明るくした。
そして、主人に遠慮しつつ、菓子のみを、献じた。


源氏「とばり帳もいかにぞは。さるかたの心もとなくては、めざましきあるじなるらむ」と宣へば、守「なによけむ、とも、え承らず」と、かしこまりてさぶらふ。はしつかたのおましに、仮なるやうにて大殿籠れば、人々も静まりぬ。

源氏「我が家は、とばり帳をも、掛ければという歌。大君、来ませ婿にせん。そこに気がつかないのでは、主人の手落ちかもしれない」
「通人ではない、主人で、申し訳ありません」
紀伊の守は、縁側で、畏まっている。
源氏は、縁に近い寝床で、仮寝のように、横になっていた。
付き人たちも、もう、寝たようである。

何気ない、一こまの出来事である。

その中に、当時の風習などが、垣間見える。
源氏物語の、楽しさは、そうところでもある。
少し、見方を変えると、別の風景が、広がる。

庭に、水の心ばえなど、さるかたにをかしくなしたり。
庭に水を引いて、その様、涼しげで、風情ある趣である。

いかな家だつ柴垣
雑木の枝を編んだものである。
それを、田舎風という。

庭は、主人や、住む者の、心模様を、表す。

この後、源氏は、女房の部屋に、忍び込むことになる。

その顛末を書くかどうかと、考えている。
また、その後で、その女の弟を、使用人として、召すという。
この子は、小君というが、その小君と、源氏のやり取りが、面白い。

その小君の、姉との、やり取りに、小君を利用するのであるが、小君も、源氏に愛されるという。
勿論、それを、性愛という形にするのではない。
当時の、風習を見るものである。

源氏が、女性遍歴をしたという物語と、ばかりに、解釈されるが、そこには、裏から見ると、同性愛的、行為の多いのに、驚く。
流石に、紫式部である。
密かに、文の中に、忍ばせている。
最も、当たり前のことであるゆえ、当時の人が読めば、何のことはないのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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