2008年07月07日

神仏は妄想である 126

道元について、書いているが、少し休んで、日本において、仏教が、生成発展したことを言う。

玄奘三蔵法師が、天竺に向かった当時、その行く道は、すべてが、仏教を報じていた。国王から、仏教徒であった。
しかし、その後、すべてイスラムに乗っ取られた。
仏教は、壊滅である。

何故か。
仏陀の慈悲の思想というものが、いかに、行いにくいかということである。

勿論、日本にても、仏の祈り、戦いに臨んだ者は多い。しかし、それでも、仏陀の慈悲の思想を、手放さなかった。それは、元からあったものであるからだ。

万葉集を読めば、それが、解る。
慈悲というものは、万葉集の、すべての歌に現れてる。

私は、それを、もののあわれ、として、認識している。
それは、慈悲にまつわる、日本人のすべての、心情のことである。それは、心象風景として、更に深まるのである。

そして、仏教を奉じる者で、極地に行く者は、すべて、日本人の感性として、仏教を受け入れているということである。

例えば、念仏の一遍は、捨て聖として、念仏行を行った。
それは、建物も、書き物も、残すことなく、ただ、念仏に、自らを、投入して行く様である。念仏に成り切るという、極地である。
それは、念仏に成り切るというだけではない。
そのように、出来たのは、彼が、日本人の感性を持って、念仏に当たったからである。

つまり、日本人の、自然との、共感と、共生の心を持って、念仏というものを、理解したからである。
それは、実に、自然な行動だった。
跡に何も残さないという、心は、日本人の原風景である。

建物を、残す、書き物を、残す者は、二流以下である。
一流でも、建物や書き物を、残す者がいる。

最上級の者、何一つ、残す物は無いのである。
それは、日本人ならば、すべて、自然に帰るということを、知っているからである。

念仏も自然に帰るのである。
その自然を、仏と、呼んでもいいのである。

華厳宗の明恵という、僧がいる。
彼もまた、日本人の感性として、仏教を受け入れた人である。

密教、念仏宗などが、盛んであり、堕落していた、奈良の仏教を立て直したとされる人である。

その教えは、ひたすら、釈迦の教えに帰れ、だった。
しかし、その釈迦の教えとは、何かと問われれば、膨大な仏典の中から、選ぶことになる。しかし、明恵は、釈迦の教えを、伝統から、理解した。

それの証拠は、明恵の歌にある。
彼は、何十年にも、渡って、自分が見た夢を、綴った、夢の記、というものを、書いている。それも、不思議なことであるが、彼の歌に見る、大和心である。

山寺に 秋のあかつき 寝覚めして 虫とともにぞ 鳴きあかしつる

山の寺で、秋の明け方、目覚めた。そして、虫の音に、聞き惚れて、ついには、虫と共に鳴き明かす。

虫を対立したものとは、置かない。
虫ともに、鳴くのである。

夜のうちに 汲みほす水に あえなくも いつまでとてか 宿る月かげ

夜のうちに、汲み干してしまう、水の中に、写る月影。
ただ、それだけである。

そのままを、詠む。
それが、大和心である。

大和心にて、釈迦を、理解するのである。
だから、日本人にして、仏教は、更に生成発展したという。

それは、仏教だからではない。
日本人だから、仏教になっていったのである。

でなければ、シルクロードのイスラム化は、いかなることか。
アフガニスタンなども、仏教遺跡の多い、仏教の国々だった。しかし、今は、御覧の通り、イスラムである。

仏教を、より深くしたのは、日本人だからである。
更に、仏陀の地は、そのインドは、バラモンと、ヒンドゥーに、取って代わられたであろう。今は、仏教など、見る影も無い。

今、残る仏教は、小乗が伝わった地域である。

大乗の偽の、仏教が、ここまで、成長したのは、日本人による。

嘘、偽の、仏教を、大和心により、本物にしたのである。

息吹を吹きいれたのである。

大和心で、である。

世の中の せめてはかなき ためしにや 月さえかりの 宿りにぞすむ

月さえ、仮の宿りに棲む、と、歌う、心根は、大和心である。

万葉にあっても、おかしくない歌である。

月の光でさえ、仮の宿りに写るのである。それならば、この人の世の、儚さは、いかなるものか。

はかなき、は、あわれ、にゆくのである。
神仏は妄想である。
しかし、神仏を、奉じた者が、妄想ではない。
現実に生きた人である。

法然、一遍、明恵と、何物も、残すことがなかったという点では、私は、理想的な、宗教家であるという。

法然の書き物は、人の求めに応じて、その弟子たちが、まとめたものである。

その点では、最澄や、空海は、評価しない。
空海は、稀代の詐欺師である。
千年も、その詐欺に、気付かないという、愚かさは、また、ただ事ではない。

さらに、道元を見てゆく。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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