2008年07月04日

神仏は妄想である 123

宋の時代の宝慶元年五月一日、道元は、初めて如浄を天童山妙高台に焼香礼拝しました。師匠の如浄もまた、はじめて道元を見ました。そのときに言うには、仏から代々伝わってきた仏法、すなわち唯一の正しい仏法が、いま顔を見合わせた瞬間に、ここに実現しました。”現成”とは、潜在的にあるものが、はっきりと姿を現して、そこに現実的になることをいいます。
栗太勇

そのとき、道元に指授面授するにいわく、仏々祖々の法門現成せり
道元

ぶつぶつそそ めんじゅのほうもん げんじょうせり

道元も、顔と顔を見合わせた瞬間に自分が受けた感動は、これこそ釈迦が霊鷲山で花を拈じていたとき、迦葉者だけがにっこりと笑ったという、いわゆる拈華微笑という以心伝心の話そのものだと感じた。釈迦が迦葉尊者に微笑で伝えた、本当の悟り、真理を自分も受け継いだという喜びが身のうちから湧いてきました。
栗太勇

こうして、道元は、釈迦の正しい教えを受けたと、信じたのである。
ということは、他は、間違いであるということである。
唯一の、正しい教えである。

これが、後々、勘違いの元となるのである。

道元が、悟ったとされるのは、27歳の年である。

道元の悟りは、師匠の、身塵脱落から、心身脱落へと、行くものだった。
つまり、師匠は、身と、塵の脱落を言う。
身と、心の塵を払うことである。
それを、道元は、心身脱落と、体も心も、すべて、なくなるのだという、全否定の境地を表したというのである。

それは、坐禅の時に、一人の僧が、居眠りをして、師匠の如浄に、只管に打睡して、インモを為すに堪えんや、と言うのを、聞いて、忽然として、悟ったと言うのである。

インモの文字が無いので、仮名にした。
その時、参禅はすべからく心塵脱落なるべし、と、師匠が言ったのを、聞いての、悟りである。

以後、道元の教えは、この心身脱落にある。

すべて無くなるという、全否定というから、凄い。
また、驚く。

道元は、初めて、如浄の元で、悟り、五年間の修行の旅を終わり、翌年、28歳の時に、帰国したのである。

ここで、躓くことは、唯一の教えということである。
多くの仏法の方法があるが、唯一と、信じた道元の、思い込みである。
勿論、思い込みがあって、始めて、信じるという行為に至るのだが、若いのである。

その、情熱に、青春の一瞬は、輝くが、その輝きは、持続するものではない。もし、持続するというなら、それは、単なる、思い込みである。
若い時に、決心して、何事かに向かうことはある。それを、持続して、求め続けるということはある。また、その時に、知りえたことを、更に追求するということはある。しかし、心身脱落という、妄想がかった勘に近い、悟りを、持続するのは、余程の、没入である。
その、没入は、果たして、そのままにして、いいのか。

他を受け入れない、頑固な、悟りの人になってゆくのである。

それは、彼の著作を、読めば解る。
そして、その著作は、文学として、最高レベルのものであるから、誤る。

仏を、私の都合に合わせて、知ったのである。
それを、唯一の正しい釈迦の教えと、信じ込むあたりは、若気の至りである。

帰国した道元は、言う。
本郷にかえりし、すなわち弘法救生をおもいとせり。なお重担をかたにおけるがごとし。

弘法救生、ぐほうぐしよう
つまり、布教である。

法を広めて、生を救うのである。
要するに、衆生を救うというのである。

一体、どうして、皆々、このように、人を救うという言葉を吐くのか。
人を人が救えると、思う心が悲しい。

しかし、それは、私が救うのではない、仏が救うと、信じるから、手がつけられないのである。

それでは、道元は、仏を、どのように見たのか。
仏というもの、道元にとって、何だったのか、である。

念仏が、他力だとすれば、こちらは、自力である。

勿論、両者は、同じ境地に行き着くのである。
同じく、仏を見つめているのである。同じ境地に至って当然である。しかし、仏教家は、同じではないらしい。
宗派によって、違うというのだから、また、手が付けられない。

どちらにしても、妄想の仏という存在である。

日蓮などに、言わせると、末期的表現である。
題目のみが、仏に至る道なのである。
他を、メタメタに、攻撃、否定するのである。

正法というから、笑う。
皆、正法という。
故に、皆、正法ではないことが、解るのである。

昔、内観指導をしていた者に会う。
彼曰く、私は唯一、釈迦の方を継ぐ者であると、言うのである。
内観指導は、浄土宗から出たものであるが、彼は、唯一、私が継ぐという。
よくよく、見ると、単なるアル中であった。
妄想である。

しかし、彼が、よく物を書く者ならば、人は、誤って彼を見たのかもしれない。実際、彼の元に、多くの信者のような者たちが、集っていた。

時代性と、時代精神という、目が、いかに必要なことか。

道元は、時代が求めていた、か。
時代精神が、求めた、か。

道元は、その弘法に、失敗し、福井の山に籠もることになる。
その名も、高き、永平寺である。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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