2008年07月01日

もののあわれ232

相撲御覧ずる日、内裏わたりにて

たづきなき 旅の空なる すまひをば 雨もよにとふ 人もあらじな

毎年、七月末、諸国から集めた力士の相撲を、宮中で、天皇が御覧になる。
相撲は、すまひ、と読む。

故郷から、遠く離れて、寄る辺の無い力士たちと、同じように、寂しい宮中へ、今夜の雨の中、私を訪ねてくれる人は、いないでしょう。

雨で、相撲が中止になっての、歌である。
相撲なく、また、寂しい紫の心境である。

返し

いどむ人 あまた聞こゆる ももしきの すまひうしとは 思ひ知るやは
雨降りて、その日御覧はとまりにけり。あいなのおほやけごとどもや。

相撲を競う人が多いとのこと。同様に、張り合う人が多いという、宮中の生活が、住みづらいと、解ってくれますか。

雨で中止になった、相撲は、公事である。
あいなのおほやけことどもや
あれこれと、つまらない行事であった。


初雪の降りたる夕暮れに、人の

恋しくて ありふるほどの 初雪は 消えぬるかとぞ うたがはれける

初雪の降る夕暮れ、人の、とは、同僚の女房である。

あなたを恋しく思い、過ごしています。そんな折から降る初雪は、知らぬ間に、消えてしまったのではと、疑いました。

恋しさに、日々の生活で、何が起きているのか、解らないという、気持ちである。
ありふる
月日を過ごす。

紫が、実家に戻っている間のことだろう。

返し

ふればかく うさのみまさる 世を知らで 荒れたる庭に 積る初雪

お返し

荒れた我が家の庭に、美しく降った初雪です。
その前に、憂さのみ勝る、世を知らで、とある。
生きていれば、住み辛い世の中であることが、もっと深く感じられるという。
しかし、それを知らずにいるという。
それは、家に籠もっているからである。

降れば、は、経れば、の、懸り言葉である。

いづくとも 身をやるかたの 知られねば うしと見つつも ながらふるかな

どこへ、この身をやったらよいのか。住み辛いと思っても、この世に生き永らえているのです。

この世に生きることを、憂きことと思い、何かに耐えている様子が、至るところの、歌に見える。
何故、このように、憂きの、気分を持つのだろうか。
一つには、仏教の、厭離穢土という、考えた方、そして、無常観である。
万葉の、命輝く、気分は無い。

この世を、うとうという感覚は、健康なものではない。
勿論、人生に一度や二度、厭世観を抱き、無常観に、浸ることもある。絶望することもある。しかし、平安期のそれは、不健康である。

丁度、浄土思想というものが、席巻していた時期である。
これから、風情という感覚、情緒が生まれたと考える人もいるが、心の影の観念を、植え付けられたといえる。

世間は、虚仮と観た、厩戸皇子、後に、聖徳太子といわれる者も、仏教に傾倒した、ひとりであり、それを、今日まで、理想化して考える人の多いことである。

何ゆえ、無用な無常観というものを、全面肯定したのか。
あたかも、それが、心の深みの如くに考えたということが、病理である。
自分の問題を、すべての、世の中の問題として、捉えた、自己顕示欲である。

彼の掲げた、理想の一つとして、成ってはいない。
和をもって貴し、と掲げたが、それ以後は、自分の子孫も、皆殺しに遭うという悲劇が、続く。

大王家に、取って代わる大国を目指した、蘇我馬子、その子、蘇我蝦夷、そして、孫の、入鹿は、中大兄皇子によって、殺害され、大化の改新が起こった。

厩戸皇子は、蘇我の血を引く者である。
同族争いの中心人物であった。
大王家と、蘇我家の間で揺れた心境をもって、世間は虚仮とは、顕示欲に、他ならない。

後に、人々から、祀り上げられて、拝まれるようになるが、本当のところは、作り話が多い。

推古天皇の際の、皇太子である。
あの頃から、日本が変質し始めたと、私は、考える。

今までの、日本の伝統を、すべて清算して、大陸の文化を持って、更に、仏教を持って国造りを始めたのである。と言っても、その手前で、斃れた。

その後、仏教は、天武天皇、天智天皇に引き継がれたが、何故か。
国教とされるまでに至るのは、何故か。

日本にもたらされた仏教は、大乗である。
大乗とは、仏陀の新しい解釈である。
さて、この話は、長くなるので、止めるが、平安期は、その、大乗の一つ、浄土思想が、貴族に、広がり、厭離穢土という、考え方が、席巻した。
実に、不愉快なことである。

それから、鎌倉に出来た、新しい、日本流仏教が、日本人の精神を、作ってゆく。
万葉を忘れた、日本人は、その頃から、いたのである。

仏教の言葉の世界に、翻弄され、それを、精神の深さであると、勘違いしたのである。
それから、今に至るまで、迷い続けている。

加えて、厭離穢土とは、欣求浄土を希求するものである。
生きている、この場を、厭い、生きていない、あの世を、希求するというのは、健康であろうか。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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