2008年06月06日

もののあわれ206

さて、空海の次には、浄土思想を、取り上げた、源信である。
往生要集は、寛和元年、985年の作である。

無常観と共に、厭離穢土という、観念と、そこから、欣求浄土という、観念が生まれる。
この、浄土思想が、女房文学の中に、表現されてゆくのである。

浄土思想は、当時の知識階級の、不安を、そのまま、受け止めたと、思われる。
何故、不安なのか。何が、不安だったのか。

私は、平安貴族の平和ボケだという。
頽廃した生活を送り、危機意識皆無の状態であり、なおかつ、何か、先の知れない、不安感というもの。
実は、現代に続く、抑鬱の状態を、この頃から、持ち合わせていた。

女たちも、男の愛を、ひたすら待つという、状態の中で、いつ来るのか解らない男を、待ち続けという、不安と、倦怠である。

それなのに、仏教では、何かしら、危機意識を、煽る。
その典型が、源信の、日本版、死者の書とも、言える、往生要集であった。

極楽への、往生を願うという気持ちは、飛鳥時代から、あったといわれる。
ここで、成仏と、往生の違いである。

実に、仏教の、成仏と、往生は、面倒な話である。
成仏するのか、往生するのかという、観念に、嵌めて、要するに、脅しである、それで、信仰を、強要するという、脅しである。

早々簡単に、成仏など出来るものではないと、知る者が、往生を唱えた。それが、浄土思想である。

あわれ、という、心象風景が、変質してゆくのが、この、浄土思想である。
あわれ、に、無常観を、伴うという、病理と、私は言う。

病むことを、浄土思想は、求めたのである。
それが、厭世観である。
要するに、この世は、汚辱に、まみれているという、考え方である。
汚辱に、まみれているから、この世というのであるが、当時は、新鮮な思想だったといえる。

更に、それに、拍車を掛けたのが、末法思想である。
これも、どうかと思うが、観念である。
1052年が、末法の初年と、言われる。一体、誰が決めて、誰が、それを、証明するのか、全く根拠がないが、未だに、仏教家たちは、末法と掲げている。
実は、末法とは、仏陀の教えが、無に帰すといわれるのである。
そうであれば、常識として、仏教壊滅であろうが、未だに、仏教と、喚いている辺りは、アホとしか、思えないのである。

さて、源信の、往生要集である。
「往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賎誰か帰せざるものあらん。ただし顕密の教法、その文一にあらず、事理の業因、その行これ多し。利智精進の人はいまだ難しとなさず。予がごとき頑魯の者、あにあへてせんや。この故に念仏の一門によっていささか経綸の要文を集め、それをひらいてこれを修せば、覚り易く行じ易からん」
との、書き出しである。

内容は、厭離穢土、欣求浄土、極楽の証拠、正修の念仏、助念の方法、別時の念仏、念仏の利益、念仏の証拠、往生の諸行、問答料簡、である。

つまるところ、死ぬ準備のための、ものである。
当時としては、画期的な書き物であった。

それはそれとして、善し。文学としては、非常に面白いが、それをもって、信仰を、特に、念仏行を云々ということになると、どうであろうか。

さて、深入りすることは、出来ない。
そこに、もののあわれ、というものが、何がしか影響を、与えたのか、与えられたのか。

もののあわれ、という心象風景を、持つ者、この、往生要集に、少なくても、曳かれたであろう。

新たな、救いの道のような、ものとして、現れたのである。
もののあわれ、の心象風景に、蔭を落とした。
万葉の、古今の、もののあわれ、を、更に、深めたのか、変節されたのか、いや、心を病むことにもなったと、思える。

それが、思想の深みに、至ったともいえるが、余計な観念を、植え付けられたとも、言える。

しかし、この、厭離穢土、欣求浄土は、戦国時代、いや、第二次世界大戦まで、続く、日本人の潜在的意識にまで、なったと、思える。

変な、話である。
この世を、厭い、この世に生きるというのであるから。
だから、死後は、極楽浄土にと、思うのだと、言われてみれば、それもそうだが、観念である。

しかし、確実に、もののあわれ、というものに、影響を与えた。

否定できない。

実際、厭離穢土とは、源信の書では、地獄の様を、描いているのである。
それが、また、非常に鮮明に描かれて、多くの人に、無用な恐れを抱かせた。現代でも、これを、そのままに、利用する者がいるが、想像力のものである。
ダンテの、地獄篇のようなものである。
芸術家の、想像力は、歓迎するが、宗教家の想像力は、迷惑である。

先に進むが、結果は、もののあわれ、に、怪しい蔭を落として、やや、歪んでくるのである。

これを、突き進んで、更に、もののあわれ、というものを、見つめてゆきたいと、思う。

ちなみに、源信から、法然へ、そして、親鸞へと、念仏の道は、進む。
鎌倉仏教へと、受け継がれるのである。

王朝の危機感は、女房文学の場合、主として無常感、宿世の思い、念仏の心として描かれるだけである。地獄の和風的表現などみあたらない。色好みに生ずる罪の自覚はあるが、刀葉林のような強烈であくどい描写を好まず、また罪をあのようなかたちで確認することへの嫌悪があったのだろう。或いは「神ながら」の「祓」の形式が、なお根強く存在し、仏教的罪悪感情のなかに混在していたことも考えられる。
亀井勝一郎 日本人の精神史

古代日本人の、死生観は、死者の霊は山に帰り、空に上る。または、海に帰る。
万葉の挽歌にあるように、言葉によって、霊を、清め祓うのである。

明確な、死後の世界の意識は、無いが、追悼慰霊の深い思いは、ある。
それが、たゆたい、となり、あわれ、となって、心象風景を作るのである。

源信の書は、漢語の影響大である。
ひらがな、では、あのような世界を描くことは、難しい。

一つ、残念なことは、仏教によって、
死と死後の観念が生まれたことにより、挽歌を詠むということが、なくなったことである。
これは、実に、ゆゆしきことである。

この、仏教における、追善儀礼なるもの、新しい、魂鎮めの行為になったと、亀井勝一郎は言うが、それは、甚だしく、勘違いである。
歴史としては、そのように、見えるが、実際、それにより、魂鎮めは、行われないのである。

単なる、気休めである。
そう、仏教というもの、単なる、気休めなのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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