2008年06月04日

もののあわれ204

もののあわれについて、を書いている。
それは、藤岡宣男の歌にある、もののあわれについて、を、言うために、書いている。

万葉集から、古今集、そして、和泉式部日記を、書いた。

これから、更に、進むために、一つ、どうしても、もののあわれに、影響を与えた、無視できないもの、仏教といものを、少し見渡すことだと、思っている。
しかし、仏教史を、書くわけに行かない。

本来は、仏教を、語ることなく、進むはずだったが、どうしても、もののあわれ、というものの、陰影を、見るためにも、仏教に影響されつつ、ジグザグに、進まざるを得なかった、もののあわれ観というものを、見なければならない。

紫式部も、日記、源氏を書きつつ、浄土信仰に、傾いた。
色好みから、王朝を舞台にした、源氏の物語であるが、矢張り、そこに、多くの問題意識と、我が身の、心の置き所を、当時流行の、浄土信仰というものに、曳かれてゆくのである。また、言葉の世界である。
仏教にある、言葉の世界に、救いというものを、見いだそうとする。

それは、また、日本人の精神史の上からも、検証することは、必要である。

歴史家の、誤りは、事柄のみに、捕らわれて、その、根底にある、精神というもの、つまり、言霊の信仰や、仏教に傾倒する心の問題、深層心理に触れない。
歴史は、精神である。
精神は、言葉である。
そして、言葉は、意識である。

そういう意味でも、、仏教の言葉の世界を、無視できない。

もののあわれ、というものを、側面から理解するためにも、仏教全盛の、流れを少し、俯瞰することにする。

仏教伝来から、宗派というものが、発生したのは、南都六宗からである。
それは、現在、廃れずとも、細々と、奈良に、残滓を留める。
ちなみに、奈良の仏教は、檀家を置かない。布教もしない。ゆえに、金にならないから、入場料を、徴収する。それは、理解する。
葬式もしないはずだか、どうなったのか。

日本仏教の、転換は、最澄と、空海である。

天台宗、真言宗、真言宗は、それに、密教と、わざわざ付け加えた。それは、天台宗の最澄も密教の要素大であるが、空海は、最澄を超えるということからの、密教である。

彼らの、加持祈祷というものが、いかに、重要視されたかは、自然災害から、病気治癒までを、取り扱ったのを、見れば解る。
その、無力にあるものに、加持祈祷は、一つの、解決手段を与えた。

天台からは、多くの新興宗教、鎌倉仏教が、生まれた。
しかし、空海の真言密教は、その体系が、重層であり、やすやすとは、新興宗教に、分派できなかったといえる。

空海については、天才的宗教家といえるので、それを、解説することは、実に、膨大な言葉が必要である。
それを、簡単に言うということは、僭越であるが、ここは、もののあわれ、に、焦点をあてているので、理解して欲しい。

空海の最初の、著作は、24歳の時の、三教指帰である。
それは、儒教、道教、仏教の三教を検討し、優劣を論じたものである。
結果的に、仏教による救いに、至るというものである。

その後、空海は、最澄と、共に、唐に渡る。
桓武天皇の延暦23年、804年である。30歳であった。

空海の、20歳過ぎから、唐に行くまでの、10年間は、不明である。
一人、仏道の修行をしていたと、察する。
頭脳明晰と、行動力は、並外れていた。

山岳は彼にとって「法身の里」であったということは、孤独に沈滞して禅定をこころみる場であったということだ。・・・死との対決の場であったと言ってよい。無常観は生を凝視するとともに死を凝視する眼であり、「死」眼を通じて生の意味をさぐる行である。それは同時に自己の空無の確認である。
そういう心を携えて今度は世間に還り、世間の煩悩や紛糾を携えて山岳へ環るという、この循環に空海の「行」があった。換言すれば、このような「行」を通して、彼は常に惰性からの脱却をこころみたと言ってもよかろう。
日本人の精神史 亀井勝一郎

空海の、目的は、究極の救いであり、国家の導きという、希望だった。
それは、壮大な目的である。
空海の著作を、検証している、暇は無いので、結論から言う。
野心である。
救いを、国家を、導く壮大な思想である。

空海の、想像力の最大のモノは、大日如来であった。
究極の、理想の如来であった。
勿論、大日如来とは、観念である。
しかし、今は、その、云々に触れない。

実は、大日如来は、仏教というより、古代インドの太陽信仰による。
光明遍照とも、訳されている。
それを、仏性の根源とした、空海である。
つまり、空海は、新しい宗教を、創造したのである。しかし、当時の状況から鑑みて、それは、仏教の一派でなければならなかった。

仏性即我
これは、大乗仏教の教えであるが、空海は、それを、実践したところが、偉大である。
著述、詩作、書における、造形指導、私学経営、社会事業等々。
仕事といえば、膨大な量である。

既成の仏教が、成さなかったことである。
そして、今でも、空海を、超えての、行動をする、宗教家は、いないと、断言できる。
宗教的巨人といってもいい、存在である。

彼は、その行動を、身秘密を生ず、と、言い切るのである。
密教信仰の、秘密信仰の、所以である。

さて、問題は、空海の密教は、当時の人々に、どのように、受け入れられていたのかである。
人の心に、何をもたらしたのか。

国家安泰と、自然災害、そして、個々人の幸福、不幸に関した、現世利益の、加持祈祷を成すものである、という意識で、受け入れられた。
呪術の一言に、尽きる。
それを、空海は、最大限に演出したのである。

当時は、画期的な試みであり、創造行為である。

秘密荘厳心というもの、目に見えるものとして、表現した。
造形と、言語表現、祈祷の、総合芸術である。
言語表現は、声と言葉と、文字による。
声明という、音楽芸術である。

私は、日本史上、稀有な存在として、空海を、認識している。
その、良し悪しは、別であるが。

天皇をはじめ、貴族、支配者たちのための、壮大な祈りの場を提供した。しかし、それに、参加することは出来ない。ただ、その、修法に、従うのみである。

空海に帰依する以外に、それに、参入することが出来ないのである。
凄いことである。
それだけの、モノを、空海は創造したのである。

そこには、もののあわれ、というような、微妙繊細な心の、有り様は、入り込む余地はない。

もののあわれ、というものを、破壊するに足りる行為行動であったと、私は理解する。

究極的に、空海は、日本人ではないといえる。
もののあわれ、というものに、身を置かない、普遍的人間というものを、演じきったといえるのだ。

それは、別物だと、私は、考えている。
良し悪しは、言わないと、言った。

空海の、もたらした、脅しは、今も生き続けている。
空海の弟子たちに、更に空海のエネルギーがあれば、世界宗教にも、高めることが、出来たと思う。

日本の言霊でさえも、空海は、語密とした。
徹底した、オリジナルである。
それについては、大いに評価する。

たゆたう、もののあわれの、はかなさ、というものを、空海は、結果的に、否定したと、思える。

いずれ、別の場所で、空海については、論じたいと、思っている。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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