2008年05月31日

もののあわれについて200

いかにおぼさるるかあらむ、心細きことどものたまはせて、宮「なほ世の中にありはつまじきにや」とあれば、


呉竹の 世々のふるごと おもはゆる 昔がたりは われのみやせむ

と聞こえたれば、


呉竹の 憂きふししげき 世の中に あらじとぞ思ふ しばしばかりも

などのたまはせて、人知れずすえさせたまふべき所などおきて、「慣らはである所なれば、はしたなく思ふめり。ここにも聞きにくくぞ言はむ。ただわれ行きていていなむ」とおぼして、十二月十八日、月いときよきほどなるに、おはしましたり。


宮様は、どのように、思し召しされるのでしょう。
心細いことを、仰せになって、「やはり、世の中に、生き通せないのではないか」と、お書きになっていますので、


くれたけの よよのふるごと おもほゆる むかしがたりは われのみやせむ

何代も、語り継がれてきました、故事を思わせますが、私と宮様の、思い出は、私一人で、思い起こして行くことが、できるでしょうか。

と、申し上げますと、


くれたけの うきふししげき よのなかに あらじとおもふ しばしばかりも

呉竹の、節のように、疎ましいことの、多い世の中です。
生きていたくないと、思うのです。

などと、詠まれて、密かに、女を置くべき、場所を決められて、「慣れないところですから、きまり悪く思われるでしょう。邸の者も、聞きづらいことを、申し上げるでしょう。今は、私が行き、女を、連れてきましょう」と、思し召して、十二月十八日、月が、大変美しく、清らかな夜でしたので、宮様は、女の家に、お出でになりました。


例の、
宮「いざたまへ」とのたまはすれば、今宵ばかりにこそあれと思ひてひとり来れば、宮「人いておはせ。さりぬべくは心のどかに聞こえむ」とのたまへば、「例はかくものたまはぬものを、もしやがてとおぼすにや」と思ひて、人ひとりいて行く。


いつものように、宮様は、「さあ、おいでなさい」と、仰せになりましたので、女は、今宵だけの、外出だとばかり思い、車に、一人で乗りますと、宮様は、「誰か、人を連れてお出でください。許されることならば、落ち着いて、ゆっくりと、お話をしましょう」と、仰せになります。
「いつもは、誰か、連れよとは、仰せになりませんのに、もしや、このまま、邸に、落ち着くことになるのでは」と、思い、侍女を、一人連れて、参りました。


例の所にはあらで、忍びて人などもいよとせられたり。さればよと思ひて、「なにかはわざとだちても参りらまし。いつ参りしぞとなかなか人も思へかし」など思ひて、明けぬれば、くしの箱など取りにやる。


いつもの所ではなく、密かに、侍女などを置いて、住みなさいと、いうような風情に、しつらえてありました。
やはりと、思い、「何か、わざと、仰々しく邸に、参上する必要がありましょうか。人が、いつ、邸に、上がったのかと、思われた方が、いいと、思いました」
夜が、明けましてから、家に、櫛の箱など、取りにやらせました。


宮の歌
呉竹の 憂きふししげき 世の中に あらじと思ふ しばしばかりも

この歌は、すでに、憂鬱症である。

呉竹のように、つまり、竹の節のように、憂き事の多い、世の中というのである。
あらじと思ふ
ここに、いたくないと思うのである。

しばしばかりも
つかの間でも、いたくないという。

ほとほと、現実の生活が、嫌だというのだ。

貴族社会の中にあっての、発言である。

雅の精神にあって、退廃し、腐敗する、貴族社会の有様を、端的に言う。
一見して、戦の無い、平和な時代である。
しかし、危機意識皆無の中での、貴族の生活に忍び寄る、危機的意識を、宮は、持っていた。
このままでは、駄目になる。
何が、駄目になるのか。
それは、自分自身である。

当時、貴族の間に、流行していた、浄土信仰でも、宮の心は、救われなかったということである。

何をして、憂い心を、見つめていた。
少しの救いは、女との、恋である。
しかし、それも、すべてを、救うものではなかった。

すでに、現代に続く、病を、このこのから得ていたのである。

生きることは、憂いことなのである。

その時代の中で、源氏物語が、生まれる。
女房文学と、言われる。つまり、女が、書くもの。
当時は、女が書くものは、正式に認められるものではなかった。女子供のもの、それが、平仮名だった。

ところが、どうであろう。
平仮名によって、日本人の心の有り様である、もののあわれ、が、表現されるのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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