2008年04月03日

神仏は妄想である 62

量子力学が、霊界の存在、あるいは、多宇宙について、画期的な、存在の様を、証明するのではないかと、私は、期待していた。
ところが、トーキンスに言わせると、そうでもないらしいのである。

量子論があまりにも奇妙なのか、物理学者たちは何らかの矛盾した「解釈」に頼ろうとする。
ドーキンス

「多宇宙」解釈によれば、ある宇宙ではネコは死んでおり、別の宇宙では生きているということになる。どちらの解釈も、人間の常識や直感を満足させるものではない。しかし、力技の得意な物理学者たちは気にしない。問題は、その数学がうまく機能し、予測が実験によって達成されることである。私たちのほとんどが、彼らのやっていることをフォローすらできないのは、ふがいないことだ。結局、私たちは、「現実に」起こっていることについて、何らかの連鎖の視覚化というものがともなわなければどうにもならないらしい。
ドーキンス

連鎖の視覚化という。
つまり、はやい話が、目に見えない物である。目に見えない物でなければ、どうにもならないという。
科学的姿勢とは、そういうものである。
何の、違和感も無い。

更に、目に見えない物も、目に見える方法によって、目に見えるようにするのが、科学の姿勢である。それで、多くの、目に見えない細菌等々を、発見し、人類に貢献した。

私の立場である。
私は、霊学を、持つものである。
つまり、目に見えない世界というものを、考える立場である。
それは、多く、心理的状態によって、知る得るものであり、それは、心理学の分野で、おおよそ、解決される。
しかし、どうしても、それでは、解決できない問題もある。

だが、ギリギリのところまで、私は、ドーキンスを支持する。

私たちが進化した限られた世界では、小さな物体のほうが大きな物体よりも動いている可能性が大きく、大きいほうは動く際の背景と見られる。世界が回転するにつれて、近くにあるために大きく見える物体―――山、樹木、建物、そして地面そのものーーーは、太陽や恒星のような天体との比較で、互いにまったく同調して、観察者とも同調して動く。私たちの進化によって生じた脳は、前景にある山や樹木よりも、そうした天体のほうが動いているという幻影をつくりだすのである。
ドーキンス

ここに、重大な問題が、隠されている。
奇跡の、問題である。
互いに同調して、観察者とも、同調して動く、という。

つまり世界がなぜいま見えているように見えるのか、そして多くの事柄は直感的に把握しやすいのに、別の事柄は把握しにくいのはなぜか、といったことがあるのは、私たちの脳それ自体が進化によってつくられた器官だからという点をさらに突っ込んでみたいと思う。私たちの脳は、世界で私たちが生き残るのを手助けするために進化した搭載型コンピューターであり、その世界―――私はミドル世界という名を使うつもりであるーーーでは、私たちの生存にかかわる物体は極端に小さいことも、極端に大きいこともない。そこでは事物はじっとして立っているが、光速に比べればゆっくりとした速度で動いているかである。そしてそこでは、非常にありえなさそうなことは、起こりえないこととして処理しても問題はない。私たちの精神的なブルカの窓が狭いのは、私たちの祖先が生き残るのを助ける上で、それを広げる必要がなかったからなのである。

ブルカというのは、イスラム教徒の女性が、かぶる顔を覆う布のことである。
つまり、私たちの、ブルカの窓とは、視野のことである。

私たちの脳は、その体が自分の動き回る規模での世界の様子を知るのを助けるように進化してきた。私たちは、原子の世界を動きまわるようにはけっして進化してこなかった。
ドーキンス

ミドル世界で進化した私たちは、「一人の将校が、将校たちや他のミドル世界の物体が動く中程度の速度で動いていくとき、壁のような別のミドル世界の固い物体と衝突すれば、彼の前進は、苦痛をともなって阻まれる」といった事柄なら、直感的に、容易に把握できる。しかし、私たちの脳は、ニュートリノが壁を、つまりその壁を「現実に」構成している広大な瞬間の中を、どんなふうに通り抜けるかを想像できるようにはつくられていない。また私たちには、ものが光速に近い速さで動くとき起こる事態にうまく対処する知覚能力も備わっていないのだ。

ドーキンスは、実に、重大な、人間の認識能力について、語るのである。

これ以上の、引用は、避けることにする。

私は、ここで、ドーキンスが、最後に、最後の章で、奇跡の、有り得なさについて言う言葉を、聞く。

ありえなさの一方の極には、私たちが不可能と呼ぶまだ起こっていない出来事がある。軌跡とは極度にありえないような出来事である。マリア像が私たちに向かって手を振るということはありうる。結晶構造をつくっている原子はすべて前後に振動している。原子はあまりにもたくさんあり、その動きには一致して好まれる方向がないため、ミドル世界で私たちが目にする手は、石のようにじっと動かない。しかし、手の揺れ動く原子のすべてが、たまたま同時に同じ方向に動くということはありえる。またしても、何度でも言うが、・・・この場合、手は動くだろうし、私たちに向かって手が振られることを見ることになるだろう。それは起こりうるが、それが起こらない確率は非常に大きく、もしあなたが宇宙の起源からその数を書き始めたとしても、現在でもまだ依然としてゼロを書き終わっていないだろう。そのような確率を計算する能力―――ほとんどありえないことを、あきらめて両手を上げずに計算する力―――は、人間精神の解放のために科学が授けてくれる恩恵の、もう一つの例である。

奇跡には、すべて、裏がある。
そして、奇跡として、認識するものは、撹乱である。

ドーキンスは、進化生物学者として、渾身の力を込めて、神は妄想である、と言う。

私は、霊学として、神仏は妄想である、と言う。

新約聖書に、書かれる、イエスの奇跡は、悪霊祓いと、病気治しである。
更に、教祖と言われる人々は、多く、病気治しの奇跡を、行った。人は、それで、信じるようになる。

私の、知る、奇跡の例を、上げると、ある、拝み屋に行き、腰痛が、全快したということである。
そのカラクリは、簡単である。
その、拝み屋の、狂いの精神波動、つまり、ヒステリーの、力によるものである。
境界例という、精神疾患がある。
多くは、精神疾患による、狂いの、エネルギーが、痛みを取り、病を、癒すかのように、働く。

心理学で、解決される。
それは、多くの世界的、奇跡の場においてもである。
名医は、言葉によって、患者を癒す。
それは、心理学である。

霊的現象により、病や、奇跡を、起こすことを、私は、魔界関与という。
前世の因縁により、あなたの、足が、痛むということで、その因縁を消滅させることによって、痛みを取るという場合も、心理学が、有効である。

想像力は、病を、癒すのである。

何故、仏陀が、人生を、生老病死という、苦しみにあると、言うのか。
仏陀は、合理主義者であり、現実認識の、主である。
人生は、生老病死にあると、見抜いたこと、それが、端的に、それを、現すのである。

更に、因果の法を説いた。
原因が結果を、もたらし、また、結果が、原因になり、それが、死ぬまで、終わることが無い。

更に、オリジナルとして、仏という、人間の完成した、姿を描いた。

しかし、仏陀もまた、生老病死に、死んだのである。

もし、前世の因縁消滅によって、痛みや、病が、治るものであれば、因縁消滅しなくても、治るのである。

実相世界を、説く、宗教は多い。この世は、仮の世界であり、実相世界は、痛みも、病も無いという。更に、人は神の子であり、仏である。この世の姿は、肉体という、借り物を、着ている状態であると。

それは、実に、感性的である。
しかし、知性と、理性に関しては、論外である。

感受性の強い人は、それを、文字通り受け入れて、自らを、癒す。

この現実を、仮のものとして、思い込み、実は、よく解らない、死後の世界を、実相、真実の世界として、信じ込むことでの、詐欺行為により、撹乱させる。

霊学として、言う。
この世の、現実を、実相世界と、感じないで、よく解らない死後の世界を、実相世界、あるいは、神や、仏の世界として、信じ込ませるもの、それは、罪悪である。

仏陀は、すべては、心の、在りかたであると、観た。
心とは、想念の場所、想像の場所である。
思えば、在る世界である。
その、思えば、在る世界に、宗教は、目に見えない世界を、作り上げて、心を撹乱させる。

例えば、死後の世界で、苦しむ霊の、波動を、キャッチして、同じように、その箇所が、病むという。ゆえに、その霊に、悟ってもらい、それにより、病を癒すという。
もっともらしくの、想像力である。
しかし、それは、心理学が、出来ることである。

霊というものを、確実に、説明する、科学的根拠は無い。

だが、科学が、すべてを、知るかとえば、知ることは出来ない。

私の、霊学も、私の妄想である。

その、妄想を、いかに逞しくしても、神仏は妄想である。
霊界には、神仏は、無い。
霊は、在る。

そして、空とか、無という、状態も、宇宙を出ると、在る。

霊界は、宇宙の中にあり、未だ、空や無という、空間は、無い。
ブラックホールという、暗黒物質の世界は、あるが、それは、空でも、無でも無い。在るのだから、だ。
在るものを、空とか、無とは、言わない。

すべて、人の頭で、捏ね繰り回された、言葉の世界である。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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