2008年03月14日

もののあわれ184

するもの嘆かしと思へど知る人もなし。草の色さへ見しにもあらずなりゆけば、しぐれむほどの久しさもまだきにおぼゆる風に、心苦しげにうちなびきたるには、ただ今も消えぬべき露のわが身ぞあやふく、草葉につけてかなしきままに、奥へも入らでやがて端に臥したれば、つゆ寝らるべくもあらず、人はみなうちとけ寝たるに、そのことと思ひわくべきにあらねば、つくづくと目をのみさまして、なごりなう恨めしう思ひ臥したるほどに、雁のはつかにうち鳴きたる、人はかくもしや思はざるらむ、いみじうたへがたきここちして、


まどろまで あはれ幾夜に なりぬらむ ただ雁がねを 聞くわざにして

とのみして明かさむよりはとて、つま戸をおし開けたれば、大空に西のかたぶきたる月のかげ、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空のけしき、鐘の声、鳥の音ひとつにひびきあひて、さらに、過ぎにし方、いま、行末のことども、かがる折はあらじと、袖のしづくさへあはれにめづらかなり。


われならぬ 人もさぞ見む 長月の 有明の月に しかじあはれは

嘆いてみても、知る人もいません。
草の色までも、まるで、今までと違って見えます。
時雨が、くるまでには、まだ、間があると、思っていましたのに、早々と、時雨を、運んできた風に、草草も、なびいています。
それを、見ていると、今の今、露のように、消えてしまいそうな、わが身が、あやうく思えて、草葉を、見るにつけ、心悲しく思います。
奥にも、入らず、端近くに、臥していました。
少しも、眠ることは、できません。
人は皆、ぐっすりと、眠っていますのに、定まらぬ心の、乱れたままに、目を覚まして、いました。
一途に、心の憂さを、嘆いて、臥していますと、雁が、かすかに、鳴きわたります。
人は、私のように、思わないでしょうが、私は、いたく、悲しく思いました。


まどろまで あはれいくよに なりぬらむ ただかりがねを きくわざにして

まどろみもせず、幾夜を、過ごしたことでしょう。ただ、雁がねを、聞くことのみにして。

このように、雁の声を聞くばかりで、夜を、明かすよりはと、思い、妻戸を押し開けて、外を見ますと、西へ傾いた月の光が、大空に、遠く澄み渡って見えます。
霧の、かかった、空の様子も、見えて、鐘の声、鳥の声が、溶け合い、過ぎた日のこと、また、今のこと、行末のことを、思います。
このように、趣のある、時間は、中々ないと思い、袖を濡らす、涙までが、常とは、違い、しみじみと、いたします。


われならぬ ひともさぞみむ ながつきの ありあけのつきに しかじあはれは

私ではない人も、同じように、見るのでしょう。九月の、有明の月に、及ぶ趣のあるものは、ないでしょうと。

しかじあはれは
趣と、訳してもよい。

あはれ、は、おもむき、でもある。

趣、おもむき、とは、有り様、そのままの、様が、深く心に、訴えるという。

平安期の、雅は、趣でも、あった。

みやび、おもむき、である。
雅やかとは、派手なことではない。
趣のあることである。

趣のあるとは、そこに、あって、有る様にである。
そこに、相応しい、姿である。

平安期の、美意識である。
素朴であるものを、強調する、美意識である。
原色の美とも、言う。
草木で、染めた、そのままの色。古代色である。

それは、万葉から、始まったが、強調するという、意識が、働いたのである。

だが、自然の有り様には、矢張り、叶わない。
秋の月、有明の月という、朝明けの前の、月は、また、翳りのある、光である。

煌々と照る、光よりも、翳りある月の光を、趣と、感じる感性である。

それは、しかじあはれは、となる。

あはれ、という言葉に託す思いは、実に、複合的である。
語彙が、無かったのではない。
あはれ、と、表現するしか、言いようが無いのである。

心に、深く染み入るものや、事柄を、あはれ、と表現する。

実に、日本人の、感受性に、流れるもの、それは、もののあわれ、である。

一筋に、貫通、それが、もののあわれ、である。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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