2007年11月19日

キリスト44

安息日が終わったので、マグタラのマリア、ヤコブの母マリア、およびサロメは、香油を買った。イエスに塗りに行くためであった。そして週の第一日の朝早く、日が出るとすぐ、墓に行った。彼女たちは「墓の入り口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるのでしょうか」と話し合っていた。ところが、顔をあげてみると、石はすでにわきへころがしてあった。それは非常に大きな石であった。

マルコの福音書、第16章である。

死体は、通常洗い清められるはずだったが、イエスの場合は、安息日が迫っていたため、洗い清められず、血みどろの死体を、もつ薬と香料とともに、白麻布に包んで葬った。
トリーノの聖堂に収められている聖骸布は、そのときのものだと言われる。

墓の中に入った彼女らは、右手のほうに衣をまとった若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。すると、若者は言った。「驚くことはありません。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。復活されたのです。ごらんなさい、ここがお納めた場所です。さあ行って、弟子たちに、特にペトロにこう言いなさい。「イエスはあなたがたより先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこで、あなたがたはイエスに会えるでしょう」と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。我を失うほど恐れおののいていたからである。そして誰にも言わなかった。それは、恐ろしかったからである。

イエスの復活である。
キリスト教の最大の教義が、この復活である。

金曜の昼に死んで、月曜の朝には、復活していた。
三日後に復活すると言ったイエスである。

イエスの復活がなければ、その信仰は、空しいと、パウロが言う。

ここで、霊学より言う。
人が死ぬということは、肉体から、霊が出るということである。しかし、死後、その直後は、幽霊である。つまり、幽体を有する。肉体に似せた姿である。
中陰と仏教では言う、死後の直後の幽体である。まだ、この世から、完全に去っていない状態である。
キリスト教も、煉獄という、霊的空間を想像した。迷える霊のいる場所、空間である。それは、正しい。
それでは、イエスの復活とは、幽体の姿を見せたものであろうか。

墓にいた若者とは、誰か。
天使と言うであろう。

霊的能力の非常に高いイエスが、幽体のままでいると考えるのは、不自然なのである。
即座に、霊に変容したと言う方が正しい。
しかし、幽体のままでも、その姿を現すことは、簡単である。

私は、肉体のままに、現れたとは、言えないと言う。
それでは、その肉体は、どうしたのか。
墓の中には無かったという。
誰かが、持ち出したのか。違う。イエスは、肉体を消滅させたのである。

そして、墓にいた若者は、イエスであった。
幻を見せることは、簡単である。

ある、芸能人が、自殺した友人が、部屋に訪ねて来て、一緒に食卓で、お茶を飲んだという。まさに生きている時のようにである。
そして、言った。あなたの右脳に語り掛けていると。
右脳である。
右脳の後頭部は、魂の場所である。霊は、脳全体の側頭部にある。
霊は、光であるから、後光という光が射すのである。

翌朝、彼女は、死んだ友人が飲んだ、茶碗を確認した。夢ではないと。

その死の意味について、友人は語ったと言うのである。

私は、イエスが、復活したというのではなく、死後の世界を見せたと解釈する。

人は、死んでも、死なない存在なのである。

霊的存在になると、自由自在である。どのような姿にもなれる。ただし、この世に未練があればである。
実に、多くの人は、この世の未練を捨てる。
幽霊で残るというのは、余ほどの、捕らわれ、未練である。
ただし、時には、死後、死の苦痛により、気絶してしまい、この世で言う、眠るということになる。それが、目覚めるのは、人それぞれである。
中には、百年、二百年と、眠る場合もある。
目覚めて、祟ると、その子孫は、原因不明の、云々ということになる。
また、祟られる場合もそうである。

さて、復活を最大の教えとして、信仰を築くキリスト教であるが、霊学から見ると、特別なことではない。

イエスの最大の奇跡であるが、霊の世界を知る者には、当然であって、当然のことである。

ちなみに、仏陀は、その死後、姿を見せることがなかった。その必要が無いのである。

再度言う。
霊的存在になると、光の存在になり、光のみを見せる。
それは、青い光だったり、黄色だったりと、その人の好きな光を発する。
そして、それは、数秒である。
亡くなった直後に、霊体になった場合は、数分見せる場合もある。それは、昼間でもである。

イエスの復活の有様を書く、福音書は、そうであれとの願いを書いている。
弟子たちの中に現れて、皆、その姿を見たということも、正しい。そのようなことは、出来る。

私の知り合いで、祖母が亡くなり、家族で食事をしつつ、祖母の話をしていると、祖母の顔が、浮かんだという。
皆、それを見ている。皆に、見せたのである。
私は、在ると。

イエスの奇跡と同じように、弟子たちは、別次元に移行されていたのである。

ただ今、アメリカでは、量子力学の学者たちが、同じ場所で、別空間が存在するとの、証明を始めている。
まだ、翻訳されていないが、私の知り合いが、その書籍を取り寄せて、訳している。これから、私の手元にもくる。
それによると、同じ場所で、別次元が存在し、そこでは、多次元の生き物、人間、つまり霊的存在者が、生活、生きているとする。

それを、ある人は霊界と呼び始めているという。

数学では、楽々と、五次元の世界を説明している。
五次元とは、神と尊称される霊界の次元である。勿論、六、七、八次元が存在する。

日本上空には、八次元の霊界、高天原、タカアマハラ霊界が開けてある。勿論、その霊界は、世界で唯一である。
ヒマラヤ霊界も五次元までである。

何故、日本上空に、八次元の霊界が開けるのかは、人類の正しい太陽信仰を続けていたからである。
太陽を神と仰いできた民族の末裔である。
しかし、選民意識は無い。そんな程度のレベルの低い意識ではない。




posted by 天山 at 00:00| キリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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