2007年11月10日

キリストの絶唱 番外編

創世記の話を続けるつもりだったが、書き込みに、キリストの奇跡は、創作だった、史実ではなかったという。
聖書研究家、研究者たちの間でも、多く、奇跡は、史実ではないという者あり。
嘘である。
奇跡はあった。

奇跡は、史実ではないという者、奇跡はあったという者、いずれもその証拠を提出できない。奇跡だからだ。

超自然現象は無いと断定できる、何物も無い。
そして、多くは、自分の頭で理解できるものしか、理解できないのである。
奇跡を知らない人は、奇跡を無いという。
知らないものは、無いものだからだ。

日本人好みのイエス像を描いた、遠藤周作という作家も、イエスは、ただ弱い男だったと書く。何も出来ず、泣く人と共に泣いたという。そんな嘘を平気で書く。それこそ、創作である。小説家の創作を、信じて、真実のイエスを知らないのである。

新約聖書を、じっくりと読むと、あることが解る。
イエスの言葉である。
あれ程の言葉を吐くには、それだけの証拠が無ければならない。
一粒の信仰があれば、山をも動かすという。それを、自らが示して、始めて、言葉が成る。

イエスは、湖の上を歩いたという。奇跡である。
しかし、琵琶湖を歩いた人もいる。
ある程度の、能力さえあれば、そんなことは、簡単に出来る。
ただし、私は、そんなことを勧めない。

役の行者は、空を飛んだ。
魔界と接触すれば、軽いことである。
イエス程度の奇跡ならば、信じられる。普通である。

日蓮は、佐渡島に流された時、満潮の海に棒で縛られて置かれた。しかし、海水は、日蓮を守った。その時の、祈りの言葉が凄い。
悪霊、邪霊、あらゆる霊よ、日蓮がために働け。さすれば、お前たちも、救われる等々。
また、雨乞いの祈りも、成就させている。他の僧では駄目で、日蓮が成功させた。
ある新興宗教の教祖も、空間から、物質を出していた。
そんなことは、当たり前に出来る世界がある。
それを、科学で証明出来ないだけである。

私は、心霊手術を受けたことがある。
実際、自分の体で確認した。
指で、体を切る。血が出る。そして、病の物質化したものを、取り出す。当たり前である。
何も、不思議は無い。

聖書の記述を簡単に、創作だとなど言わない方が、身のためである。
少なくとも、書いた者は、2000年を経ている。つまり、相当な霊体になっている場合あり。もし、悪霊の方になっていた場合は、簡単に言えば、祟られる。

ある法華経信奉者が、空海の批判をした。堂々とである。
単に、単純な信仰者である。空海を批判出来るようなことをしていない。
たちまち、原因不明の体の痛みに、のた打ち回った。

長く歴史に残る教祖、開祖は、実に霊力がある。
こちらが、相当な力が無い場合は、批判は禁物である。
特に、公の場では注意である。
私は、それを知って、日本仏教を批判している。
しかし、開祖たちを、批判することは無い。それを別な形で、認めている。

さて、聖書の奇跡は、事実ではないという。それで話が終われば、目出度しであるが、そうは問屋が卸さない。
新約聖書を読み込まない者が、半端な知識で物を言う。
注意せよ。注意せよ。

ある奇跡の時に、イエスは、弟子たちに言う。
このようなことは、祈りと断食が必要であると。
悪魔祓いの奇跡である。
これ以上説明すると、オカルトになるので省略する。



posted by 天山 at 00:00| キリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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