2007年10月12日

もののあわれについて126

仏跡を恭ふ

御足跡作る 石のひびきは 天に到り 地さえ揺すれ 父母がために 諸人のために
みあとつくる いしのひびきは あめにいたり つちさえゆすれば ちちははがために もろびとのために

この御足跡 八万光を 放ち出だし 諸々救い 済したまはな 救ひたまはな
このみあと やよろずひかり はなちでだし もろもろすくい わたしたきはな すくひたまはな

如何なるや 人に坐せか 石の上を 土と踏みなし 足跡残けるらむ 貴くもあるか
いかなるや ひとにいませか いしのうえを つちとふみなし あとのけるらむ とうとくあるか

丈夫の 進み先立ち 踏める足跡を 見つつ偲ばむ 直に会ふまでに 正に会ふまでに
ますらおの すすみさきたち ふめるあとを みつつしのばむ ただあうまでに まさにあふまでに

仏教が、大和言葉で語られたという例である。
救済を、済したまはな 救いたまはな、と歌う。
わたす、済す、救いたまはな

一体、何からの救いであるのか。
何も書かれていない。

この時代の人は、何から救われたかったのであろうか。

今の時代も、一体、何から救われるために、信仰するのか。
実は、誰も解らないのである。

仏という、超越した存在に、何かの救いを求めているのではなく、崇敬の思いに満ちているのである。
つまり、崇敬の思いが、そのまま、救いになるのである。

何度も言うが、万葉初期には、崇敬ではなく、共感であった。
そして、共生していた。
超越した者、存在を置かないというのが、万葉初期である。

自然との、共生、共感で、自分も、超越した者、いや、超越などという観念は、必要なかった。
私は、この心境、この思いを、神代の感覚という。

神代の感覚が、万葉初期には、溢れていた。
これが、最大の重要なところである。

神代の感覚を失ってから、現代に至るまで、人は、病むようになる。

上記の歌、文学的何物も無い。敬虔な思いのみである。

通俗的な言い方をすれば、敬虔なクリスチャンという時、そのクリスチャンは、あたかも、正直、真面目な人物ということになるが、単なる、妄想の観念に、凝り固まった者ということになる。
神様には、敬虔になるが、他のものに対しては、一切の妥協は無い。非寛容で、排他的である。

結果、仏教というものも、当初は、敬虔な思いだけでよかったが、一神教の形相を帯びることになる。
鎌倉仏教を見れば、一目瞭然である。
念仏宗が、題目宗を、削除しようと、権力に働きかける。その逆もある。

更に読む。

人の身は 得がたくあれば 法のため 因縁となれり 努めもろもろ 進めもろもろ
ひとのみは えがたくあれば のりのため よすかとなれり つとめもろもろ すすめもろもろ

四つの蛇 五つの鬼の 集れる 穢き身をば 厭ひ捨つべし 離れ捨つべし
よっつのへび いつつのおにの あつまれる きたなきみをば いといすつべし はなれすつべし

雷の 光の如き これの身は 死の大王 常に偶へり 畏づべからずや
いかづちの ひかりのごとき これのみは しにのおおきみ つねにたぐへり おづべからずや

因縁を、よすが、と読ませる。
因縁を、大和言葉で、よすが、という。
よすが、といえば、因縁より、深い意味になる。
縁、とも書く。
よす が、と別ける。拠る、寄る、因る、縁る、由る、選ると、多くの書き言葉がある。
そして、がは、我のことである。
我の寄るべきことろ。我の寄るべきものである。

穢き身を、厭うとか、離れ捨てるというのは、仏教による。それ以前は、そんな感覚は無い。
心の影を、四つの蛇とか、五つの鬼という。

或る評論家は、信仰を内面化させた、珍しい表現だという。

これが、極まると、親鸞のように、救われない者という肥大化した意識が、生まれてくるのである。

徹底した、他力本願というが、徹底した、肥大化した自我である。

知識人に、親鸞に帰依する者が多い。それは、肥大化した自我意識を持つからである。
あたかも、救いを求めているかのように、振舞うのである。
その実は、我に酔うのである。
救いを求めている我に酔う。救われない我に酔う。

それでは、自力の禅の道元は、どうか。
私は批判する。
しかし、道元は、独特な言葉を用いるゆえに、批判を書いても、理解するのが、難しい。
いずれは、書くが、今は、省略する。
ただし、道元も、自我から、抜けきれないのである。

仏の家に、自我を投げ入れて、仏という、自我を持つというものである。

万葉集とは、異質な、歌を紹介したが、これもまた、ある一面である。

書き残してあるということは、書かれなかったものもあり、書かれても、消滅してしまったものもある、ということである。
残されたものによって、辛うじて、探る行為を、歴史を観るという。
探るのであり、真相究明ではない。




posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれ第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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