2007年10月03日

もののあわれについて116

天平宝字三年春正月一日、因幡国庁にて、饗を国郡の司等に賜える宴の歌一首

新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け 吉事
あたらしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけ よごと

万葉集20巻最後の歌は、大伴家持である。

新しい年の始めの初春。雪が降り積もるように、善き事が重なり積もるように、さらに重なれよ。目出度きこと。

大伴家持。
万葉集編纂の主である。
その彼のことを書けば、終わるとこなく、延々と続く。ゆえに、大幅に省略して、書く。

家持の歌は、長歌、47首、短歌、431首、旋頭歌、1首の、479首である。
万葉集が、4500首であるから、おおよそ一割である。

大伴旅人が、大宰府に赴任した時、家持は、11歳。
父旅人が、亡くなった時、14歳。
内舎人、うちどねり、として、宮中に奉仕することになったのは、天平10年10月、21歳。

天平17年1月、従五位下に叙せられたのが、28歳。
翌年18年、宮内少輔、六月に、越中守に任じられる。29歳。

天平19年は、東大寺の大仏鋳造が、聖武天皇の悲願を込めて、始められる。
天平感宝と、改元された年、四月、家持は、従五位上に、叙せられる。
海ゆかば、を、歌い、祝賀と、大伴一族の決意を歌い上げた。32歳。
この年、聖武天皇は、譲位され、七月、天平勝宝となる。

勝宝三年、家持は、小納言に任じられて、六年振りに、北陸から、都に戻った。34歳。

勝宝六年四月、兵部少輔に任じられて、山陰巡察使を拝命。37歳。
翌年七年、二月、交代のため難波の津に集められた、東国からの防人たちが、兵部省の担当官に引き継がれた。その時の、担当者が、家持である。
防人たちの歌、93首が家持によって、収録される。

天平勝宝八年、聖武上皇、崩御。
翌天平元年一月、家持を推挙して、支援していた橘諸兄が、没する。
六月に、兵部大輔に、任じられる。
そして、七月に、諸兄の長子奈良麻呂を中心に、皇族4名が、加わり、藤原仲麻呂の、専制打倒のクーデターが事前に発覚。
捕らわれた者、400数十人。
大伴一族の有力者も、加わっていた。

翌二年、因幡守 いなばのかみに、任じられて、任地に下る。
翌三年の一月の歌が、上記のものである。
家持は、これをもって、歌うことを、止めた。42歳。

藤原氏の独裁政権にあり、家持は、沈思黙考の様である。

大伴氏の有力者が、惨たらしい死と、断罪される様を見て、家持は、実に、複雑な心境であったろう。

家持の歌は、父旅人と、憶良がいて、さらに、人麿がいる。
最後に、人麿の、歌の心に、辿り行こうとするが、時代は、移り行くのである。

古今の世界が、すでに、始まろうとしていた。

人の心の思いに、線を引けないように、歌の心の様にも、線は引けない。
曖昧にして、歌心も、移り行くのである。

もののあわれ、を、底辺にして、歌の世界が、歩き始める。

うつせみの 世は常無しと 知るものを 秋風寒み 偲びつかるかも
うつせみの よはつねなしと しるものを あきかぜさむみ しのびつかるかも

22歳の時の歌。
世の中は、無常であることを知るが、秋風が身にしみるにつけても、亡き人のことが偲ばれる。

契りを結んだ女の死を、思うのである。

世の中は 数なきものか 春花の 散りのまがひに 死ぬべき思へば
よのなかは かずなきものか はるはなの ちりのまがいに しぬべきおもえば

30歳の時の歌。
世の中というものは、何と儚いものであろう。春の花が散るように、その散りゆく花に、まぎれて死んでゆくのかと思えば・・・

うつせみは 数無き身なり 山川の 清けき見つつ 道を尋ねな
うつせみは かずなきみなり やまかわの さやけきみつつ みちをたずねな

39歳の歌。心痛のあまり、病床に臥した時の歌である。

うつし世に、生きる人の身ほど、儚いものはない。山川の清らかな風景を見つつ、静かに、あるべき道を尋ねたいものだ。
仏の道と、解釈する人がいるが、果たして、そんなものだろうか。

上記の歌、憶良の世界に近いものがある。

すでに、仏教の無常観が、蔓延していたという。

もののあわれ、が、無常観に支えられる時期に突入する前段階である。

あわれ、が、哀れという文字に託されるのである。

もう一つは、憐れである。

音霊から、言う。

あアわアれエ
あ、も、わ、も、吾である。
え、は、留め置くという意味。

吾を吾に、留め置くのである。

あわれ、とは、無常観に彩られるものではない。無常観も、内包している。

鎮魂、御魂鎮めという、特別な、修法がある。
吾を吾に、留め置くことである。
魂を、吾に留め置く。
魂を鎮めるとは、吾が吾になることである。

神道では、それを、神に成る。鎮魂帰神という、言い方をするが、それは、宗教の教義になる。
古神道は、宗教の教義に無いのである。

古神道を任じる、新興宗教があるが、誤りである。

人は、神という、超越したようなものにはならない。
鎮魂帰神とは、その、超越した神を想起させる。

古神道には、超越した神という存在を置かない。というより、そんなものは、霊界に無いのである。

あわれ、とは、私が我になることをいう。

それは、私との邂逅である。

もののあわれ、の、核心は、そこにある。

大伴家持二十三日饗によりて作る歌

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも
はるののに かすみたなびき うらかなし このゆうかげに うぐひすなくも

饗とは、宴会である。
多くの人がいる。
しかし、家持は、独りであることを、感得する。

絶対孤独の境地という。

仏教の妄想の悟りという、境地より、よほどよい。

うら悲し、とは、うらは、心である。心が、悲しいのである。だが、悲しいのは、愛しいとも書く。

うぐひすの鳴き声に、共感し、同化し、私が、うぐひすの声になる。
その孤独感である。
もののあわれ、の、正体を観る。

この愛しい私の存在を、支える、私である。
私の我である。

もののあわれ、とは、そういうことである。



posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれ第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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