2007年08月31日

人質解放

あまりに愚かで、アホなことなので、どうするかと、迷ったが書くことにする。

韓国、セムムル教会、キリスト教の新派である、のアフガンボランティア活動である。勿論、それは、布教活動である。

キリスト教徒というのは、タダで、ボランティアなどしない。
必ず、布教が伴う。そう、無償行為などはしないのである。

タリバンの解放の弁である。
韓国軍の撤退と、キリスト教布教の禁止である。
そして、身代金である。これについては、いずれ、その情報が出るであろうから、触れない。身代金がなくては、話にならない。

ラマダンの月に入るので云々という説は、どうにでもなる。
その月には、特別の施しや、奉仕をすれば、今までの罪が許されると、これまた、宗教指導者が、好きなことを言うのである。

アラブの格言
断食して祈れば、悪いことが起こる。
これが、真っ当な神経というものである。

さて、アホのキリスト教徒のことである。
二人も、殺されて、韓国プロテスタントの間から、殉教という言葉が出ている。
どこまで、アホかは、これで解る。
行けば、殺されるに決まっているところに出掛けて、殺されて、殉教というのは、意味が違う。しかし、彼らは、信仰という、とてつもない妄想により、目が曇っているがゆえに、それを知らない。知ることを知らないのは、実に、妄想のせいである。

旧約聖書には、神を恐れることが知恵のはじめ、とある。
神を恐れよ、キリスト教よ。
イスラムの神を恐れることから、知恵がはじまるのである。

十字軍の経験が生かされていないことも、キリスト教徒の頭の悪さである。
まあ、解っていても、やめられないから、キリスト教徒を、やっているのであろうが。哀れである。

福音原理主義といわれる、キリスト教の一派である。イスラム原理主義と、同じである。
それでは、福音を知るかといえば、何も知らない。
新約聖書の福音書のことであろが、彼らは、福音書を読むのではなく、信じるのであり、それを善しとする。

アンパンマンの漫画を信じるのと、変わらないのであるから、恐れ入る。

彼らは、アンパンマンを知らせるために、命懸けで、アフガンに出掛けた。そして、観光旅行用のバスに乗り、アンパンマンを胸に抱き、そして、アンパンマンに祈り、その加護を信じて、タリバンに拉致された。
拉致されてはじめて、少しは、現実を知ったが、アンパンマンに対する信仰は、変わらない。
兎に角、アンパンマンを信じて、解放を待ったのである。

韓国政府は、アンパンマンを信じて、アフガンの人々を幸福にさせるべく、アンパンマンを信じる信徒たちの解放に、大枚な金を用意し、韓国軍の年内撤退も、視野にいれての交渉である。
これも、すべて、アンパンマンを信じる人のためである。そう、アホでも、韓国民である。政府が動かなければ、国内の支持を得られない。

彼らは、解放をアンパンマンの守護であると、感謝したであろう。

この、アンパンマンに神を取り替えても同じことである。

相手をバイキンマンだと仮定しての行動である。

アンパンマンも、バイキンマンも、架空の存在である。
しかし、いくら、死ぬまでの暇つぶしとはいえ、それはないだろうと思うが、そうではない。

信仰という名の、蒙昧は、救いようが無いのである。
彼らは、そりれにより、救われていると言うが、信仰では、救われないことになっているという、宇宙の法則を知らない。

アンパンマンにもバイキンマンにも、作者がいるのである。

韓国国内では、政府が、キリスト教の布教を禁じるというタリバンとの約束をしたことを、非難するという、またアホな団体があるというから、驚く。

宇宙開発を進めて、早く、宇宙空間に、それぞりの宗教の巨大飛行船でも何でも、作るべきである。
どうしても、争いが好きなのであるから、しょうがない。

巨大宇宙船で、思いっきり、神を信じて、生きればよい。とは、言うものの、敵は味方から、出るので、その飛行船でも、宇宙船でも、争いが耐えないだろうが、そんなことは、どうでもいい。

地球では神も、仏も信じない、普通の人々が、普通に暮らしているだけでいいのである。

しかし、どうして、タリバンは、全員を殺さないのか、不思議だ。
そこが、彼らの信仰の曖昧さである。
異教徒は、殺せであろが。何故、殺さない。
女性を殺すのは、禁止されているのは、女がいなければ、子孫が絶えるからである。そういうことには、実に、真っ当であるが、他のことは、実に、不可解である。
要するに、勝手な解釈、勝手な議論であり、あま、暇な男たちが、何やら、するものである。

アフガン政府は、タリバンの仲間の釈放をするかである。
それを前提にした、解放であれば、実に、韓国人キリスト教徒、セムムル教会の信者たちは、愚かなことをしたものである。
しかし、決して、愚かなことをしたと思わないところが、信仰というものの、味噌である。糞ではない。

主イエスの福音を伝えるという言葉を、アンパンマンを伝えると、決して同じとは、考えないところも、糞ではなく、味噌である。

この話をすれば、少しは、理解の手立てになると思う。
私の知り合いに、仏教系の新興宗教に熱心な人がいる。その人が、叫んだ。
イスラムを救うのは、何々の経典しかないと。
彼女は、場所が場所ならば、即座に射殺されていた。
しかし、それを想像するなにものも持たないほど、信仰というものは、人を蒙昧にさせる。

この複雑な国際社会で、この価値観の多様な国際社会で、最も大切なことは、相手の思想、信条を尊重し、私の信念や、信条を抑えることである。
それぞれの国、それぞれの民族、そして、宗教を尊重する。つまり、曖昧に認めること。日本人の得意な礼儀作法である。

上記の人のように、叫ぶと殺される。それでは、目的を達することができないではないか。
普通の人の付き合いでも、相手を否定すると、先に進まない。まず、相手を肯定し、そこからの話し合いである。

日本人ならば、相手の持ち物から、褒める。
あなたの神は、素晴らしい芸術を生み出した。それから、話が始まる。
そして、郷に入れば郷に入り、相手の神を共に拝むのである。
世界共通の礼儀作法は、孔子の言う如く、相手が大切にしているものを、あたかも、自分も大切にしているように、振舞うことからである、と。

価値観の違う人と、対座するには、女を相手にすると思うことである。微妙繊細な心得を持って、対処することである。
女は、まず、持ち物から褒めると、安心する。

さて、私は、韓国人キリスト教徒らが、まともな人間に立ち戻るように、心を込めて、アンパンマンに祈るのである。

アンパンマンの祈りは、こうである。
何もつけて食べてはいけない。アンが入っているのである。アンを楽しめ。
である。

追伸。
タリバン幹部が、明かした。
身代金は、23億円以上であるという。
呆れた。
身代金の使い方を、幹部が明かす。
武器購入や組織の通信網の刷新、自爆テロを遂行するための車両購入に充てると。

見よ、あの23人によって、その何倍の人の殺しが予告された。
彼らは、殺された方が良かったのである。

国際社会、そして韓国国内から、批判の声が上がって、おかしくない。
彼らの自己責任である。
韓国政府は、アフガンへの自粛を打ち出していた。それにも、かからわずのアホの行動である。

アフガンに毛布を送るなどの、ボランティア活動をしている団体等を知るが、毛布一枚につき、送金料の寄付を募るのである。
23億円があれば、アフガンの人のために、どれほどのことが出来るか。
それを、アホどものために、こうである。
韓国政府は、人命を考えての判断だというが、これから、23億円により、殺される人の人命は、どうするのか、どうなるのか。

危険地帯であるというところに出たのは、自己責任であるから、人質に取られた時に、どうぞ、お好きな方法で、殺してくださいと、声明を発表するべきであった。

それが、本当の、国際的良心というものである。

あまりに、馬鹿馬鹿しくて、話にならない。
ホント、糞して、死ね、である。



posted by 天山 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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