2007年07月02日

イスラム10

神々は、ことごとく実体の無いただの言葉のみである。
それらの妄想を取り去った時、神聖な実在の神、アッラーが在る。
これが、ムハンマドのイスラムの言う、絶対一神教である。

だが、この当時、アラビアには、ユダヤ教徒、そして、キリスト教徒も存在していた。
ムハンマドが、メディナの預言者となった時も、その町には、ユダヤ民族がいた。
ムハンマドは、彼らに最初、期待した。
自分に啓示を与える神は、彼らの神であるという思いである。しかし、それは、実に甘い考えであった。

ユダヤ人は、旧約聖書に精通している。
それは、父の、祖父の、そして、その前の先祖たちの長い長い信仰の歴史がある。
磐石な信仰である。
その神の名を借りて、啓示を説く、ムハンマドに、彼らは、俄然として攻撃してきた。
公衆の面前にて、ムハンマノドに、旧約聖書に関する質問を浴びせた。
それに答えられないムハンマドを、彼らは、嘲笑した。

ユダヤ人たちは、ムハンマドが、最初の妻を亡くしてから、次々と妻を抱えたことが、特に弱点になった。九人の妻の存在が、ユダヤ人たちの、嘲笑をかった。
「色好みが、神の使者とは、聞いて呆れる」という言葉である。

最初、ムハンマドは、ユダヤ教も、キリスト教も、自分たちも、同じ神を崇める者との意識があり、それらとの対立を考えてはいなかったのである。
しかし、ここにきて、完全に違うものであると悟る。

ムハンマドは、ユダヤ教に対して、徹底抗戦するのである。
要するに、唯一の神は、原理上のことであり、彼らは、律法、トーラというものを持って、聖書を歪曲すると。
原文を至る所、歪曲し、それでも足りずに偽造さえする。まして、歴史は、彼らの狡猾、醜悪を伝え、罪人である。折角の、神の啓示が、彼らによって汚されると。

ムハンマドは、ユダヤ人のために、礼拝する方角を決める、キブラといわれるものも、エルサレムに決めたが、それも逆効果であり、最終的に、メッカの神殿に決定した。

味方と信じたものが、敵に回る。
ムハンマドは、ユダヤ人の歴史的なあり方を、徹底的に攻撃することになる。
世界のどこへ行っても、住民の恨みをかうような行為行動を取る、現実生活での、あくどさをコーランの中に記すのである。

さて、次はキリスト教である。
ムハンマドは、彼らに対して、最初は、大変に友好的だった。
コーランの啓示でも、キリスト教との関係は、親縁関係のように書かれた。
ムハンマドは、自分の存在がイエスによって、予言されているとまで言ったのである。

ユダヤ人に絶望しても、キリスト教には期待した。
「人の種類は多けれども、信仰ある人々に対して最も敵意はげしきはユダヤ人、次に多神教徒にして、信仰ある人々に対して最も愛情こまやかなるは「ナザレ人なり」と称する人々なることを汝らは知るべし。そはナザレ人の間にはあまたの聖職者及び修道士ある故にして、また彼らの天性もはなはだ謙虚なる故なり」

しかし、である。
キリスト教も、また、期待を裏切った。
イエスを預言者というムハンマドと、イエスを神の子であるとする、キリスト教徒が、合うことはない。

「おお信仰ある人々よ、ユダヤ人もキリスト教徒をも友と思うなかれ。彼らは互いの友なるのみ。汝らのうちもし彼らを友とする者あらば、そは彼らの一味なり。げに神は邪悪を為す人々を導き給うことなし」

当時、異端論争で内輪もめしていた、ローマカトリック教会を、鋭く批判し、三位一体の教義を一神教の、腐敗堕落と罵倒した。
そして、尊敬していた修道士に対しても、攻撃を開始した。
「人民の財をもっぱらに食潰し、人々を神の道からおびき出して迷わせる」

ここにおいて、ムハンマドは、イスラムを新しい宗教と認識した。

イスラエルの宗教につながる人格神の正統を継ぐものであること。
しかも、ユダヤ教でも、キリスト教でもない。
それらの歴史的宗教より、最も本質的、最も、本源的な宗教であるとの意識である。
永遠の宗教である。

そこで、見出したのが、象徴として、旧約の人、アブラハムだった。
アブラハムの宗教の復活である。
ユダヤ教でも、キリスト教でもない、永遠の宗教、それは、アブラハムの宗教であるとの結論に達した。

「汝、ニハーフとなりて顔をあげ、この宗教に向かえ。これ人間を創造し給える時と同じ働きにて神の創造し給いしものなり。神の創造には時空転変あることなし。されば、これこそ永遠の宗教なるに、それを知る人は極めて稀なり」
ニハーフとは、本当の古い宗教の信徒を言う。

ムハンマドは、歴史によって、堕落し、原型を失った永遠の宗教を、アブラハムの昔に戻し、純粋無垢な本来の宗教として、取り戻そうとした。
イスラムは、それで決定的になった。

イスラム、それは、神の奴隷である。絶対服従する者、それをイスラムという。

ムハンマドは、一切の妥協を止めて、徹底的に、イスラムとして生きることを、そして、自分は、最後の預言者であることを、宣言する。
神の前には、皆、平等であり、自分についても、特別視することのないようにと、信徒に言う。

これで見るとおり、イスラムには、一切の妥協は無い。
宗教の多くは、排他的、非寛容であるが、イスラムは、特にそれが強いのである。
基本的に司祭や、指導者はいない。それぞれが、それぞれで皆、神に祈りを捧げる。一人一人が独立している。

欧米の、そして、アラブの宗教は、こうして、日本人には、理解出来ない程の、観念がある。
それらの、人格神である、一神教が、世界の大半を占めている。
つまり、戦いが絶えない訳である。
排他的で、非寛容で、妥協しないのである。




posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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