2007年06月25日

政治家というもの

政治家になるということは、どんなことか。

自民党の参議員、大仁田厚さんが、公認辞退し、引退を表明すると、ヤンキー先生として有名で、現在、横浜市教育委員、国の教育再生委員の、義家弘介さんが立候補するという。

誰が立候補してもいい、当然である。
しかし、今、義家さんは、十分に教育再生委員会で、活躍し、その発言力が増している。どうして、参議院議員になることが必要なのか。

本人は、この参院選が、教育再生の分岐点になると、出馬に意欲的だという。
不思議だ。
結局、政治家という、立場を得たいのか。
それより、外からの立場で、物言う方が、説得力があると思うのだが。
しかし、名誉欲には、適わない。結局、そこに行き着く。勿論、本人は、そんなことを言わないだろうし、そんなことは、無いと言うだろう。

彼は、その著書から、有名になり、一気に時の人になった。
十年間は、その勢いの運勢が続くだろう。しかし、必ず、下る時が来る。
参議院議員として、八年間を使うと、それで、運気が終わることも。

人のことであるから、余計なことであるが、折角の、彼の良さと、立場のあり様が、勿体無い。

ちなみに、タレント、それに準ずる有名人が、ぞくぞくと政治家を目指す。
良いことであろうが、大丈夫だろうか。
ゴルフ選手の父親というだけで、立候補する人もいる。
信じられないのである。

政治家には、政治家になるための、学びが必要であろう。
ある専門分野を徹底して学び、それを土台にして、政治に参加するというもの等。
思いつきのアイディアで、政局を考えられては、たまらない。

民主主義は、多数決の問題である。数が多ければ勝つ。
すべて、選ぶ国民にかかっている。
今の政治も、すべて、国民が招いたこと。
年金、教育問題等も、詰まるところ、国民が撒いた種である。
責任は、国民にある。
社会保険庁の悪行も、以前から解っていたではないか。しかし、国民は、何も言わない。今更、責任、責任と言っても、始まらない。
最終的な責任は、国民にある。それが、民主主義である。

政治家を選んでいるのは、国民である。
以下、省略。



posted by 天山 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。