2007年06月19日

イスラム7

メディナに移行したムハンマドに、メッカのクライシュ族が、繰り返し攻め寄せる。
それは、八年間続いた。

西暦630年、一月、ムハンマドは、メッカに勝利した。
メッカ市民は、降服し市の門を開いて、ムハンマドを迎えた。

部族衝突は、当然であり、それがアラビアだった。しかし、今回の戦いは、今までとは、全く性格が違う。
部族と、信仰集団との衝突であり、メッカ市民は、ムハンマドに抵抗することに、意味を見出し得なくなっていた。何も得るものがないのである。一体、何ゆえに、戦いを続けるのかと、無意識に不安になったであろう。
生活の糧を、略奪によって得るという風土である。
ムハンマドとの戦いで勝利しても、一体何を得るのか・・・
ついに、その先が見えずに、メッカは降服したのである。

勝利したムハンマドは、完全武装したまま、最も信頼を寄せるアブー・バルクを伴い、聖殿カアバに行く。
聖殿に着き、手にしていた杖を黒石に触れて、大声で「アッラー・アクバル」神は至大なりと、唱える。
黒石に触れるという行為は、呪術である。
聖殿を取り巻いていた軍隊も、それに呼応し、アッラー・アクバルと叫ぶ。それが、地響きとなって、メッカに轟いた。
そしてムハンマドは、駱駝に乗りカアバを一巡し、駱駝を降りて、聖殿の鍵を求めて、カアバの内外に祀られていた数百の偶像を叩き壊した。
更に、聖殿正面に鎮座する、人々の信仰を集めていたホバルの神の像を、粉砕する。

アフガニスタンにて、仏像粉砕したイスラム過激派の比ではない。
当時の信仰の対象を粉砕するのであるから、その行為は、尋常ではない。しかし、それが必要であった。
アッラーのみを拝め。
アッラーのみが神である。

この激しさを信仰というのか・・・政治というのか・・・
兎に角、ムハンマドの支配が、そこから始まるのである。
「今や異教徒時代は完全に終わりを告げた」
ムハンマドが言う。
つまり、異教が続いては駄目なのである。それが、今現在まで続く、イスラムの姿勢である。
イスラムを理解するということは、ムハンマドの、この言葉を理解するということである。
アッラー以外に神は無し。そこに、取り入る隙は無し。
異教は、すべて偶像崇拝なのである。

「異教時代の一切の「血」の負目も貸借関係も、その他諸般の権利義務も今や全く清算された。又同様に、一切の階級的特権も消滅した。地位と血筋を誇ることは何人も許されない。諸君はすべてアダムの末裔として平等であり、もし諸君の間に優劣の差があるとすれば、それは敬神の念の深さによってのみ決まるのである。」
これを、平等主義ということが出来るのかは、解らない。
仏陀が説いた平等と、ムハンマドが説いた平等は、違う。
仏陀の平等主義は、命あるすべてのものが、仏の前では、平等である。
しかし、ムハンマドの平等は、アッラーを信じることによって得る平等である。

敬神の念の深さを持てば、他のあらゆる物を支配することが出来るのである。
それは、旧約聖書に神が言う。
全てのものを支配させよう、と。

イスラムを理解するならば、それを知るべきである。
アッラーを信じている者が、平等であり、異教を信じる者は、平等にはならない。
完全、選民意識である。

聖都であるメッカを手に入れたということは、全アラビアを手にしたということである。

アラビア砂漠の全土から、新しい王である、ムハンマドに恭順を示すために、続々と、メディナに人が集った。
アラビアには、王と呼ばれる者は、いなかった。ムハンマドが最初で、最後の王となる。

その二年後、632年1月8日、ムハンマドハは、天使の幻を見つつ、波乱に満ちた生涯を閉じた。
およそ60年の生涯である。

ムハンマドに現れる幻、天使というものの正体が、何であるかが、霊学の域である。
それは、省略する。



posted by 天山 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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