2007年06月17日

老成の思想

「そして、これまで幾多の試練と戦い、それを乗り越えながら歩んで来た自分の人生を振り返り「まだ老け込んでいる時ではない、これからもう一度、盛年として輝き謳歌して、そして世の中にも貢献をするんだ」という熱いパワーが心の底から湧いてきます。」

「超高齢化社会を迎える日本、そして2007年問題、年金、福祉、いじめ、少子化等々今後益々不透明な時代になっていくことは明らかです。不安を抱きながら突き進んで行かなければならない中高年にとって今必要なものは、「夢」「希望」「勇気」「自信」です。」

これは、団塊の世代の、ある歌い手のメッセージである。
何でも、保険業界トップセールスマンとして21年間走り続けてきたという方である。

盛春歌というチラシで私は知った。

幾多の試練と戦うというのは、誰もが同じである。特別なある年代のことではない。
老け込むという言葉がおかしい。
老いるを、老ける、ふけると読ませるのである。
オイルと、フケルは、全く意味が違う。
漢語の表記であろう。
老、オとフと読ませる。
おオと、ふウは、全く別物である。大和言葉では。

伝統教育を拒否した世代である。
そして、団塊の世代以後、全く伝統教育は、顧みられなかった。
それは、また、日教組教育でもある。

益々不透明な時代になっていくことは明らかです。というが、不透明でなかった時代は、あるのかと問う。
時代は、いつも、不透明である。

中高年ばかりが、不安を生きるのではない。
この年代に特有の、自我意識拡大、自己意識のみに、その満足に停滞するのである。

実に、恐れ入る。

日本には、老成の思想がある。
老いは、質も次元も違うことを言うのである。
青春の延長ではない、実に深い意味がある。
男は、翁に、女は、婆になる。
翁は神に近いもの。婆は、この地に根付くものである。
爺という言葉は、その道のプロを言う。単なる、老人を言うのではない。

人は、成長することによって、質も次元も変わることを、知っていた時代がある。
例えば、少年の元服。結婚。子を得て親になる。そして、父母との死別、等々。

お解りであろうか。
同じ人間でも、変容してゆくのである。

しかし、団塊の世代の多くは、ある年齢から、変容することが出来なかったのである。

精神的成長、心的成長、そして、魂に至る、成長への過程である。

動物と近いような生き方をして、今、還暦を迎えるという悲劇である。
勿論、日本の経済を支えた人々であり、その存在を無碍にすることはない。しかし、私は言う。軽薄であったことさえ気づかずに、年を取ったのである。

何度も言うが、伝統を知らない。
伝統とは、大和魂である。すると、いきり立って、話が出来なくなる世代である。つまり、本当の、大和魂を教えられなかったのである。

おおいなる、やわらぎの、こころ、である。

伝統とは、言葉である。日本語である。
それは、大和言葉から成る。
大和言葉とは、日本民族の精神の命である。

精神の命もあれば、心の命もあり、魂の命もある。
精神も、心も、魂も、一緒くたにして、味噌糞一緒であるから、ものの考え方が出来ない。

行き着くところが、今も青春という。
アホ、馬鹿、間抜け、糞ったれ、である。

「若いですねー」と言われることは、年寄りだということである。
若い人に、若いと言わない。若いからだ。

これから、この勘違いの団塊の世代が、介護を受けるようになる。誰が、彼らを介護するのか。
心配でならない。
寝たきりになっても、俺は青春だと言うのであろう。馬鹿馬鹿しい。
解った風なことを言う世代である。何も知らないのであるが・・・
私は、彼らを先輩として、育った。
反吐が出るほど、辟易する。

特に、学生運動をしていた世代は、自害して果てた方がよいほど、変質、変節した。
若気の至りでは、済まされないのである。
しかし、誰も、それを言わない。

私の後輩の年代が、それらの影響を受けて、反日感情を逞しくした。
共産、社会主義を良しとして、今は、会社の取締役になり、ゴルフ三昧であるから、呆れる。
こういう者を、私は、自害せよという。

変質、変節を哲学せずにいるのである。

誰のことだと言うのであろう、自分のことを。
そして、自分の家の墓を守るという。
無理である。先祖は、受け入れない。
先祖は、どの宗派に属していても、皇祖皇宗である、アマテラスを神として祀った。
御親を知っていた。伝統である。

言っておくが、学者、哲学者、識者等々が言う、アマテラスは、全く検討違いである。
霊感の無い者が、どうしたって、わかるものではない。

私は、唯一絶対の神とは、言わない。ただ、御親につらなるものであることを言う。
アマテラスは、総称である。
日本の神というものも、総称である。

神は、無い。
あるのは、御親である。
その御親のことを、私は伝統と言う。
御親とは、みおや、という。

御小屋とも、書く。小屋は、日本である。その小屋に住むものが、日本人であり、この国である。

さて、以下省略するが、聞く者は、聞け。
仏典を読む、聖書を読む等々の前に、この国の伝統である、万葉集を読め。
そこには、神や仏の妄想は、一切無い。
人間のあるべき姿がある。

生まれて良かった。恋をして苦しい。別れは辛い。死は、切ない。老いは、風情である。
この国の、大和言葉を知るべきである。
この世に生まれたのは、神や仏に帰依するためでも、信仰に生きるためでもなく、主義に生きるためでもない。

私と、あなたと呼べる相手との出会いであり、そこから、多くの喜怒哀楽を知るために、命を得た。
この世で知ることを知るために、生まれた。
妄想に生きるためではない。

今、目の前にいる相手を大切にせずに、誰を大切にするのか・・・

さて、私に言え。

いつまでも、青春であるという妄想を捨てよ。

人間は、老いて死ぬから、救われるのである。

私に言える者は、言え。




posted by 天山 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。