2007年06月16日

イスラム8

聖都メッカの降伏により、全アラビアを手に入れたムハンマドは、その二年後、生涯を閉じる。

さて、ここで、イスラムという言葉について言う。
Islamとは、何を意味するのか。
イスラームという語の基本的な意味は、無条件に自己委託をするという意味である。
自己を完全に放棄して、すべて相手の意のままに任せること、である。
この場合は、アッラーへの絶対無条件の依存である。

これを聞くと、思い出すのが、法然、親鸞の絶対他力である。
阿弥陀の誓願にある救いに、自己を投げ捨てて、救われるというものである。
実に、よく似ているが、実態は、全く違う。

法然の救いは、誰もが救われるということである。易行という。難行ではない。難行は、自力であるから、それでは、救われない、自力の計らいが、弥陀の本願を拒否するのである。
救われ難い者である。どうしても、弥陀の本願に頼る以外にないという他力である。

イスラムの場合は、弥陀ではなく、アッラーという神である。
そこには、救済の思想は、一切無い。
救われるという言葉が無い。
ただ、断固として、自我を切り捨て、すべてを神の御心に任せる。その結果が、どうなろうが、問うことはない。それが、イスラムの主体性である。

要するに、アッラーに従い救いなど、求めない。そんなことは、どうでもよい。

ある宗教学者は、宗教の根源的意味合いを、依属感情と呼んだ。
だが、この定義は、セム的一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、概念として、当てはまるが、他の宗教には、無効である場合多々ある。

イスラムは、その名称通り、絶対依属、絶対依存である。
それは、絶対他力を超える。

イスラムという言葉は、ムハンマド以前は、対人関係に使われた。
貴重な所有物を、他人の手に渡して、自由に任せるという意味である。しかし、ムハンマドから、その相手が、アッラーという神になったのである。
貴重な所有物とは、人の心である。それを神に差し上げるのである。
それが、イスラムという意味になった。
そして、それを成す人を、ムスリムと呼ぶ。
muslimとは、islamとは、同じ語源からなる。形容詞と、名詞の違いである。
イスラームは、名詞である。

イエスの教えと、親鸞の教えが似ているようなことを云々していた識者がいたが、全く事の次第を知らないといえる。
神の愛と、阿弥陀の慈悲が、似ていると。
神は、人格神である。阿弥陀は、観念である。
他力本願は、非常に情緒的である。しかし、一神教の信仰は、峻厳である。

一神教は、排他的で、非寛容である。
そして、武力を持ってしても、よい。神のために、戦うことを、つまり、相手に信仰を強要させるべく、武力を用いてもよい。
聖戦、ジハードとは、そういうことである。

アラビアの風土と、日本の風土は、相容れない。ゆえに、彼らを理解するには、至難の業である。




posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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