2007年06月11日

イスラム2

ムハンマドは、40歳前後から、不思議な夢を見て、しばしば異様なヴィジョンを見るようになる。
その頃、彼は結婚生活15年、ごく普通のメッカの商人であった。
年に一度は、メッカ近郊のヒラー山の洞窟に籠もり禁欲生活をする。

召命、つまり神に選ばれるという意味、の年も、ムハンマドは、家族を連れてヒラー山にお籠もりに出た。
ラマダーン月のある夜のことである。
突然、彼に超自然的な、あるものが臨んできた。
天使ガブリエルである。
大天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエルである。
ガブリエルは、聖母マリアに、受胎告知をした天使でもある。

天使ガブリエルが、衣を手に、「読誦せよ」と命じた。
「私には読めません」ムハンマドが答える。
すると、天使は衣をムハンマドに被せて押さえつけた。
さらに、「読誦せよ」と言う。
しかし、ムハンマドは戸惑う。
ついに、「何を読誦するのでしょうか」と尋ねると、天使は答えた。

「読誦せよ、創造し給える汝の主の御名によりて
 主は人間を一滴凝血より創造し給えり
 読誦せよ、げに汝の主はこよなく
 仁慈のこころ厚くして 
 筆によりて教え給えり
 人間に、未知のことどもを教え給えり
 人間に教えてもってその蒙を解き給えり」

蒙とは、迷いである。

ムハンマドは、しかし、その体験を恐怖と驚愕に捕らわれて、真意をつかめなかった。
初めは、悪霊か、妖怪に取り付かれたのではないかと思ったのだ。
当時、妖霊、ジンというものの存在が信じられていた。ムハンマドは、それに取り付かれたのではないかと思えた。
実に、気の弱い男であった。
彼は、そういう体験をすると、がたがたと震えて、恐れ、妻の元に駆け込んだ。
しかし、妻のハディージャは、これが妖霊の仕業ではなく、神のものであることを疑わなかった。つまり、ムハンマドの最初の信者は、妻だった。

ここで、天理教の中山みきの、場合を見る。
彼女も、天の将軍という霊に、選ばれた者である。
「みきを貰い受ける」という神の言葉に、家族が動揺し、迷っている三日三晩、みきは、神罹るのである。
選ばれる、これを召命、しょうめい、という。

精神病理学から、幻覚、幻聴という病と診る場合もある。
それが、その本人の人生を、がらりと変えてしまう場合がある。
さて、彼らは、どうだったのか。

神の声が聞こえるという少年に会ったことがある。
その声ゆえに、活動が出来ない。寝たきりであるという。
その声は、常時聞こえる。
私は、病院を紹介した。
それ以来、入院を続けている。

旧約聖書の預言者も、そのようにして、選ばれた者が多い。
突然、召命されるのだ。
しかし、私の霊学からいえば、突然召命されるということは、有り得ない。
それが突然に、思えるだけであり、本人の潜在意識は知っている。または、それを望んでいたといえる。

ここで大切なことは、必ず、既成の宗教が元になるということである。
それらと、一切、切り離されたものにはならないのである。つまり、解釈の仕様がない。
故に、ムハンマドも、セム人の人格的唯一神との接触をのみ、考えた。

旧約聖書から、逃れられない。逃れられなかったのである。
天使ガブリエルというのも、最初は、聖霊であると、彼は言った。後に、天使ガブリエルと言う。

人は、在るものからしか、物事を解釈出来ない。
無いものからは、理解出来ないのである。

天理教の中山みきも、結局、神道に寄り、天理王の命という名の神の名を呼ぶ。そして、教義は、神道から借りるのである。
古事記が教義の母体にある。

勿論、神に名前は無いから、何と呼んでもいい。

インドのマザーテレサの場合も、そうである。
目の前に主イエスが現れて「私は乾く」と言う。
それが、マザーテレサの活動の発端となった。

通常は、有り得ないことである。
幻覚、幻聴である。
それが、意味深いものであることを、感じ取る。

普段の生活の中での、何気ないことからも、超自然の声を聞くこともあるはずである。
そして、それが本当である。
普段の生活の中にある、真理の声である。
しかし、今は、これに多く触れない。





posted by 天山 at 00:00| イスラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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