2007年05月17日

もののあわれ84

上野国の歌
上つ毛野 安蘇の真麻郡 かき抱き 寝れど飽かぬを あどか吾がせむ
かみつけの あそのまそむら かきむだき ねれどあかぬを あどかわがせむ

上つ毛野は、現在の群馬県。
安蘇は、地名。
真麻郡の、真は接頭語。そは、麻で、刈りきった麻の束。
初句から、ここまでは、かき抱きにかかる、序である。

かき抱き、かきは、接頭語。むだきは、抱くの古語。
あど、とは、何と、という方言。
何と自分は、したらいいのかという意味になる。

上野の安蘇の里の麻郡を抱きかかえるように、かき抱いて寝ても、愛しい思いを満たすことができない。どうしたらいいのか。

燃え滾る妻への愛情である。
これ程、愛されると、妻も本望であろう。
かき抱いても、なお、満たされないもどかしさがあると歌う、この大胆な告白。
安蘇、真麻、郡、飽かぬ、あど、吾がせぬ、すべて、母音のアの響きに、大地の歌を感じさせる。
労働と、愛情との、深い融合。
東歌の手本といえる。

これは、縄文の心を、そのままにした、人間讃歌である。

抱いても、抱いても、まだ満たされないほど、愛するという感情は、原始感覚である。
麻郡を抱いてみて、妻の体を抱くことを思う。こんなに強く抱いても、妻を抱くことが、満たされない。もっともっと、抱きしめたい。
そうして、麻郡を抱く男の姿は、美しい。

現代でも、新婚や、恋愛はじめの頃は、このような気持ちになるであろうが、あまりに、打算に堕落した感がある。
それは、時代の生活の様にある。
これは、語れば空しくなるので、やめる。
金で、愛情も買える時代であるとだけ言う。

下野国の歌
下つ毛野 みかもの山の 小楢のす ま麗し児らは 誰が篭か持たむ
しもつけの みかものやまの こならのす まぐわしこらは たがけかもたむ

下野の、みかもの山の、小楢の若木のように、美しい、あの娘は、誰の妻となり、食事の世話をするのだろうか。

下野は、栃木県である。

片恋の歌である。
勿論、自分の妻になって欲しい。しかし、もしそうでなければ、幸せな結婚をして欲しいと願うのである。

乙女の処女性を尊ぶ心は、男の愛情の神聖さだと言った。

勿論、今は、自分は、多くの女と交わるが、結婚するなら、処女であるという、アホは、いないだろうが。
男は、3分も、あれば、セックスができる。また、3分に一度は、セックスのことを考えている。

下野国の歌
下つ毛野 安蘇の河原 石踏まず 空ゆと来ぬよ 汝が心告れ
しもつけの あそのかわはら いしふまず そらゆとこぬよ ながこころのれ

思いを寄せている娘に、今日こそは、その本心を聞きたいと、駆けて行く若者の心を歌う。
安蘇の河原の小石も、なんのその。
石も踏むことなく、飛んでいる。
空ゆと来ぬよ、とは、上の空で、宙を飛ぶようにという意味。

俺のこと、好きか、嫌いか。
それほどまでに、駆けてくる男に、娘は、嫌いだとは、言えないだろうと思うが、しかし、娘に、好きな男がいたとしたら、男は、絶望である。
その絶望を、どうして、生きて行くのか。そこに、男の生き方がある。
片恋を生きる男は、美しい。
叶わぬものほど、人の心は、躍る、
人に大差は無い。

万葉も、現代の人も、その心に大差ないということである。




posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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