2007年05月09日

もののあわれ76

次第に初期万葉から、洗練されてゆく歌にあって、異色を放つ歌がある。
巻15に、狭野茅上娘子と、その夫、中臣朝臣宅守の間に交わされた贈答歌、63首である。

ちなみに、この巻には、天平8年に新羅に派遣された使節団一行の145首が、収録されている。

狭野茅上娘子の歌
きぬのちがみのおとめのうた

あしびきの 山路越えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし
あしびきの やまじこえむと するきみを こころにもちて やすけくもなし

君が行く 道の長路を 繰り畳ね 焼き亡ぼさむ 天の火もがも
みきがゆく みちのながてを くりたたね やきほろぼさむ あめのひもがも

越前の国へ流罪になる夫を歌う。
何故、宅守が罪に問われたのかは、不明である。
学者の説では、宮廷奉仕の女官には、男女問題で厳しい掟があり、その禁を犯したという。
二人は、共に、下級の位である。男は、六位程度、女は、雑用の奉仕する女官である。

越前の国へ行くあなた、山また山を越えて行くあなたのことで、胸が一杯です。安き心地などありません。
心に持ちては、心に抱いて。
単刀直入に言う。

次の歌は、有名である。
あなたの行く道を、手繰り寄せて、重ねて、天から降る火で焼いてしまいたい。
天の火もがもとは、願いである。そんな火があればよい。

二人の恋が、禁を犯したならば、二人で罪をと思うが、夫のみが、裁かれて行く。
また、いつ逢えるとも知れない。
恋は、燃え上がるのである。

障害のある恋は、燃える。
それが大きければ大きいほど、恋心が炸裂するのである。
これこそ、万葉の骨頂である。
焼き亡ぼさむ 天の火もがも
誇張であろうか。誇張と解釈する者は、恋を知らない。
恋は、世界を焼き尽くすのである。だから、恋なのである。
恋に生きた万葉人である。
それで、言うこともなし。

中臣宅守の歌
なかとみやかもりのうた

塵泥の 数にもあらぬ われ故に 思ひわぶらむ 妹が悲しき
ちりひじの かずにもあらぬ われゆえに おもいわぶらう いもがかなしき

塵泥のような、取るに足りない私故に、都にあって、ひとり思い悩む妹のことを思えば、実に、痛々しい、悲しい思いである。

あかねさす 昼はもの思ひ ぬばたまの 夜はすがらに ねのみし泣かゆ

昼は昼で鬱々と、物思い、夜は夜で、夜通し、妹を思い、恋しさに泣けるばかりだ。

吾妹子が 形見の衣 無かりせば 何物もてか 命継がまし
わがいもが かたみのころも なかりせば なにものもてか いのちつがまし

妹子の、形見の衣があるから、それを頼みの綱として、生きている。それがなければ、何を頼りに、命を繋いでゆくか。

逢はむ日を その日と知らず 常闇に いづれの日まで 吾恋ひ居らむ
あわむひを そのひとしらず とこやみの いづれりひまで わがこいおらむ

再び、逢うことのできる日が、いつか。あてどない、常闇の中で、いづれの日まで、恋焦がれていることであろうか。

娘子の歌に比べて、弱い。
女の情の方が、激しいのがわかる。
娘子の情熱に圧倒されている。

越前にいる、宅守の歌に答えた、娘子の歌を読む。

命あらば 逢ふこともあらむ 吾が故に はだな思ひそ 命だに経ば
いのちあらば あうこともあらむ わがゆえに はだなおもいそ いのちだにへば

はだな思ひそ、とは、はなだは、はなはだ、非常に、という意味。
命だに経ば、とは、無事で生きていれば。

生きていれば、きっと逢うことが出来ます。だから、私のことで、心を痛めないで、下さい。思いが過ぎて、体に障るようなことのないように。健康でさえあれば、生きて、お逢いすることが、出来ます。

天地の そこひのうらに 吾が如く 君に恋ふらむ 人はさねあらじ
あめつちの そこいのうらに わがごとく きみにこうらむ ひとはさねあらじ

そこひ、とは、極限、極み、至極の意味。うら、は、うち、である。この天地の中である。
さねあらじ、とは、さね、は、真実。真実であれ、という願い。

広い天地の中で、深くあなたを慕うのは、私以外に、決して、いません。

白たへの 吾が下衣 失わず 持てれわが背子 直に逢ふまでに
しろあえの わがしたごろも うしなわず もてれわがせこ ただにあうまで

差し上げた、白たえの下着を、無くさずに、いついつまでも、肌身につけていてください。私の夫、その逢う日まで。

春の日の うら悲しきに 後くれいて 君に恋いつつ 現しけめやも
はるのひの うらかなしきに おくれいて きみにこいつつ うつしけめやも

春の日は、なにも思うことがなくても、どこか、うら悲しい気分のものですが、まして、私は、ひとり都に取り残されて、ただ、一筋に、あなたを思い続けているのです。なにもかも、上の空で、うつつの心とて、ございません。

逢はむ日の 形見にせよと 手弱女の 思ひ乱れて 縫へる衣ぞ
あわむひの かたみにせよと たおやめの おもいみだれて ぬえるころもぞ

形見として、差し上げたものは、さぞ、痛んだことでしょう。更に、新しい衣を、縫って差し上げます。手弱女の私が、思い乱れて、縫い上げたものです。

この、直情には、圧倒される。
何度も言うが、恋は、生きると同義語だった、時代である。恋は、生命力であった。

冷めた、打算と、低俗な欲望を超えている。
勿論、それも否定はしない。時代が、違うのである。
万葉の価値とは、人間の価値であり、それは、心情の素直さであり、単純素朴の様である。

万葉集の価値である。



posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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