2007年05月08日

もののあわれ75

大伴家持に寄せられた歌を読む。

河内百枝娘子の歌
かわちのももえのおとめのうた

ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 吾は忘れず 間なくし思へば
ぬばたまの そのよのつくよ きょうまでに われはわすれじ まなくしおもえば

はじめてお逢いした、その夜の、月の風情を、今も忘れません。あの夜から、絶えることなく、あなた様を思い続けているのです。どうして、忘れることができましょう。

豊前国の娘子大宅女の歌
ぶぜんのくにのおとめおおやけめのうた

夕闇は 路たづたづし 月待ちて 行かせ吾が背子 その間にも見む
ゆうやみは みちたつたつし つきまちて いかせわがせこ そのまにもみむ

夕闇では、道が暗く、足元が危ないのです。月を出るのを待って、お出掛けください。その間にも、あなたの姿を見ていたいのですから。

安都扉娘子の歌
あとのとびらのおとめのうた

み空行く 月の光に ただ一目 あひ見し人の 夢にし見ゆる
みそらゆく つきのひかりに ただひとめ あいみしひとの いめにしみゆる

み空を行く月の光で、ほんの一目、お逢いしただけのあなたの様が、夢に現れてくださいました。

片恋の歌、つまり、片思いの歌である。
これにより、大伴家持の風貌が、見えてくる。一目惚れされるほどに、美男であった。

さて、この辺りになると、万葉も、やや繊細な感じになってくる。
平安期の伏線である。
初期万葉の、生命力、気迫が薄れて、優美な平安に向かうのである。

万葉集の歌が最も多い時代は、759年である。一応、万葉集、成立としておく。
私は、初期万葉を飾った、舒明天皇一家を、万葉の開始と見る。
舒明天皇の即位、628年。
622年、摂政である、厩戸皇子が崩御し、蘇我の支配が濃厚になっていた時期である。
この舒明天皇の皇子である、後の天智天皇、そして、天武天皇によって、日本の国が確固たるものになる。大化の改新による、天皇家の政である。
大化の改新、そして、飛鳥、奈良における、維新である。
舒明天皇即位から、1380年を経ている。万葉集の歴史である。
舒明天皇は、大化の改新を見ずに、崩御され、沈黙の天皇と私は言う。
蘇我の支配を、じっと見つめ続けていたのである。
蘇我馬子の孫である、入鹿の執政が最高潮に達したのが、642年である。
翌年、643年には、厩戸皇子の子である、山背大兄王及び、その一族を殺した。
見かねた、中大兄皇子、天智天皇が、645年、入鹿を誅する。大化の改新である。

飛鳥、白鳳、奈良時代、その維新により、日本の国が成った。
飛鳥、奈良時代を、日本の精神の原点と呼ぶ。その心は、縄文である。
その縄文の心が、初期万葉に結実した。私が、万葉集を伝統と言う訳である。

さて、上記、三首の歌である。
結句を見ると、間なくし思えば、その間にも見む、夢にし見ゆる、である。

いよいよ、精神が複雑化してきて、繊細になっている。か弱い女の歌になるのである。
大伴家持の歌も、古今や、新古今に通じるものになってゆく。それは、後日に譲る。





posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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