2007年05月03日

もののあわれ71

もののあわれについての、70回にあたり、ここで、私と視点を全く異にするが、実に、よく、言霊、コトダマについてを、明確にしている、作家、井沢元彦氏の文を紹介する。

これによって、よりバランスの取れた、言霊についてを、知ることになる。

勿論、私の説を支持しても、井沢氏の説を支持しても、それは、皆の自由である。

私は、言霊を布教しているのではない。
ありのままを、述べているのである。
井沢氏の説のように、歴史学者をはじめとする、多くの、それにまつわる、学者たちが、言霊を知らない、また、知っても、無視する、重要視しないという、恐ろしい、偏狭と教養の無さに愕然とする。

日本史は、言霊を理解しなければ、真に、理解に至らない。
このような、素人の私に解って、プロの学者に解らないとは、如何なることか。実に、不思議である。
もしや、彼らは、アホなのかもしれない。
または、言霊を取り上げることに、恐怖しているのかもしれない。つまり、それを知らないからである。学者の沽券に関わることだと思っているのかもしれない。
そして、井沢氏が指摘するように、実は、彼らは、コトダマ信仰に、見事に嵌っているのである。

「言霊とは「万葉集」の基本概念であると同時に、現代の日本人をも拘束する、「信仰」でもある。
こんなことを言うと、ほとんどの人は「そんなことは信じられない」と言うだろう。
私はかつてこの問題について、そのものずばり「言霊」という本を書いたことがある。この本の副題は「なぜ日本に本当の自由が無いのか」である。お察しの通り私は「言霊がある限り、日本に本当の自由は無い」と主張しているのだ。
言霊とは何か。
簡単に言えば、言葉に霊力があるという考え方のことである。」

「だから、今でも受験生のいる家庭では「すべる」とか「落ちる」といった言葉を口にしない。
これは「すべる」という言葉を口にする、(コトアゲする)と、「受験にすべる」という「現実」が起こる、と心の底で信じているからだ。言葉の発声(コトアゲ)と「現実」の間に因果関係を認めているから、「縁起でもないこと言わないで」ということになる。」
「もしコトダマなどまったく信じていないなら、何を言われても平気なはずだ。ちなみに「縁起」はもともと仏教用語で「因果関係」の意味がある。つまり「縁起でもない」と言うこと自体、「コトアゲによってコトダマを発動させて(原因)現実に(結果)を与えるな」と、無意識に言っているわけで、これこそまさにコトダマへの「信仰告白」なのである。」

「私は日本の戦後平和は、安保(日米安全保障条約)と自衛隊という「優れた警備システム」があったからこそ保たれたのだと思う。しかし、「進歩的文化人」をはじめとして日本には「戦後平和は憲法のおかげ」という理屈に合わないことを主張する人々が、まだまだたくさんいる。
どうして、そうなのか。
もう、おわかりだろう。コトダマである。
コトダマの世界では、「平和、平和」と「一億が火の玉」になって念じていれば「平和」になるのである。つまり、「平和憲法」というものがコトダマ信仰の対象になってしまっているからである。」

そして、井沢氏は言う。
「日本国憲法は、国連憲章とは違ってあくまで日本人だけを拘束するルールである。外国人はそんなルールを守る義務も責任もない。つまり、日本の近くに、「日本を侵略してやろう」という人間(国家)がいたとしても、それに対する歯止めには成り得ないのである。」

実に、真っ当な、言霊の捉え方である。

私とは、全く別の角度から、言霊を見据えている。
これを、参考にすると、私の言霊に対するエッセイの意味も、よく解る。

ただし、井沢氏が、さらに突っ込んで言う、万葉集の意味、つまり、鎮魂歌集が、「万歳を言祝ぐ歌集」であるという。また、万葉集の四割が挽歌、すなわち、「人の死を悲しむ歌」であることも、然り。
ただ、鎮魂を、タマフリであったというのは、違う。
鎮魂は、御魂鎮めであり、タマフリは、魂振りであり、別物である。
これは、文献による研究では、解らない。故に、致し方ない。

「タマフリは、魂を体にふり憑けることである。それがさらに遊離して行かないように魂をおさえ鎮める、タマシズメの意義を持って来る。要するに鎮魂は長寿を祈る呪術である。」

これは、正しい。
しかし、古神道、私の霊学からは、鎮魂、魂鎮めと、魂振りは、意味が違う。
魂振りは、カルマ解消のための、一つの手段であり、鎮魂、魂鎮めは、心神合一の境地である。
心神合一とは、高い霊界との意識の同通である。
だが、井沢氏が、これを知る必要はない。
彼は、作家である。宗教家ではない。

そして、私も、鎮魂を求めることはない。
魂振りについては、日常生活で、やっている。生きることは、魂振りの行為行動である。
鎮魂は、死んでからやればいい。

ちなみに、井沢氏の、引用した本は、逆説の日本史3である。
古代言霊編、平安建都と万葉集の謎、である。
読むに値する、論文である。

いずれにせよ、日本人は、一度、言霊についてを知るべきである。
そこから、新しい時代や、文明に向かって行くべきだ。
そのために、日本の伝統である、言霊を学ぶべく、教育に関しても、云々すべきである。

おかしいのは、進歩的文化人とか、共産、社会主義者、等々が、このコトダマ信仰にやられていることである。
最も、日本の伝統を嫌うものどもが、コトダマ信仰にやられているということ、実に、笑う。
母屋にいて、母屋の有様を批判し、非難する様は、子供の、ダハンコキ、反抗心と同じである。
ああ、哀れ。

次回より、再び、万葉集を読み続ける。




posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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